関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

小林慎一郎調教助手

騎手生活12年で通算59勝を挙げ、31歳でムチを置いた小林慎一郎元騎手。現在は音無厩舎の調教助手として活躍しているが、その経歴を辿れば苦難の騎手人生だったことは想像に難しくない。引退した今だから話せる当時の苦難、よきパートナーであったグロリアスノアとの信頼関係など、ここで語らずしては表に出ないエピソードを、素のままでインタビュアーに答えてくれた。

12年の騎手時代を振り返って

-:では、2000年3月1日付で、中尾謙太郎厩舎所属としてデビューしましたが、その頃の話から振り返ってもらえますか?

小林慎一郎調教助手:何か、あんまり覚えてないんですけどね、短過ぎて。騎手になって間もなくて、新しいことが多過ぎて、目まぐるし過ぎて、という感じで。それで、中尾厩舎の解散は、僕の減量がとれた、4年目の時だったと思います。

-:あの頃の中尾謙太郎厩舎はどのような馬がいましたか?

小:(東京大賞典をはじめ、幾多の重賞を制した)キョウトシチーとかが、まだいましたね。初年度で思い出があるのはイブキハイシーザーという馬で、障害のオープンに乗せてもらいましたね。

-:その後は昆厩舎に所属しましたね。

小:はい、そうです。中尾厩舎が解散になって、フリーになろうかなと思っていた時、ちょうど解散になる前ぐらいに昆先生から話があって。まだ、フリーでやっていく自信もなかったですし、4年やると何となく自分の立ち位置が見えてくるというか、フリーでやれるような実力もない感じだったので。

-:でも、あの頃、年間10個ぐらいは勝っていて。

小:減量があるからということはよく分かっていたんで。恩恵でというのが。



-:お父さんとは違う感じですか?

小:まあ、そうですね。親父(小林常浩元調教助手)とは多分、違うタイプの人間だと……。

-:あの頃の昆厩舎と言えば?

小:交流重賞2勝などのアルアランとかが走っていましたね。

-:いましたね、アルアラン。でも、減量がとれてから、本来の騎手としての特徴が出るというか。それで減量がとれてからはどうでした?

小:厳しくなりましたね。その中でも昆先生は減量がとれて、ちょうど2年目ぐらいの時でしたけれど、何とかちょこちょこ乗せてくれましたし、オースミの馬で1個勝たせてもらいました。

-:所属期間は短かったですね。

小:結構、事務仕事とかも手伝ったんですけど、それがドンドン僕の方に負担になるような感じになってきたので、それなら、ちょっと、ということで。障害の方でも頑張って行くということで、夏ぐらいにフリーにさせて下さいと、辞めさせてもらったんです。

-:減量がとれて、障害ジョッキーで稼いでいこうという気持ちで?

小:障害の方でも頑張ろうかなと。それで、新しい厩舎でも開拓できたら良いかなというのはあったんです。

記憶に新しい矢作師との師弟関係

-:そこからフリーになって、その後、矢作厩舎に。新しいファンなんかは“矢作厩舎の小林慎一郎”というイメージが染み付いていると思うけれど、矢作厩舎はどんな厩舎でしたか?

小:昔から親父が矢作先生と仲が良かったんです。菅谷厩舎にいた頃から矢作先生を手伝わせてもらって、乗せてもらったこともありますし、厩務員さんの時にね。この流れで開業当初から、僕はまだ、フリーでしたけれど手伝わせてもらって。多分、評判通りというか、昔からあんな感じなので。

-:でも、何か昔から知っているとやりにくい面もありませんでしたか?やっぱり立場も変わる訳ですから。

小:そうですね。僕はやっぱり師匠だから、一歩引いた所で対応というか、先生と付き合わないとアカンというのはあったんですけれど、先生は「もっと来いよ」みたいな。

-:「何で、お前、そんなにヨソヨソしいんだ」みたいな。

小:そうそう、そんな感じで。だから、もっとフレンドリーにできたら、僕も良かったんでしょうけれど。今更、師匠と弟子で、昔みたいな感じには戻せないから。仕事は仕事ですからね。その辺は違うこともないかもしれないですけれど。付き合い方としては違う付き合い方があったのかもしれない。僕としてはやっぱり師匠と弟子でやっていて、それはちょっと寂しいかな、という時もあるけれど、それはそれで良かったんちゃうかと。

-:そういう先生との人間関係以外にも、矢作厩舎と言ったら、初めから良い馬がいて。

小:血統とかはそんなにでもないんですけれど、なぜか走るというか、そういうイメージがありましたね。



-:しばらくすると社台系の馬も入るようになり。一気にトップ厩舎に昇りつめましたね。その中で調教には多く跨っていましたけれど、乗る馬の質も一気に上がった訳ですか?

小:そうですね、はい。

-:何か、心配することとかありましたか?馬を壊したらいけないとか。

小:う~ん、そういうのはあんまりなかったですね。

-:調教パターンが変わったというのは?

小:そういうのがあると、逆に不安があったかもしれないですけれど、最初からやっていることは一緒というか……。

-:坂路中心の厩舎だったから、逆に良かったと?

小:最初からずっと同じような感じで手伝わせてもらっていましたね。

-:矢作厩舎はファンとの接点というか、インターネットで展開していて、スタッフの人がブログを交代交代に書いたりしていますよね。

小:ええ、やっていましたね。

-:小林慎一郎騎手も書いていた訳ですか?

小:はい。「グロリアスノアでドバイに行くから」という話になった時に。でも、あの時ぐらいですよ、やっていたのは。

小林慎一郎調教助手(元騎手)インタビュー(後半)はコチラ→

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【小林 慎一郎】 Shinichiro Kobayashi

父は元調教助手で現在はライターの小林常浩氏。2000年、中尾謙太郎厩舎所属の騎手としてデビュー。1年目には14勝をマークし関西放送記者クラブ賞を受賞した。 その後、所属先を転々として、矢作芳人厩舎の所属に。グロリアスノアとのコンビで名を馳せると、2010年には同馬とのコンビでドバイのゴドルフィンマイルに騎乗。自身にとっても、国内を含めて、初の平地騎乗を海外で経験する貴重な機会を得た。 2012年12月20日を最後に騎手を引退。現在は音無秀孝厩舎の調教助手として、クラシックに挑むアクションスターなどの育成を手がけている。