関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

今野貞一調教師

今野貞一調教師


今年3月から晴れて新規厩舎開業を果たした栗東の今野貞一調教師。開業に至るまでの経緯、そして、今後の展望など……。多忙な時間を縫って、ジックリと語っていただいた。

競馬を知ったのは大学時代…遅咲きのホースマン

-:この度は厩舎開業おめでとうございます。早速ですが、まずは厩舎体制を教えてください。

今:ありがとうございます。スタッフは9名。厩務員1名、調教助手8名です。助手の8名が馬に乗ることが出来るので攻め専はなしです。9名中7名が鶴留厩舎から、高橋隆厩舎と小島貞博厩舎からそれぞれ1名ずつ。14馬房からのスタートです。

-:厩舎服ですが白と紺で爽やかな印象を受けるデザインですね。

今:紺ではなくて藍色です(笑)。和の色。日本古来の色を使いたいと。

-:失礼しました。藍色なのですね。厩舎ロゴも和をイメージしていますか?

今:去年、ドバイでヴィクトワールピサが勝ってあの場所で君が代が流れた時、日本人の誇りというか、いつまでもそういうものは持っておきたいなと。外国の良いところは良いですが、何でも外国が良いという気持ではなくて、日本の素晴らしいところを出していきたい。特に競馬は海外の方が良いと日本では言われますが、絶対に日本の方が良いこともあると思います。
元来、日本人は真面目で丁寧で細かい良い仕事をしますよね。そういう素晴らしいところは大切にしたい。そういう気持ちと日本古来の藍色を使って欲しいとデザイナーに伝えました。そして完成したのが、この厩舎服なのです。
ここが(“今”の字の3角目)赤色で日の丸がイメージされています。ちょっと古都の老舗を感じさせるこのロゴを名刺に入れています。特に外国の人に渡す時、あえてこの漢字のロゴだと良いかなと。もう一つは馬のシルエットと今野厩舎と入っているもので、あえて英語はナシ。和風の感じがたっぷり出ていて、とても気に入っています。




-:調教師試験に合格したのは若干33歳、しかも2回目の挑戦でした。

今:“やる!”と覚悟を決め、気持ちも切り替えて勉強しました。頑張ることが出来たのは勉強会の仲間にも恵まれたからです。

-:確か先生は調教師試験に合格するまでカレーを食べ続けたとか……。

今:そうです(笑)。昼食にカレーを食べ続けました。それが自分の中でのメリハリとルーティン作りというか。とにかく仕事から帰ったらカレーを食べる。一日の流れですよね。同じことを毎日するのは嫌な作業で、毎日変わらないのは嫌ですよね?でも明日はかわったことがあったらいいなと思う気持ちを捨てようと。大リーガーのイチロー選手はスタジアム入りして、同じルーティンで練習して試合に備えている。
そしてバッターボックスに入る時も同じ動きをするというのを聞いて、それって並の神経では出来ない凄いことだなと。僕はそんな神経を持っていないのは分かっていたので、自分を変えるために同じ動きをする精神力を見習いたくて。別にカレーでなくても良かったのですが、イチロー選手もカレーを食べ続けていた時期もあったということで、僕もやってみようかな?と。


-:そして2010年12月に調教師試験合格。その後、角居厩舎に技術調教師として所属しどんな一年でしたか?

今:角居先生のもとで新しい発見もありましたし、自分がやりたかった事や今まで考えていた事など色々な確認が出来ました。もちろん角居先生と違う部分もあります。そういうことも含めた色々な確認です。

-:具体的にどういうことが確認出来たのですか?

今:僕は以前から、馬のフォームが悪いのに無理に時計を出すのは嫌で、フォームが崩れているのならキャンターは乗らなくていいと考えていました。角居先生もどちらかというとそういうところがあったので、やっぱりそうなのだと確認しました。角居先生と一緒とは言わないですけれど(笑)。

-:とても貴重な一年でしたか?

今:そうですね。僕は20何歳になってから、“この世界でやろう!”と思って入って来た人間なので、知り合いとか、人との繋がりとかがないので、この一年間で知り合いが増えたのは嬉しい事です。

-:この世界に入るきっかけは何だったのですか?

今:この世界を目指そうとしたのは大学生の時です。最初は知り合いで競馬が好きな人が居て、その付き合いで競馬を見るようになりました。実はそれまでは競馬見ることも一切なかったし、興味もなかったのですが、見ていると面白いと思うようになりました。
その延長線で、馬にちょっと乗ってみたいなと思い、乗馬クラブの体験乗馬をしたら、もう乗るのが凄く楽しくて!それまで全くやりたいことが何もなくて、その辺の大学生の兄ちゃんでした(笑)。だから馬に乗るのが楽しいことに気づいてしまって、乗馬にのめり込みました。


