大和屋暁氏インタビュー

●クラブ馬主2年目でハーツクライを所有


-:本日はお忙しいところ、よろしくお願い致します。まず、大和屋オーナーが競馬に携わったキッカケからお聞かせいただけますか?

大和屋暁氏:よろしくお願い致します。子供の頃から競馬好きだったのですが、高校生ぐらいの頃、オグリキャップが活躍していたあたりから、本格的に競馬を見始めるようになりました。ちょうど競馬ブームも来て、盛り上がっていたし、基本的に僕は飽きっぽい性格なのですが、競馬だけは止めずに続けていたんです。そこで、ある日、知り合いに「一口馬主をやれば?」と言われて、「じゃあ、やります!」と言って、一口馬主を始めたところ、当たりを引いたり、外れを引いたり……。

-:その中でも“当たり”がハーツクライだったと。ハーツクライのお話は、後ほどお聞かせいただくとして、その他の当たりはありましたか?

大:そこまで大きなものはないですね。始めた頃は急死してしまうような馬もいて、「社台さんのクラブがいいんじゃないか?」ということになり、社台さんを始めて、2年目に買った馬がハーツクライだったんですよ。最近でもクラブの出資は続けていて、重賞などで目立った馬はいませんが、リフトザウイングスや、リングネブラ、マトリックスコードなどハーツの子を毎年買わせていただいてます。

-:でも、早々にハーツクライを引けたことが凄いですよね。そこから、馬主になろうと志されたというか、決意をされるまでの経緯も教えてください。

大:まあ、前から馬主になりたい気持ちはありましたし、馬主になるために仕事を頑張ってきた面もあります。それでも、ハーツクライの引退は突然決まったじゃないですか?ジャパンカップを終えたら、ノド鳴りだったということで、突然、現役を退いてしまったのでね。その後、出資者向けのパーティーがあって、その時に周りの方々のお話を聞いてたら、“馬主になって子供を買うしかない!”と決意して。その時にも周囲の方にコメントを求められて、そう、口にしました。有言実行ですね。

(続けて)

「やります」と言ったら、社台オーナーズの岡本さん(東京事務所所長)が横にいらっしゃって、「じゃあ、手続きをしましょう」と言ってくれたので、「お願いします」と。昔から社台サラブレッドクラブで、馬主になる手伝いをしてくれるシステムがあったんですよ。それで全てやってもらえたんですね。岡本さんありがとうございました。

●競馬界では異色の職業


-:馬主さんになるには、資金的な面などを考えても、本業のほうも大事であると思います。個人的には、あまり大和屋オーナーの職種方面に詳しくはありませんが、今のお仕事に足を踏み入れるキッカケはどんなものだったんですか?

大:僕には師匠がいまして、その人が父親の知り合いなんですけれど、それが縁で師事させてもらって、ライターになることができたんです。

-:ライターさんというと、我々からするとわからない世界なんですけれど、どういった仕事なんですか?

大:シナリオライターですね。脚本・シナリオを書くんですよ。オリジナルの場合はお話を作って、原作のあるものは膨らませたり、カットしたり、直したりして、決まった放送時間の枠に収めたりしています。それで、一所懸命頑張って、お金を貯めて。

-:何歳頃から、そのお仕事をやられたんですか?

大:20代の真ん中あたりぐらいですかね。そこから、何とか……。ソコソコ来られましたね。

-:『銀魂』が代表作ということでよろしいですか?

大:そうですね。間違いなく代表作のひとつです。映画『劇場版銀魂完結篇 万事屋よ永遠なれ』が上映中です。劇場で是非ご覧ください(笑)。

-:ジャスタウェイ(牡4、栗東・須貝厩舎)、オツウ(牝3、栗東・須貝厩舎)、パンデモニウム(牝2、栗東・須貝厩舎)も全て銀魂のキャラクターに由来する名前ですよね。最近、アニメを見る機会がなかった分、ちょっと疎かったんですけれど、これから後追いですがトライしてみようと思います。

大:ええ、DVDを買って下さい(笑)。お陰様で馬のことも番組のことも「見てる・知ってる」って言ってくれる人が増えてくれたのは嬉しい限りです。

●ハーツクライは“もどかしさ”の馬


-:また、競馬の話題に戻らせていただきます。一口馬主でハーツクライをされて、現在、所有されている馬もハーツクライ産駒。大和屋さんから見たハーツクライの魅力とはどこに感じますか?

大:歯痒い感じじゃないですか。いつも届かなくて2着で。見ていて、常に惜しいし、競馬場に見に行った時も悔しい思いをさせられました。きっと、子供にも遺伝してますよ。周りを見渡すと、ウチの子をはじめ、結構、2着が多いんですよね。

-:ウインバリアシオンも日本ダービー、菊花賞と2着。キョウワジャンヌの秋華賞2着とか、ジャスタウェイと同じ須貝厩舎のコレクターアイテムも、昨年の阪神ジュベナイルフィリーズでは強い内容をみせながらも4着で。

大:どこか不器用というか、後ろから行かざるを得ない感じですよね。ウチの子だけじゃなく、その分末脚が強烈という部分のあるのですけれど……。早くハーツクライ産駒がG1を勝ってほしいと願っています。

-:大和屋さんはハーツクライを通して、長い間、競馬を観てこられたと思います。ハーツクライ産駒の特徴とか、適性はどういったモノを感じますか?

