関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

千葉直人騎手



プロフィール
【千葉直人】
1986年北海道生まれ。
競馬学校卒業後、2006年に美浦・成島英春厩舎からデビュー。
JRA通算成績は24勝(1/14現在)
初騎乗:2006年3月4日 2回 中山3日 1R ハッピーステージ(15着/16頭)
2007年は自己最高の20勝を達成し、いよいよ脂が乗ってきた4年目の有望株。 元々競馬ファンということもあり、競馬の歴史についてかなり詳しい知識を持つ。 「あまり口うるさい事を言わない」(本人談)のためか、後輩ジョッキーとの交流も豊富。面倒見の良さもあり、多くの後輩から慕われている。




記者‐本日はよろしくお願いします。こうして向かい合うのは久しぶりですね。競馬ラボのトークダイナマイトでの対談以来です。

千葉-あー、そうですよね。確かデビューして半年ぐらいの時に。あの頃は谷中さんに「カツオ、カツオ」と呼ばれていて(笑)。

記者‐初々しかったですね。

千葉-そうですね。

記者‐そんな千葉騎手も今年でジョッキー生活4年目を向かえられるわけですが、デビューした2006年は1勝、2007年は3勝、そして2008年は20勝と大躍進ですね。

千葉-ありがとうございます。

記者‐2008年は最初から手応えを感じていましたか?

千葉-いえ、スタートは全然乗る馬がいなかったんです。1月あたりは乗る馬もいないのに小倉にいて「自分は何をしに来たんだろう」という状態で。正直、かなり不安でした。そういう状態でしたけど、2月の東京でトーセンキンボシ(成島厩舎)で勝たせていただいて、3月頭にサンマルセイコー(鈴木勝厩舎)、4月にはウインペイシェントで勝たせていただいて。馬の強さに助けられて、その後もコンスタントに勝たせてもらえたおかげで、夏の時点ですでに前2年を足したよりも勝利を重ねることが出来ました。

記者‐最終的に20まで勝利数を伸ばせたのは、何か要因が?

千葉-やっぱり去年の夏、新潟で福永騎手に会って、初めていろいろレクチャーしてもらった事が大きいと思います。春先は自分の騎乗がリズムよく運んでいたから、なんとなく「今年はいけるかもしれない」と思っていたんですね。でも福永騎手と話して、様々な指摘や助言をいただいたことで、まだまだ自分は甘いなと改めて教えられました。「今年はリズムがいいな、ちょっとイケるかな」と思っていた気持ちが一気にズドンと下まで落ちまして。またイチから考え直して、馬乗りっていうものを深く考えなきゃいけないな、と。

記者‐それほどの違いが。

千葉-はい。騎乗について福永さんが教えてくれることは、自分がそれまで考えていたことと全然違うというか…。知らないことがたくさんありましたけど、わかりやすく噛み砕いて説明してもらいながら、毎週毎週すごく勉強させてもらえたんです。

記者‐充実した時間を過ごしたんですね。

千葉-はい。福永さんがよく「オレが言っている事は(武)ユタカさんも言っている事だから」って話しているように、福永さんが他の一流ジョッキーとのつながりの中で得た様々な知識や、一流の馬に乗った経験や技術を教えてもらえたわけですから。でも、頭では分かりますけど、まだ実際のレースで生かせるかと言ったら、まだそれ程のレベルじゃないので…。

記者‐と言いますと?

千葉-大抵の場合、馬は右回りのコースで、コーナーは右手前、直線は左手前で走るんです。だから僕は乗馬の延長線で考えて、右回りの返し馬では右手前から走り出すようにしていたんです。乗馬では右回りの時は右手前で走り出させるので。でも福永さんから「そうじゃないだろ」と。

記者‐否定が。

千葉-福永さん曰く「スタートの時はどっちの手前だよ?」と。「スタートの時は左手前で走るんだから、左手前で走り出させるんだよ」とアドバイスをいただいたんです。左手前で走り出す感触を実際のスタート前に掴んでおけよ、ということで。

記者‐返し馬の一歩目にそこまでの考えが。福永騎手、細かいところまで気を配っていらっしゃるんですね。

千葉-あらためて乗馬と競馬はまるっきり違うな、と思いましたね。競馬は一番速く馬を走らせた者が勝ちだから「ちょっとでも得することはないか?」という点でものを考えないといけないな、と痛感しました。

