日本から南へ約8000キロ。オーストラリア・ビクトリア州のフレミントン競馬場で一人の日本人障害ジョッキーが活躍していることをご存知だろうか。その名は川上鉱介騎手。その経歴はあまりに特殊で、異国の地で一流ジョッキーたちとしのぎを削っているだけでも賞賛に値するが、その裏では通訳としても活動中と、いわば競馬界の“二刀流”。競馬ラボではどこよりも早く独占インタビューを敢行。今後この名を覚えておいて損はないだろう。

やりがいが障害騎手としての原点

-:競馬ラボでは初登場ということで、現状について具体的にお伺いしたいと思います。よろしくお願い致します。現在はオーストラリアのどの地域を拠点に騎乗されているのですか?

川上鉱介騎手:ビクトリア州ですね。フレミントン競馬場をベースにして、フリーランスで騎手活動しています。

-:「フリーランス」ということは、特に決まった厩舎に所属しているという訳ではないのですね。

川:乗せていただいている基本的な厩舎が4厩舎ほどはありますが、その中で特別雇用されている訳ではなく、あくまで「1頭の調教でいくら~」という形で、調教の手伝いをする契約に近いですね。

-:昨年の成績面はいかがでしたか?

川:障害レースは3~9月までで、開催期間が短いのです。障害レースの無い期間はハイウェイトという障害ジョッキー用の平地のレースが組まれていまして、去年は1年を通して(障害とハイウェイトを合わせて)18鞍しか乗っていません。その中で5勝(うち障害は2勝)して、3着以内が4回くらいでしょうか。

-:18戦5勝という成績は、障害のトップジョッキーと比較してどれくらいの成績になるのですか?

川:去年の成績ですと、純粋に勝ち鞍だけでも真ん中よりは上だと思います。トップ10にはちょっと入らないですが、恐らく10~15位の間くらいだと。去年のリーディングが20勝にいくか、いかないかの辺りで、障害だけでは20勝は届いていなかったと思います。


川上鉱介

異国の地で障害ジョッキーとして奮闘を続ける川上騎手


-:騎乗数の18戦というのは少ないものですか?

川:それは少ない方ですね。トップクラスであれば年間で70鞍ほどは乗っているのではないでしょうか。年齢もあり、乗り鞍を選んで、障害だけに集中している部分はありますね。若かった頃はどんな飛越の下手な馬でも乗っていたのですが、今はなるべく自分自身で飛越を教えた馬などに集中して乗るようにしています。

-:騎乗機会は少ないとはいえ、障害ジョッキーだからこその苦労というのも、もちろんあると思います。

川:やはりケガですね。自分自身も骨折を10回以上やっていますし、股関節の軟骨が擦り減っていて、近々手術をしないといけません。それからオーストラリアの障害ジョッキーで大変なことは、1日に1開催でしか障害は行われないので、新人・若手のジョッキーでさえもみな一流ジョッキーと乗り鞍を競わなくてはいけません。その中で勝てる馬、能力のある馬に乗せてもらえる機会というのは本当に少ないのです。そういう部分は、こちらで障害ジョッキーとしてやっていく上での苦労の一つですね。ましてや、こちらでは自分は「外国人」な訳で、唯一のアジア人という理由で、どうしても地元のジョッキーや本場アイルランドのジャンプジョッキーに比べると、評価が低くなりがちなのです。

-:色々と苦労があるのですね。障害専門になってから何年くらいになるのですか?

川:10年くらいですかね。

-:それでも、デビューした頃に比べれば、一定の信頼を得ているのではないですか?

川:多少はありますが、あくまでも“ある程度”ですよ。最初の頃は本当に苦労して、障害の免許を取ってから2、3年は1回も勝てなかったですね。2年間丸々勝てなかったわけですから、「俺は何をしているのだろう」と悩みました。障害の免許を持っているのに、1回も勝っていない自分が乗っている、恥ずかしさやいら立ちを覚えたこともありました。


「正直、こちらの障害ジョッキーの収入は良くないので、やりがいを感じていないと、とてもじゃありませんが出来ない仕事ですね。それでも障害の飛越を綺麗に人馬一体となって跳ぶ時の快感というのは、本当に何ものにも代えられないです」


-:その中での初勝利は覚えていらっしゃいますか?