大:やっぱり、2着が多いということじゃないですか。それと、ハーツクライ自身がガニ股じゃないですか。これも物凄い特徴ですよね。今、思えば最初の頃にジャスタウェイを安く買えた理由は多分、ソコなんじゃないかと最近は思い始めてますね。ジャスタウェイは脚が外向だったんですよ。結局、競る相手もいなかったから、安く買えたんだと思うんです。

-:ハーツクライも当初は脚の形で、「とてもじゃないが走らない」みたいに一部で言われていた感じでしたね。

大:だから、コーナーを曲がるのがあまり上手くないと聞きますね。

-:もしかしたら、G1で差し切れないのも、そういうところに出ているのかもしれないですね。

大:ただ、それを買う側、ハーツクライ産駒を持つ側から言うと、(父に)似てるというのは良いことじゃないですか?よく「父に似ている産駒は走る」といわれるようにね。だから、良かったなと思ってるんですけれど、最近はバレてきたのか、この前のセレクトセールでも……(値段が跳ね上がって)。まさに“みんな知っている”という印象を受けました。

-:セレクトセールは、人気の割にそんなに上場されている数が多くなかった印象がありますね。

大:確か当歳の時に怪我をしたんですよね。一時期、種付け出来なくなって。

-:そうだったんですか。ちなみに今は3頭がデビューされていて、それ以外にこれからデビューを予定している馬は持たれているのですか?

大:持ってないです。でも、心臓麻痺や腰フラでデビューが出来なかった馬は2頭いたのですが……。

-:今年のセレクトセールでは、落札できる馬がいなくて、上手くいかなかった部分もありますけれど、今後の所有数はどれぐらいを見込んでいるのですか?

大:大手の馬主さんのような資金力もないので、とりあえず、来年にデビューする馬は(0頭で)仕方ないと思ってます。

-:それでも、今後もハーツクライ産駒にこだわっていくつもりですか?

大:それはもう勿論です。もう、そういうことになってしまってるので(笑)。

-:ただ、拘りとしても、いつかはハーツクライの種付け頭数にも左右される部分はあるでしょうし、オプションとしてはハーツクライの下が出てくれば?

大:それもありますかね。そういう時は母父ハーツクライなんかも。夢が広がります。

-:ファンからもそういうイメージの馬主さんと認知されてしまっていますもんね。

●王道に可能性あり


-:大和屋さんは東京に住まれていて、関西だと足を運ぶのも手間が掛かることがあると思います。関西に馬をおかれる理由はお持ちですか?

大:それは僕の個人的なイメージですけれど、関西馬の方が強い印象があるからですよ。

-:単純に?

大:ええ、可能性の問題じゃないですか。

-:自分でトレセンに見に行ったりはされていますか?

大:走る時は必ず競馬場には行ってますよ。トレセンは1回だけ見学に行きましたね。

-:そこら辺はやっぱり、スケジュールはつけやすいお仕事なんですか?

大:そうですね。土、日は打ち合わせがないので。大体、打ち合わせの日までに原稿が上がっていれば良いんですよ。だから、ずっと宿題を出されている感じで。いつやっても良いんです。

-:じゃあ、ある程度は出ると決まっていれば、それまでに終わらせておく感じで?

大:そうです。以前、「今週は競馬があるので、ちょっと許して下さい」みたいなことを言ったら、苦笑いをされましたけれどね(笑)。

-:東西所属のお話もそうですが、基本的にセレクトセールにはこだわっていますよね。そのポイントはありますか?

大:こだわっていますね。それも可能性の話で、馬を持つ以上は走る馬を欲しいじゃないですか。やっぱり、選ばれた馬達が集まってますよね?その中でも社台・ノーザングループは出走するまでの過程・育成システムが、他とは違うんじゃないかなと、僕は思うんですよね。施設も、スタッフも、すごく教育が行き届いている感じじゃないですか。(ノーザンファーム)しがらきに行ったことがありますか?

-:いえ、ありません。

大:すごいですよ、坂路。あれを見た時に“すげえ……”と圧倒されました。

-:余談ですが、私は少しだけ吉澤ステーブル(WEST)は行かせていただきました。ジャスタウェイも前回はあそこに出ていたんですよね。

大:そうなんです。ジャスタウェイはこの前、吉澤ステーブルに出して、すぐに結果を出してくれたましたね。あれは中日新聞杯が終わった直後に須貝先生が「あそこには遊ばせる場所があるから、吉澤ステーブル(放牧)に出してもいいか?」と聞いてきてくださったので、そちらに放牧に出すことになりました。その間も、本当に須貝先生はちょくちょくジャスタと遊んでくれていたようで、それが良かったのかもしれません。……あ、さっきと言ってることが違いますね。吉澤ステーブルさんも、とても良い施設だと思います。すみません。

-:エプソムCの前に出されていて、その中間で馬体が増えて帰ってきたのが、担当する榎本助手も好材料だったと口にしていましたね。

大:そうですね。成長しているという意味でね。僕もちゃんと競馬ラボの競馬ラボの榎本さんのブログを読んでますよ。あの時は“手応えがある”という風に読み取りましたし、それは毎日王冠の時も言っていましたよね。いつもちゃんと榎本さんの声はチェックしているんです。