記者‐そういうノウハウを何も知らない、気付かない状態でいる場合とは…。

千葉-もう凄い差になりますよ。だから福永さんに競馬場で会う機会があれば必ず何か一つでも質問するようにしています。いつも刺激をもらって、日々進化する実感を味わっていますから、今すごく面白くて。僕自身まだまだ「失敗したな」っていうレースも多いですし、皆に迷惑をかける事もありますけど、それでも早くレースで馬に乗りたくてしょうがないという感じです。

記者‐福永騎手のことをお話しされている時、キラキラ輝いています(笑)。とてもうれしそうに見えますよ。大きい存在なんですね。

千葉-尊敬しているし大好きなんですよ!あと何といってもあの「天才・福永洋一」の息子さんですからね。実は僕がジョッキーになろうと決意したのは、福永洋一さんに憧れたからなんです。 その憧れの人の血をひいている人と話したり、馬乗りを教えてもらっていると思うと、凄いなって…。「僕は相当幸せ者だな」って思いますよ(笑)。あと、祐一さんの勝ちで凄く嬉しかったレースがあるんですけど。

記者‐福永さんの勝利で千葉さんが嬉しかったレースですか。どのレースなんですか?

千葉-後藤厩舎のマイティークラウンで福永さんが勝ったレース(2008年3回新潟6日目4R)です。この馬には僕も乗せていただきましたけど、その時に勝てなくて悔しかったので福永さんに話を聞きに行ったんですよ。それでパトロールビデオを見ながらいろいろ教えてもらっていた時、そばに後藤先生もいらっしゃったんです。で、オーナーから「乗り変わり」って言われたときに、後藤先生が福永さんに頼んでくださって。

記者‐千葉さんへアドバイスされていた福永騎手の言葉を後藤先生もお聞きになられて。

千葉-そうでしょうね。それを聞いていたから他のジョッキーではなく福永さんで、となったと思うので。それで福永さんに乗り変わって勝つんですけど、勝ったあとに福永さんがオーナーに「千葉くんからこの馬についていろいろ聞いていたから勝つことができました」と言ってくれて。それで「また次500万のレースでおまえに回ってくるかもしれないから一緒にオーナーに挨拶しにいくぞっ」って僕を誘ってくれて。その時もう、…ホレましたね。本当、「スゲエな!」って。後藤先生も「凄い」とおっしゃってました。

記者‐そこまでの気遣いってなかなか出来ませんよね。

千葉-出来ませんよ。だから、僕はマイティークラウンで勝てなかったですけど、学ぶものが多かったです。僕が乗って「掲示板には載るんだけど、あともう一歩」というところにいる馬を、福永さんが手本を見せてくれるかのように勝たせてもらって(笑)。それを見たときに「やっぱり違うんだな」と。

記者‐同じ馬に乗ったわけですからね。

千葉-しかも僕は減量で3キロのハンデがあったんですけど、減量のない福永さんが乗ってあれだけ馬が変わるのを見ると、何の為に3キロのハンデをもらっているのかさっぱり分からなくなります(笑)。こうも変わるのかな?と。馬の走り方といい、伸び方といい。福永さんが凄いのは分かっていましたけど、ここまで凄いのかって実感しましたね。

記者‐差を見せ付けられた、と。

千葉-乗り変わりになって確かに「悔しい!」と思いましたけど、競馬に乗らないで外から見ていて学ぶものも凄く多かったな、って。福永さんがマイティークラウンで勝ったパトロールビデオを見ながら「お前はこうだったけど、俺はこうやって乗ったんだ」と解説してもらって。あ、なるほど!と(笑)。

記者‐凄く論理的なんですね。

千葉-そうなんですよ。僕でも分かりやすいように教えていただいて。…でも最初に話した時はものすごく緊張しましたけどね(笑)。

記者‐そうなんですか。

千葉-メチャクチャ緊張しましたよ(笑)!やっぱり競馬の時は集中した顔つきなので話しかけづらい雰囲気もあって。

記者‐よく勇気を持って話しかけましたね。いろいろ聞いていると福永騎手は騎手としてだけではなく、社会人としてもかなり立派な方という印象を受けますね。

千葉-そうですね。本当に凄いです。「俺もこうなりてえー!」と思います。競馬のことを福永さんみたいに話せるようになりたいな、と。福永さんのようになったら…(微笑み)。

記者‐何か想像されてますね(笑)。でも千葉さんも社会人として立派な面があるんじゃないですか?この前、調教スタンドの食堂で三浦皇成騎手がソバを食べていたんですけど、支払いは千葉さんのツケ払いらしいじゃないですか。