川:もちろんです!2007年の2月26日にボルトカッターという馬で。

-:“やっと芽が出た”という感じだったのですか?

川:勝った時は本当に泣きそうになりました。しかも、その時はハナ差での写真判定でした。自分が先に抜け出していたのですが、ゴール前で追い詰めてくる馬がいて、そのジョッキーがブレット・スコットさんというカラジで中山グランドジャンプを3連覇した騎手なのです。あのすごい水車ムチによる追い込みを何とか耐えて、という勝利でした。どんなジョッキーでも世界クラスの障害ジョッキーと戦わなきゃいけないというのはやっぱり大変ですよね。

-:それは忘れられない一勝ですね。2007年に初勝利を挙げられて、一番勝てた年はどれくらいだったのでしょうか?

川:2007年は障害だけで4勝しました。そういう意味ではすごく良い年になりました。勝ち鞍はこの年が最高です。トータルでは障害だけで8勝。ハイウェイトを合わせると、30勝近いですね。

-:決してチャンスに恵まれているとは言い難い、障害ジョッキーという役割ですが、凄くやりがいを感じていると思います。その「やりがい」というのは具体的にどのようなことですか?

川:正直、こちらの障害ジョッキーの収入は良くないので、やりがいを感じていないと、とてもじゃありませんが出来ない仕事ですね。それでも障害の飛越を綺麗に人馬一体となって跳ぶ時の快感というのは、本当に何ものにも代えられないですし、1着でゴール板を過ぎるということは、調教師や馬主さん、厩務員の方などの関係者の方の全ての努力をちゃんと結果として出すことになるので、それはやりがいだと思います。その点はどんなジョッキーでも同じだと思いますが。ただ、それは他では得られないものなので、なかなか捨てることは出来ません。

高校まで競馬を知らなかった!?

-:続いて、オーストラリアでデビューする際のいきさつについてお伺いしたいと思います。

川:最初は高校を卒業して18歳で、クイーンズランドにある日本人向けの競馬学校、QRT(クイーンズランド・レース・トレーニング)に入学しました。ジョッキーになろうという明確な目標はなかったのですが、馬が好きだったので競馬関係の仕事をしてみたいなと。入学して馬に乗っていく内に、インストラクターの方に「ジョッキーをやってみないか」と言われました。最初は平地の見習いジョッキーになろうかと考えたのですが、どうしても体重が55キロくらいから落とせなくて……。それでは軽い斤量に乗れませんので、これは将来苦労するなと思いました。騎手になることを諦めかけたのですが、その時に「障害ジョッキーだったら体重が重くても出来るからやってみたらどうだ」と言われて、とりあえずやってみようかなと。結果、障害ジョッキーに挑戦することにしたのですが、障害レースは南オーストラリアとビクトリア州しかやっていないのです。それで、南オーストラリア州のデービッド・ヘイズさんという有名な調教師の方のもとで働きながら、障害免許の取得に向けてやっていました。

-:高校生の頃に競馬を知ったということですか?

川:お恥ずかしいのですが、そうですね。競馬は子供の頃から何となくは好きだったのですが、それ以上に馬に乗るのが好きだったのですよね。

-:競馬を知るきっかけは遅くとも、それまでは乗馬をされていたのですね。

川:そうですね。しかも、ウエスタン乗りで本当に遊びという感じです。毎年夏休みに家族と一緒に長野へ旅行に行って、そこの観光牧場のような所がウエスタンスタイルだったのですが、馬に乗るのが大好きでした。そういうこともあったので漠然ではありますが、何かしらの形で馬と一緒に働けたら、とは思っていました。ただ、そういうキッカケだったので、きちんと乗馬をやった訳でもないですし、熱狂的な競馬ファンだったかと言われればそうでもないのですよ。

川上鉱介

-:18歳の時にオーストラリアにへ渡って、クイーンズランドの厩舎に行ったのは何歳の頃ですか?

川:QRTは1年半の学校だったので、その学校を卒業してから、一度ワーキングホリデーのビザ習得を挟んで、クイーンズランドのイーグルファームで攻め馬を約半年した後に南オーストラリア州にあるアデレードのリンジーパーク牧場に行って、そこで4年間働きながら免許を取って、という感じですね。

-:免許はいくつの時に取られたのですか?