-:その馬に乗る楽しさを仕事にしようと考えたわけですね。

今:小さい頃から野球をしていて運動神経も悪くはなかったし、体型的にも向いているのかな?と思い馬に携わる仕事を調べました。騎手はもう20歳を過ぎているので年齢制限でアウト。調教助手という仕事は地方もあるけれど、やっぱり中央に入りたいなと。調教助手になるには、まず競馬学校に行かないと駄目で、その前に牧場で経験を積まないといけないんだと。
大学時代に馬術部だったりしたら、また違っていたと思いますが、僕が調べた頃は競馬学校に入る為には3年以上の牧場経験が必要でした。だったら大学を卒業したら牧場勤めをしようと考え、最初は関東の茨城県にあるプリンスホースパークと栃木県にある鍋掛牧場にそれぞれ3ヶ月程。その後、信楽牧場に4年ほど居ました。27歳までに競馬学校を受けないと、という気持ちはありましたが、早く受けて落ちるのも何だったので26歳になった時に受験しました。


厩舎の初出走となったローレルレガリスと


-:競馬学校での生活はどうでしたか?

今:楽しかったですね。牧場勤めは仕事に追われる毎日なので、自分のことを考えるようなゆっくり出来る環境ではなかったですからね。牧場では仕事が勉強でしたが、競馬学校は仕事ではないので、上手く乗るにはどうしたらいい?とか、勉強の為だけに動けて自分のことも考えられる。牧場だと仕事に追われてなかなかそうはいかないですから。

-:競馬学校卒業後は?

今:3ヶ月間は待機でした。その間は信楽牧場や宇治田原優駿ステーブルを手伝ったり、10日間ほどですがアメリカフロリダにある育成(トレーニング)も手伝ったりしました。

-:そしてようやくトレセンで調教助手としての仕事がスタートですね。

今:初めに大久保龍志厩舎で1年3ヶ月。その後、宮本博厩舎で5年ほどさせてもらいました。

-:調教師試験合格後、大久保師や宮本師と何かお話されましたか?

今:開業したこの厩舎(イー22)はお世話になった大久保厩舎が以前あった所です。調教師室にある、この棚など厩舎まるごと大久保先生からそのままいただきました。大久保先生は僕が調教師試験の一次を受かっただけでも凄く喜んでくれて「一回で受かれよ」と言われました。残念ながら一回目を落ちた時も「今回は駄目だったな」と本当に残念そうに声を掛けくれました。
でも普通は「まあ一回目だから」と言ってくれますが、大久保先生は落ちたのが当たり前とは言ってくれませんでした。落ちるのが分かっているのに受けるのは意味がないですから、1回で合格するつもりで受けていましたが、そう甘くはなかったです(苦笑)。(馬を預けて貰っている“ニシノ”の冠名でお馴染みの)西山オーナーとは宮本先生のつながりなのですが、有り難いですよね。宮本先生からも色々とアドバイスを頂きました。


-:ところで、いつから調教師になることを考えていたのですか?

今:僕は調教助手の仕事の醍醐味は、担当馬が走ることだと思っていました。でも大久保厩舎も宮本厩舎でも攻め専だったので、担当馬が走る醍醐味は味わっていないんですよ。いつかは自分のやりたいようにしたいという想いがありました。

-:では結構、早い時期から調教師を考えていたのですね?

今:調教助手のときからなんとなくぼんやりとですが、いずれかは調教師になりたいなとは。最初は馬を調教しレースに向けて作って行く方法から入りだして、ちょっと見えてくると厩舎全体のことを自分なりに考えてみたりしました。でも厩舎を経営していくところまでは見えていません。だからあまり具体的には考えていませんでしたね。

-:では本気で調教師になろうと思ったのは?

今:助手として自分がやってきたことが間違っていないなという感触を馬から学び教えてもらったからですね。

-:“馬から学ぶ”ですか?

今:馬は色々教えてくれますよ。もちろん普段、接したり乗ったりしている時は完全に主従関係でこっちがリーダーですが、例えばこんな作りの時でこういう状態の時にはこんな競馬をするということを教えてくれました。教えてくれてありがとうというのはないですけどね(笑)。僕は助手のときから常にそういうことを一つ一つ確認しようという意識がありました。全部が全部当たるわけではないですが、馬の作りで競馬の中身がどうなるのかというのはだいたい想像できます。意外な結果というのもありますけれど。

-:凄い向上心ですね。

今:僕自身が元々ずぶな素人でしたから。もちろん、色々お世話になった人から教えてもらったお蔭ですよ。



今野貞一調教師インタビュー後半は→

1 | 2



【今野 貞一】 Teiichi Konno

1977年大阪府出身。
2010年に調教師免許を取得。
2012年に厩舎開業。
JRA通算成績は1勝(12/3/31現在)
初出走
12年3月3日 1回阪神9R ローレルレガリス
初勝利:
12年3月31日 2回阪神3日目7R マルカプレジオ


1977年4月24日生まれ。座右の銘は『見ている人は見ている』。これは、色々な努力というのは人には分かり難いものかもしれないが、分かってくれている人は必ず居るはずだという想いを込めたもの。常に、自分は間違っているかもしれないと思う心を持つ事で、ずれずに真っすぐ進むようコントロールしてとのこと。実直で冷静。物腰がとても柔らかいクールなイケメン。