千葉-それ、つい最近知ったんですけどそうなっているみたいですね(笑)。

記者‐気前良いですね(笑)。あと、その千葉騎手が着ている成島厩舎のジャンパーも千葉さんが自費で作ってみんなに配ったと聞きましたよ。

千葉-あ、このジャンパーですか。いつも厩舎のみんなにお世話になっているんで。恩返しみたいなものです。

記者‐カッコいいデザインですね。



千葉-ありがとうございます。今までのジャンパーのデザインが質素なので、若い人が多いウチの厩舎では着る人が少なかったんですよ。厚手のタイプしかなくて、寒い季節しか着られないから、余計に着なくなって。だからネットでいろんなデザインを調べて、気に入ったものを取り入れて、若い人に着てもらえるようなデザインで作ったんです。少し暖かい時にも着られるような素材にして。

記者‐ご立派です!

千葉-このジャンパー、関西の厩舎でも着ているところがひとつあるんですよ。



記者‐どちらですか?

千葉-領家厩舎です。領家先生にもたいへんお世話になっていますので、そのお返しに。

記者-ああ、領家厩舎の馬にもよく乗っていますよね。領家厩舎は関西ですが、どのようなきっかけで繋がりが?

千葉-当時、領家厩舎に所属されていた松田(全史)助手の紹介です。それでデビュー2年目の2007年、新潟の岩室温泉特別という1000万下の特別レースで、クィーンオブキネマに騎乗させていただいたのが始まりですね。「前のほうで砂をかぶらないように競馬してくれれば大丈夫」と言われてその通りに騎乗したら、5番人気ながらホントに勝っちゃいまして(笑)。そのレースにはもう1頭領家厩舎の馬が出走していて、そちらのほうがグリグリで断然の1番人気だったんですよ。最後はその馬と僕の領家厩舎2頭で叩き合いになって。ゴールしても自分が勝ったと分からなかったくらいでしたけど、勝たせていただいて。先生をはじめ皆さんに感謝しています。

記者-見事にチャンスをものにしたわけですね。

千葉-グリグリの馬に勝てるとまでは思っていなかったんで僕もびっくりしましたよ。2年目では一番記憶に残っているレースです。とはいえ勝ったレースは全部覚えていますよ。まだ勝利数からすれば覚えていて当然かもしれませんけど。

記者-いえいえ。ということは1年目の初勝利の記憶も鮮明に残っていらっしゃるわけですね。初勝利時はどのような気持ちでしたか。

千葉-そうですね。初勝利の時は良かったなあ、と。ホっとしたという気持ちが大きかったですね。あと、ここまで長かったなという気持ちもありました。同期がみんな勝ち上がっていく状況で焦りもあったんですけど、藤田(伸二)さんに「いい馬に乗りさえすれば誰でも勝てるんだから焦らなくていい」とアドバイスをいただいて。おかげでそれ以降はリラックスして馬に乗れるようになって、だんだん2着、3着の回数も増えてきたのでそろそろ勝てるだろうと。

記者-そして暮れの中京で念願の初勝利をあげられて。では2年目はいかがでしたか?印象に残っている事がありましたらお聞かせください。

千葉-2年目は3勝だったんですけど、やはりさっきお話したクィーンオブキネマでの特別勝ちが強く記憶に残っていますね。あとの2勝は佐藤全弘先生と菅原泰夫先生の管理馬で勝たせていただきました。特に菅原先生には1年目からお世話になっていたので、それに報いることができてよかったです。またその菅原厩舎の馬はゲートが上手くなかったんで、僕が乗ってゲートの再試験を受けたんですよね。そういう過程があったうえで勝てたから喜びもひとしおでした。

記者-他厩舎の馬でも直接面倒を見ていたということで、愛着も湧いたんでしょうね。

千葉-湧きますよ。手のかかる馬のほうがかわいいというか。ここまで苦労して手をかけて本当に良かったな、という気持ちになりますね。テン乗りで勝つ時とはまた違う喜びがありますよ。

記者-なるほど。テン乗りで勝つのは仕事人みたいな印象がありますけど。

千葉-その通りだと思います。テン乗りでいきなりポンと乗せてもらって勝てたときは、充実感をともなった喜びを感じますね。これはテン乗りに限らない話ですけど「千葉に乗せていいよ」と言ってくれたオーナーとか調教師さんとか助手さん、厩務員さん、あとは牧場の人たちのことも考えたら手は抜けない、というか。あと、このご時世だと走らない馬はすぐに処分されてしまうので、僕が乗って勝って、ちょっとでも長生きさせられたらいいな、と思います。僕、去年は3頭の馬を殺してしまっていますから…。…すごく落ち込みましたよ。

記者-そういう悲しい出来事って、勝利と同じくらい記憶に残りますか?

