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川島正行調教師

川島正行調教師


■■■ 師が語る調教師像とは ■■■

-:先生からみた船橋競馬の魅力といったらどこでしょうか。

川:やっぱり、いいジョッキーが育つ。いい馬が育つところだよね。出川己代造さんという方がいて、安藤栄作さんもいて。出川さんなんかは、ダービーも何度も獲っているんじゃないかな。

ジョッキーだってね、ここへきて内田(博幸)君、戸崎(圭太)君って、なったけれども、その前はずっと船橋だからね。昔、我々が乗っていた頃も、佐々木竹見さんが群を抜いていたけれども、桑島(孝春)君を始め、ジョッキーは豊富だったよね。

大井が客が入ったのも、ナイターにしたから沢山入ったけれど、その前はそんなに溢れるほどってことはなかったもんな。競馬場の大きさは違うけれどね。


-:先生のイメージは、中央から来た馬や、癖のある馬を復活させるようなケースが多いですね。やはり、これだけの好成績を挙げ続けられるのは、先生の飽くなき向上心によるものではないでしょうか。

川:それは厩務員達が手をかけて、やってくれるからね。選りすぐって集めた人材ですから。まぁ…、スタッフが一番大事だからね。如何に馬を育てる前に、人を上手く育ててね。教えれば、ちゃんとそのようにやってくれますし。

ウチの馬はみんな息が長い。新厩舎に行くと、馬の名前がズラ―っと並んでいるけれど、1頭の馬が重賞を10勝以上しているからね。それは、スタッフ達が、一生懸命やってくるから、息の長い馬が多いってことなんだよね。[4]


-:先生はよくある大御所の方とは違いますね。特にバイタリティに溢れている点などは。

川:いやいや、それこそ本当に結果が全てだからね。偉そうにしていたって、勝てるわけじゃないし、謙虚に一つ一つやってゆく事の積み重ねが大事ですから。

-:とはいえ、先生が他ではやっていない事を取り入れたりする姿勢は、向上心があっての事で。

川:今までやってきた結果を出せるようになるためには、色々悩んで、結果が出ている時の原点に戻そうと、それを早くに切り替えが出来るか出来ないかだよね。それだけ迷ってれば、そこで引きずってしまうわけだから。

自分の場合は、「よし、今年は100勝するぞ」と、決めた年(06年)だったかな?ちょっと迷った時期があって、「これはいけないな」と、原点に帰るようにしたら、100勝もして、重賞も年間10勝という目標も達成出来たし。今年も70勝に届くくらいだし、100勝はできるなぁ。




-:年間100勝ペースって、凄いですね。

川:自分が調教師になった時に、中央と地方を合わせて、「調教師のリーディングを獲りたい」と思って、「何勝すればいいのかな」と、数えていたら、私が平成2年に調教師になった時は30後半。藤沢君が出てきて、40、50、60勝となってきたからね。馬房の数は違うけれど。それに今は、100勝のラインじゃないと獲れないもんな。

-:とはいえ、通算1000勝を20年で達成してしまうというも凄いことです。500勝を達成した頃からは、その勢いを加速しているわけですからね。

川:一時、「ジョッキー(時代)でもリーディングは獲ったし、トレーナーでこれだけ獲れたから、もういいかな」と、考えた時もあったんだけれどね。景気も悪くなってきて、馬の頭数も競馬場も減ってきた中で、「これでは後に引けないな」という思いでね。

-:しかし、(千葉県)調教師会の会長にも就任されて、船橋競馬場で行われるJBCも、先生が最前線に立って、盛り上げることになったわけですよね。

川:いやいやいや。みんなで輪を作って、やってゆかなければ、本当に厳しい時代だから。社台さんだって、馬の頭数も減少してきて、グループからすれば、繁殖の価値などを考えると、どこ(の厩舎に馬を預けても)でもイイというわけではないですからね。そこで入るところ(厩舎)には入る、空くところには空くという形になりますからね。勝負の世界とは、勝ってナンボだから、仕方ないでしょうが。

