2016年の阪神JSでJRA史上初の同一重賞7年連連対記録などJUMPレースの顔として活躍する高田潤騎手。 そして、ファンサービスの積極性は競馬界一とも噂される熱き男の生の声をお届けします!
海外研修inイギリス(その①)
2019/6/14(金)
久しぶりにコラム更新の高田潤です(^^)ノ
海外研修で2週間、イギリス,アイルランドへ行って参りました!!
現地でコラムも更新できれば良かったんですが、なかなか原稿を書く暇がなく、手短かにTwitterの方に少し載せていました。
2週間という短い期間ではありましたが、充実かつ濃密な時間を過ごさせていただきました!!
いっぱい写真も撮ってきたんですが、何から書こうか迷うくらい書きたいことがたくさんありますので、順を追って更新していければと思います。
今回の海外研修では、
東西ジョッキーからは西田Jと私、新規調教師からは小手川さんと吉岡さん、そして美浦栗東からそれぞれ4名の調教助手さんが参加しました!!
まず人生初のイギリスに降り立って思ったことは、、、
とにかく明るい…(^^;; (安村ではない)
今の時期だからなんですが、とにかく明るいんですよね。夜の22時をすぎてもまだ明るかったです(笑)
そして、朝も4時にはもう太陽が出ていました(^^;;
早寝の人にとっては、夜を見ることなく常に毎日明るいわけです(笑)
そんなイギリスに着いて、まず始めに訪れたところは、
競馬発祥の地、ニューマーケットです!!
競馬の始まりは障害レースと言われております。
日本では知名度の低いジャンプレースですが、こちら現地では絶大な人気を誇っています!!
海外のジャンプレースは大きく分けて、ふた通りありまして、大きな障害を飛越するスティープルチェイスと呼ばれるレースと、そこまで高くはない同じ高さの障害を飛越するハードルレースがあります。
日本で言えば、中山、京都などの固定障害がスティープルチェイスで、新潟、中京などの置き障害がハードルレースに該当すると思います。
その昔、
ニューマーケットの地で、仲間同士で馬に跨り、尖塔(教会)まで競争していたのが競馬のルーツと言われており、これがスティープルチェイスと呼ばれる由来だそうです。
steeple(尖塔)chase(追跡)
競馬発祥の地ニューマーケットでは、街中で馬が歩いていたり、馬専用の信号機があったりと、至る所で馬に関する歴史や文化を感じることが出来ます!!
ニューマーケットに着きまして、最初に訪れた所はニューマーケット競馬場です!!
開催はされておりませんでしたが、気品溢れるスタンドに広いパドック、
そして、極めつけは、、、
これです!!!!
ドドーーーっン!!((((;゚Д゚)))))))
果てしなく広いコースです!!
中にも入らせていただきました!!
直線だけで4、000メートルくらいあるそうです( ̄▽ ̄;)
もうここまで広いと、向こう正面はおろか、四コーナーすら見えません(^◇^;)
うっすら地平線が見え隠れするレベルです(笑)
衝撃的ですね。。
何もかもが日本とは違いすぎて、競馬感が全く変わります。。
そんな圧巻の競馬場の次は、、
現在イギリスでリーディング争いをしておりますトップトレーナーのロジャー・ヴァリアン調教師を訪れました!!
現在170頭以上の馬を管理するヴァリアン厩舎は、一言でいいますと、とにかくデカいです!(◎_◎;)
ただデカいだけではなく、
厩舎内には角馬場を始め、ウォーキングマシーン,トレッドミル,プールといった設備も備わっておりました(°_°)!!
20馬房しかないトレセンの厩舎と比べると、もう何もかも規模が違いすぎますね。。
僕たちがここを訪れた前日には、
ヴァリアン厩舎のザビールプリンスがイスパーン賞(G1)に勝利し、僕たちが滞在中にも、またまた同厩舎のデフォーがコロネーションC(G1)に勝利するなど、本当にヴァリアン厩舎の勢いを感じました!!
人懐っこいザビールプリンス!!
トロ~ンと舌を出してかわいいのに、
走るとめちゃくちゃ強いデフォー(^^)♪
そんな衝撃の連続だったニューマーケット初日だったんですが、
これはまだ序章に過ぎませんでした。。
次回は、ニューマーケットでの調教騎乗について書きたいと思います(^^)
プレゼントもたくさんありますので、
応募方法はまた発表後に、ご確認下さい!!
プロフィール
高田 潤 - Jun Takada
1980年11月3日生まれ、大阪府出身。
1999年に松田博資厩舎所属から騎手デビュー。デビュー当初から、平地・障害の垣根を越えた活躍を続けると、2006年にはドリームパスポートで神戸新聞杯を制覇。これが平地重賞初勝利となった。
一方、2008年にはキングジョイとのコンビで中山大障害を制し、キャリア初のJG1勝ち。2013年には待望の障害リーディングに輝いた。
また、2009年には師匠である松田博資師の元を離れ、フリーに転向。2012年にも生涯の伴侶を得るなど、公私ともに充実期を迎え、障害競走の次代を担う存在として更なる活躍が期待される。