千葉-いや、勝利以上に印象に残っていますね。そのうちの一頭は完全に自分の制御ミスが原因ですから申し訳なくて…。悔やんでも悔やみきれないという状態で…。何回も何回もビデオを見直して、落ち込んで反省しました。

記者-辛いですね。

千葉-はい、辛いですね。去年は20勝させていただきましたけど、それと同じくらい辛い体験もしたんで…。

記者-去年は勝ち星も内容も、今までとは劇的に変わった一年で。

千葉-変わりましたね。福島の新馬が始まった週にはバイラオーラに乗せていただいて、しかも勝たせていただいて、本当にありがたかったですね。でも、最初は「自分が乗っていいのか?」と思っていましたよ。キャロットファームで生産された良血馬の新馬戦に乗るなんて初めてでしたから。

記者-そんないい馬に騎乗が決まった時は燃えたんじゃないですか。

千葉-燃えましたけど…、燃えるというよりも落ち着いて乗ろう、と思っていました。ゲート試験や攻め馬も自分が乗っていましたし、能力が違うことはわかっていたので。

記者-バイラオーラのデビュー戦はどういう風に進みましたか?

千葉-レース前にはいろいろなシミュレーションをしていたんですけど、まず枠順が決まった時、福島の1枠1番だったのでショックでしたね。包まれて終わりじゃないかって(笑)。それでもジョッキーは馬に競馬っていうものを教える立場なんで、ここで馬の機嫌を損ねるような真似をするとダメになる、とか凄く考えて。管理していた後藤先生からの指示も「ステッキを入れないでくれ」とのことでしたので、それを守って。ムチを使うのは肩ステッキくらいですね。

記者-そうですか。勝利を重ねることで騎乗依頼も増えて。

千葉-増えましたね。おかげで2レース連続して勝たせていただいたり(08年2回福島7日目2R・3R)、12頭立ての9番人気の馬で勝たせていただいたり(08年4回中山4日目7R)。同期の丸田(恭介)が100倍を超える馬で大穴をあけて雑誌に取り上げられていたのを読んで、自分も穴をあけてみたいなと思っていたので、単勝50倍を超える配当になって嬉しかったですね。

記者-穴をあけるのは嬉しいものなんですね。

千葉-人気の無い馬で1着になると「してやったり!」みたいな(笑)。

記者-(笑)快感ですね。(資料を見ながら)セイリングシップも単勝16.5倍で、そこそこ穴をあけましたね。

千葉-あー、セイリングシップ。僕があの馬で勝ったときの2着が伊藤工真なんですよ(笑)。 「ゴメンな、工真」って言ったら「ホントですよ!」って。

記者-あの大人しそうな工真騎手が(笑)。

千葉-ちょっと怒り気味で(笑)。でも僕、その頃は1700とか1800のダートに乗っていると、1週間のうち、どれか1つは勝てるんじゃないかなっていうくらい自信がありましたね。リズムが良かったんでしょうね。ずっとそうだったらいいんですけど。

記者-波も出ますよね。

千葉-でもジョッキーは答えが分からないからこそ面白いんで。やっぱり馬一頭一頭違いますからね。底が無いんですよ。はっきり言って、ジョッキーは負けることのほうが多いですからね。トップジョッキーでさえも10回中8回は負けているんですよ。それほど難しい職業の中でしのぎを削って生きていくのはやはり簡単じゃないなって実感しています。

記者-騎乗数の確保からして大変ですもんね。



千葉-大変ですよ。

記者-でも千葉さんは1年目、2年目、3年目とどんどん右肩上がりで活躍されてるわけですから、それが続いていければ。

千葉-そうなるといいですね。ただこれから勝っていくことで減量の恩恵がなくなっていくので一層がんばっていかないといけないんですよ。そのためには、祐一さんをはじめとする先輩たちにもっといろんなことを教わっていかないと。

記者-福永さんとのすばらしい関係を生かして。

千葉-祐一さんがそういう風に思ってくれているかどうかはナゾですけどね(笑)。自分が成長して「ジョッキーといえば福永か千葉だね!」なんてことをファンに言ってもらえるようになったら、もう何も悔いなくあの世に行けますね(笑)。

記者-(笑)では千葉さんについてあともう少しお伺いさせてください。千葉さんは仕事をする上で気をつけていることはありますか。

千葉-ケガをしないことと体調をしっかり管理することですね。実際に去年はケガに泣かされたので。ケガをすると競馬に参加できなくなりますし、乗せてもらっていた馬を手放すことになりますから。

記者-お手馬がいなくなってしまうというのはやるせないですもんね。

千葉-ですね。またその結果、自分だけでなく関係者の皆さんにも大きな迷惑をかけることになるので、ケガと体調管理には注意しています。

記者-今年は休まずに乗れるといいですね。では最後にもう1つお伺いしたいのですが、今一番欲しいものはなんですか?