-:そうですね。まだまだ南関東なども、地方の中では賞金は高いわけですし、色々な馬主さんも目を向けてほしいところですね。

川:馬が入らないというところに限って、厩務員の指導などをしないからね。悪い方向に行っちゃうんだよな。マスコミの人達が取材に来て、「川島厩舎の馬は聞かなくても(みただけで)わかる」というけれど、ちゃんと馬の手入れをせずに、ボロがついて汚いままのところも多いからな。

私からみたら、何も手入れをせずに、そのまま厩舎から引っ張って出してきたような馬も多い。それを調教師も指導しないからな。そうゆうのが、今テレビが地デジになったらどうするんだって思うよ(笑)。毛艶までクッキリ映るから、そうしたら、もっと馬が入らなくなるよ。私はレースの前に、常に下見所に行って、馬を観ているけれど、「汚いな」と思わされる事も多いよ。引いている厩務員も。結果的に調教師も指導能力を疑われて、差が出てしまうよね…。


-:そうゆうところから変えてゆけば、ファンの目も変わりますよね。

川:変わりますよ。「綺麗にしているな」とか、「厩務員さんはピシっとしてるな」とか思うはずです。今の時代は、馬にもファンがつくけれど、人にもファンが集まる。クリスの時は、ネットとか、2ちゃんねるに「次はどうゆう服装で(パドックに)出てくるか楽しみです」って、書いてあるんだもん。私も見たよ。

-:それくらい服装に拘わったりした方が、遣り甲斐もありますよね。

川:だから、私も、「絶対自信があるから、クリス、タキシード着な!」って言った時もあったんだ。[5]

そうしたら、本当に勝ってさ、俺も興奮して、涙が出てきてしまった。クリスも「絶対勝つて言われたから、スーツ屋で合わせてきた」って言ってたよ(笑)。


-:そして、今は競馬界全体が厳しい時代ですが。

川:私が昭和39年・東京オリンピックの年の10月に騎手デビューで、昭和40年代とかそこらの時に乗っていたころは、中央競馬は小さかったからね。そこからメジロの馬や、ハイセイコーが出てきたりで、どんどん大きくなっていたんだ。

船橋競馬場にも3万人くらい、お客が入っていたんだよ。上も下も一杯。一番良かった時は45~46年くらいの時かな。そんな時代の暮れやお正月の競馬なんて言ったら、お客さんがビッシリ。賞金もC1とかのクラスで、140万円とかあったからね。だから、今の方が安いんだよ。

今は馬に関する本などが、沢山出ているのに、そうゆうものをみんな見ない。やっぱり、馬の体型や血統のクロスを勉強して、強い馬を造れば、ファンは自然とついてくる。そうゆう努力が足らないんだよな。

セリに参加したり、走る馬ってのは、だいたい父親に似るものなのだし、種馬を沢山見て、走る馬の体型を勉強したりね。やっぱり、強い馬を造らなければ、ファンは来ないよ。もっと、地方は地方で協力しあって、いい品を造れば、ファンも寄ってくるはず。



既にこれだけのタイトル、勝ち星を積み重ねながら、競馬に対する探究心こそ、成績を残す秘訣と語る姿勢は流石の一言。

最後に「今、欲しいものは?」との問いにも、間髪いれず、「強い馬だね。強い馬を手掛けてゆきたいね」と即答。年々勝ち鞍のペースを高め、近年はコンスタントに年間100勝オーバー。南関東重賞100勝到達の更なる偉業も見据える「川島軍団」の牙城は崩れそうにない。

4:厩舎の室内のボードには、これまでに制した重賞の履歴が記されている
5:シーチャリオットが、東京ダービーで1着になった際

(取材日:9月15日)


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【川島 正行】 Kawashima Masayuki

1947年千葉県出身。
騎手時代を経て、1990年に厩舎を開業。
初出走日 1990年7月25日
初勝利日 1990年7月26日
地方通算成績は1023勝(10/9/20現在)


■最近の主な重賞勝利
・10年帝王賞(フリオーソ号)
・10年ジャパンダートダービー、東京湾カップ(マグニフィカ号)


近年はコンスタントに年間100勝以上の勝ち鞍を挙げ、NARグランプリは常連。05年には地方馬初としては、初めて管理馬・アジュディミツオーをドバイワールドカップに送り出した。現在はフリオーソ、マグニフィカの他、昨年の南関東クラシックを湧かせたナイキハイグレード、ネフェルメモリーなどを要す。