川:23歳の時ですね。当時、南オーストラリア州での障害ジョッキーが足りていなかったこともあったので、すんなりと取得できました。しかし、レースはとなると、別の問題がありなかなか乗れませんでした。南オーストラリア州は障害レースが月に2回くらいしかないのです。しかも、開催期間が年に5カ月ほどしかないので、全部乗っても12鞍乗れるかどうか、というレベルです。そこで2年間やっていたのですが、どうしても騎乗機会が少ないですし、良い馬には全部ビクトリア州の一流ジョッキーが乗りますので、“これじゃダメだ”と思いましたよ。そこから2007年にビクトリア州のワーナンブールという障害で有名な競馬場に移動して、そこの新しい厩舎で働き始めました。それがアーロン・パーセル厩舎で、2009年にジノラッドという馬で中山グランドジャンプにも馬を出したことがあります。

-:一流の厩舎だったわけですね。

川:代表馬はその馬だけですが、平地の重賞も勝ったりしています。僕は優れた調教師さんだと思います。そこで6年間お世話になって働きましたね。

-:それから現在のメルボルンに来られたのはいつ頃ですか?

川:2012年ですね。30歳になったら人生を色々と長い目で考えて、勉強もしたいと思っていました。それは通訳と翻訳の勉強なのですが、学校に行くことになるので、どうしてもメルボルンでないと出来ないのです。6年間もワーナンブールで頑張りましたし、良い機会だと思ってフレミントン競馬場に本拠地を移して、朝は攻め馬に乗りながらレースがある日はレースに行って、それ以外の時は学校に行って勉強したりしていました。


「障害レースは大体、1~2鞍が多いですね。1日のレース数は日本と同じくらいで、障害レースは1~2レースしか組まれていません。そういった少ない鞍で騎乗していかないといけないですね」


-:開催がある日とない日の騎手としての1日の流れを教えていただきたいのですが、まずはない日はどのような流れですか?

川:フレミントン競馬場の調教施設が開くのが4時から9時までになります。基本的に朝の3時半くらいに起きまして、3時50分頃には競馬場に入って、4つの厩舎の内の厩舎に行って、そこからはひたすら乗り続けるという感じですね。10頭から忙しい時は大体15頭まで攻め馬をつけます。

-:レースでは乗らない馬も調教をするのですか?

川:そうですね。どうしても平地の調教師が多いので、普通のトラックライダーと同じ調教をして、その中に何人か障害もやっている調教師もいますから、その中で障害の飛越練習も混ぜたりしています。

-:オーストラリアの飛越練習とはどのようなメニューですか?

川:正直、フレミントン競馬場の障害練習の施設が物足りないのです。小さな丸太がいくつかあって、あとはハードルしかありません。まずは丸太で少しずつ自信を付けさせてから、自信が付いたらハードルを飛ばせる、という流れですね。しかし、もう少し段階を踏んで障害の飛越をさせる練習施設があったら、もう少し教えやすいのですが、そこは残念なところですね。

-:競馬開催がある時はどのような流れですか?

川:競馬開催の時はもちろん9時頃まで調教に乗るか、行かなくてはいけない時は早めに上がらせてもらいます。障害レースや障害ジョッキー用の平地のレースは遠方が多いので片道2~3時間、自分で車を運転して、大体レースの1時間前には競馬場入りしています。それで用意をして、乗り終わったら帰ってくるという感じですね。

-:障害レースは原則1日1鞍なのですね。

川:大体、1~2鞍が多いですね。1日のレース数は日本と同じくらいで、障害レースは1~2レースしか組まれていません。そういった少ない鞍で騎乗していかないといけないですね。

-:話を聞いている分には歯痒い気もしますが、それでもやりがいがあるのですか?

川:やっぱり厳しい現実はあります。それでも、自分が楽しく自分の好きなことをやっていられるので、そういう意味では自分は恵まれていると思っていますよ。

川上鉱介騎手インタビュー(後半)
「騎手・川上の二足のわらじ」はコチラ⇒

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