マイケル・タバート氏独占インタビューPart.1はコチラ⇒

タバート氏と日本の競馬との出会い

-:初めてインタビューさせていただくので、タバートさんのプロフィールもお伺いしたいと思います。色々なメディアで語られているとは思いますが、競馬を知った経緯から教えていただけますか?

タ:もともとオーストラリアで生まれて、両親は普通に競馬好き。特にお父さんが好きでしたね。お母さん方の祖父が生産牧場の雇われ牧場長をやっていたのです。自然と週末はほぼ毎週競馬を観て、夏休みには牧場に行って、馬と実際に触れ合ったりする環境でしたね。馬そのものも好きだし、競馬好きなので、物心がついた頃は若い時からずっと週末は競馬でしたね。自然と競馬が中心という状態なので、小学生くらい時から“競馬に関わっていきたいな、馬主になりたいな”という思いはずっとありましたね。最初は日本に競馬があることを知らなかったのですが、結果的に日本に来て、競馬があることが分かって、最終的に日本で馬主になることができたと。

-:日本と比較して、オーストラリアの競馬人気、日常的な浸透度はどちらの方が深いですか?

マイケル・タバートオーナー

▲カレンミロティックも出走した昨年のメルボルンC

タ:面白いのは、日本の方が売り上げはすごくあるんですよ。世界一と言われていますよね。そういう意味では日本はすごいと思うのですが、競馬が分からない人は日本の方が圧倒的に多いんですね。例えば、海外だと海に行ったりすると、朝コーヒーを飲みながら友達と「今週は良い馬がいるらしいよ」なんて話を日常的するので、そういう意味で言うと国民スポーツでありギャンブルといいますか、競馬が嫌いな人というのはあまりいないと思いますよ。

-:日本だと、個人差が大きいかもしれませんね。

タ:かと言って、いっぱい賭けているわけではないのですが、みんなで競馬に行こうか、というのは普通のことで、年に何回かは必ず行っているんじゃないかというくらい。身近に感じるのはオーストラリアの方だと思います。僕も子供の頃には、メルボルンCになったりすると、教室にラジオを持ってきて、みんなで予想したり。大人になったら、オーストラリア人は会社を休んでランチに行って、そのまま飲みながらメルボルンCを観るというほど。場所によっては休日になっているので。

-:メルボルンCは国民的行事だとウワサでも耳にしますものね。

タ:でも、日本の方が競馬の仕組みはちゃんとしていて、日本の競馬は世界一だなといつも思いますね。クラスの組み方であるとか、賞金の高さ、施設。それは控除率が高いから……(苦笑)。馬券を買う方からすると、いっぱい取られているなと思うけど、日本の場合は、取られた分はちゃんと返ってきている感じはあるので、その違いはあると思いますね。そして、日本の方が、真の競馬好きは本当に競馬が好きですね。競馬場に行って馬券を買っていなくても、朝からずっとパドックで観ているというのは海外ではあり得ない。海外の方は遊びや娯楽、スポーツの一環として、いつも競馬がそこにある感覚だと思いますね。

-:オーストラリアでは開門ダッシュはないですか?

タ:絶対にないですね(笑)。そんなに競馬場は混まないので。観たい馬がいたら、日本だったら普通にパドックに出てくるまで観られないじゃないですか。オーストラリアは普通に厩舎に行けるだけでなく、触ったりも出来るので、身近ですね。オーストラリアにウィンクスという世界一レーティングが高い馬がいますよね?みんな競馬場に着いたら、“今日の彼女はどんな感じかな”と観に行ったりして、2時間くらい経ってからパドックに出てくるという感じなので。

「日本の競馬は本当に素晴らしいと常に思っています。色々な国の競馬に行きましたが、日本のそういったところは一番だと思いますね」


-:そういう意味では、日本の方がちょっと馬との距離が遠いのかもしれないですね。

タ:そうですね。ただ、そのおかげで公平性というか、しっかり管理して誰も触れないというのは、逆に安心も出来るので。そこは良い面も悪い面もあると思いますが、僕は、日本の競馬は本当に素晴らしいと常に思っています。色々な国の競馬に行きましたが、日本のそういったところは一番だと思いますね。

-:ついついオーストラリアの環境についても伺ってしまいました。タバートさんが初めて日本に来られたのはホームステイということですね。

タ:最初はそうです。高校1年生の頃だと思いますが、平成元年(1989年)に福島の棚倉という小さい町にホームステイしました。ムチャクチャ田舎だったので、トイレが外にある穴だったんですよ。日本の第一印象はそんな思い出でした(笑)。

-:そこから馬主になったことを思うとタフですね。

タ:田舎でビックリしましたが、すごく楽しかったですね。高校の時は毎年、日本に来ていたんですよ。夏休みの時に2週間、2週間、2週間来て、じゃあ大学に行こうという流れになったんですね。それが、福島、福島、最後が山口県だったかな。

-:そもそもなぜ日本に来ようと思ったのですか?

タ:全く競馬は関係なくて、親が教育長だったんですよ。父が文部省に招待されたのです。文部省が海外で日本語をもっと普及させるためなど、交流のためですね。姉妹都市や姉妹学校などを色々つくって、地元で日本語の教育を導入したんですよね。「導入するからお前が実験台だ」みたいな感じで、日本語を取らされて、1回行ってみようかというので来て、日本にハマった感じですね。その交流の一環で日本からもホームステイで色々な方が来ましたので、当時、日本語は出来なかったですが、みんな良い人が多いし、ドンドン好きになっていきましたね。

マイケル・タバートオーナー

▲幾多の国の競馬を観てきたタバート氏も日本の競馬ファンの熱意には驚きの様子

-:日本の大学にも通われたということですね。

タ:実は家にそんなにお金がなかったのです。高校まで学費は全部奨学金で、僕はいわば“奨学金人生”なのです(笑)。尚且つ小学校から高校まで一環でしたからね。しかも、お母さんも、そこの先生で。その点、親に迷惑を掛けずに来られたかな、という思いはあります。親が文部省の奨学金を見付けて、それで行くと学費がタダで生活費も出るという、実は世界で一番良い奨学金なのですが、それに受かったのです。結果、地元の大学には行かずに日本に行って、1年間日本語を勉強してから、京都大学に行って4年間いましたが、あんまりキャンパスには行っていないかな……。

-:大学時代はどこにいたのでしょうか(笑)?

タ:ほとんどダビスタをやっていましたね(笑)。

-:とはいっても、名門校。謙遜じゃないでしょうか。

タ:真面目に勉強をした時期もありましたが、その時に友達と競馬サークルを作ったりしました。先日も一緒にお酒を飲んだ馬主とは今でも仲が良いし、後輩の棟広良隆さんがいま予想家をやったり。京大の時の競馬サークルの人たちとは今でも仲が良い友達なので、それはすごく楽しかったし、良かったなと。もちろん卒業することも大事でしたが、大学時代に一番良かったことはそれかな。競馬を通しての出会いや経験など。

-:オーストラリアで競馬の知識は十二分にあったわけで、ダビスタとの出会いで覚えたことはありましたか?

タ:レース名を覚えたり、こうなるとクラスが上がるんだ、という仕組みを把握できましたね。日本の調教で使われる用語もそうです。「ソエが出ました」なんて使い方の勉強にはなりましたね。5歳くらいから、とんでもないほどの数のレースを観てきていて、色々把握しているつもりでしたが、まさしく人生でやりたかったことがゲームとして表れたので、益々それをキッカケに馬主になってやろう……という思いでした。

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