千葉-うーん…僕は名誉が欲しいですね。例えば重賞勝ったりG1勝ったりして名前を残すっていう事ですね。

記者-G1勝てば競馬史にいつまでも名前が残りますもんね。

千葉-それなんですよ!あとG1当日になると過去のレースが大画面で流れるじゃないですか。それに自分が写ったりして。その時のレースとともにファンの間で語り継がれますからね。「皐月賞のハードバージ」のように。

記者-福永洋一さんですね。

千葉-そうです。あとは「気まぐれジョージ」と呼ばれたエリモジョージみたいに「福永洋一騎手が乗ったときだけ走る」というのも良いですね。それも名誉だと思います。自分も、ファンの人に「私この馬好きなんだけど、千葉ジョッキーが乗った時だけ走るんだよねえ」とか言ってもらえたら、それだけで嬉しいですね。そういう小さな名誉でもいいんです。

記者-「この馬に千葉が乗るなら買いだな」とかはどうですか?

千葉-そういうのも嬉しいですね。そういえば話は変わるけど、去年嬉しかったことがあったんですよ!

記者-何があったんですか?

千葉-新潟で河内(洋)先生に握手をしてもらったんですよ。よく乗せてもらっていたこともありまして。僕、アグネスタキオンが大好きだったんですよ!

記者-私も好きでした。強くて綺麗な馬で。千葉さん…調教師と握手って、発想が競馬ファンですね。

千葉-南井(克巳)先生にも握手してもらいましたからね。ナリタブライアンとオグリキャップだよ!って(笑)。

記者-ジョッキーに握手を求められて、調教師の先生たちはどういう反応をされるんですか?変なやつだなあとか言われませんでしたか(笑)。

千葉-いや、普通でしたよ。「僕ファンだったんで」と言ったら気持ちよく握手してくれましたよ。

記者-微笑ましいですね。千葉さん、本当にファン目線ですね。

千葉-僕は趣味が競馬なんですよ。で、仕事は攻め馬と午後の厩舎回りですね(笑)。趣味だから探究心が尽きることなく前に進んでいけるんです!

記者-「競馬が趣味」いいモットーですね!そういう気持ちで臨めるのは楽しいですよね。努力を楽しんでいる感じがうらやましいですよ。

千葉-はい、すごく楽しんでいます。それに趣味だからこそ向上心がどんどん生まれたりするんじゃないかな、と。ここ1年ぐらいは蛯名さんの追い方を習得できるように研究しています。2007年暮れのマツリダゴッホを見て意識しはじめましたね。かっこいいんですよ、蛯名さんの追い方。なんとしてでもマスターしたいですね。

記者-蛯名ジョッキーの追い方のどういうところが好きなんですか。

千葉-迫力があるところですね。で、真似しようと思って、どうやって追っているのかじーっと見て。それでも分からないので直接話を聞いたりして。でも追い方っていうのは、大まかな事は教えてもらえますけど、結局はその人の体型が関係しますからね。追う時に体が沈み込みますけど、その時その人の体型が出るんですよ。

記者-じゃあ完全に真似る事は難しい?

千葉-でもあの迫力あるフォームで追いたいな、と思います。蛯名さん、ステッキの入れ方なんかもすごいですから。でも見様見真似でステッキを同じように使ったら、僕は制裁点が増えてしまいました(苦笑)。だからそれは止めようかな、と。

記者-騎乗停止になったら元も子もないですもんね。

千葉-ステッキのせいでヨレてしまってからでは取り返しがつきませんからね。それに大きいアクションでステッキを打とうとすると、どうしても無駄な動き、スキができてしまうんですよ。だから今週からは海外みたいにムチは5発までに制限しようか、と思って(笑)。

記者-自主規制を(笑)。あ、また話し込んでしまいましたね。本日は長時間どうもありがとうございました。

千葉-ありがとうございました。

★取材日=08/01/14
★取材場所=美浦・南スタンド