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[調教師]岩元市三:2000年テイエムオペラオー
続いてお送りするのは2000年に有馬記念を制したテイエムオペラオーのエピソード。同年は8戦8勝、うちG1は5勝というのだから、その成績は比類なきものだ。残念ながら今年5月に心臓麻痺で死去してしまったが、かつてのトレーナー・岩元市三元調教師は予期せぬアクシデントがあったという有馬記念当日、名パートナーに対するラストメッセージを特別に語ってくれた。
レース当日の朝にアクシデント それでも勝ったテイエムオペラオー
-:2000年に有馬記念を制したテイエムオペラオーですが、有馬は3回使われましたね。
岩元市三元調教師:3歳、4歳、5歳と使ったな。
-:まず3歳の有馬記念ですが、菊花賞の後ステイヤーズSを挟んで有馬記念に向かわれました。エピソードはありますか。
岩:ステイヤーズSは勝たないといけない競馬やった。菊花賞で2着に負けて、とにかく勝たないといかんということで、勝てるレースを選んで使ったのがステイヤーズS。ところが横山(典弘)くん(ペインテドブラック)にやられた(笑)。斤量差が2キロあるとはいえ、勝てると思っていたけどな。
-:3歳の頃は皐月賞を勝ちましたが、それ以降勝ちから遠ざかっていましたね。
岩:それもあって、メンバーもそこまで揃ってないからステイヤーズSを使ったんだよ。本当はその後に有馬記念を使うつもりはなかったんやけどな。オーナーさんが有馬を使おうということで行ったんやが、いま考えればあの馬は丈夫やったね。めちゃくちゃなローテやろ(笑)。グラスワンダーやスペシャルウィーク相手に、あそこまでに接戦になるとは思わんかった。予想以上に走る馬だと思ったよ。大した馬や。
-:決して馬格に恵まれているわけではなかったですよね。どこにスタミナを隠していたのでしょう。
岩:心肺機能が良かったんや。現役時代から競走馬診療所が心電図の機械を付けて追い切りをやったことがあるけど、すぐに回復したことがあってな。「心臓が普通の馬より1.5倍ある」と言われたこともあるよ(笑)。
▲今年2月に調教師を引退した岩元市三元調教師
引退間際まで管理馬の調教に乗り続けたことでも知られる-:そして、2000年は年明けから連戦、連勝でした。
岩:あの馬が一番強い時やったね。京都記念はメンバー的に勝てると思ってた。
-:その京都記念もナリタトップロード、ステイゴールドが相手でしたね。
岩:それでも勝てると思っていたよ。
-:そこから充実期に入って、この年は1年間無敗、8連勝を挙げましたね。
岩:京都記念に力が入ったのと、有馬記念だなぁ。
-:その有馬記念はレース当日の朝にアクシデントがあったそうで…。
岩:いまだから言うけどな、暴れて頭を打って、眼は腫れて、鼻血は出すしな。これどうなるかなと思って。朝に普段診てもらっている獣医さんに来てもらって、これは鼻出血じゃないから(大丈夫)っていうことになってさ。
-:怪我をしたまま走ったと。
岩:怪我っちゅうかな…(苦笑)。
-:顔をどつかれたみたいなもんですよ。取り消しということもあったわけですね。
岩:そういうことになるかと思ったな。鼻血が出ているからな。連絡が来て「ええっ!?」ってなって。
-:その頃はまだ中山に着いてはいなかったんですか。
岩:いやいや、まだ栗東だよ。だから一緒に獣医さんを連れて中山にいったんだ。
-:普通の馬なら気持ちが折れちゃうんじゃないですか。
岩:やっぱり神経がたかぶっていたんだろうな。あんなことしたことない馬だもん。向かいの馬が何かあって驚いたかどうか。それで立ち上がって、天井が低いからな。朝早くだから、手入れとか運動とかで、原因は分からないけども。何かあったんじゃないか。
-:朝から大事件が起きていたんですね。
岩:そうやなあ。よく来てくれたで、本当に。
-:8連勝が懸かっている時の1番人気ですから。1.7倍でした。
岩:やめること(出走取消)もあったかもしらない状態やからな。
-:そして5歳シーズン。いきなり大阪杯で負けてしまいましたね。
岩:その時はそこに行くまでにいわき(福島県)の温泉に出していたんだ。俺が温泉好きだから(笑)。そうしたら、その年は物すごい雪が降って。1週間前から出せなかったんだ。あそこには人や設備もないから。ここならプールとかいろいろとやれるけど。こっちに帰ってきてもピリッとせんかった。大阪杯は「アカンやろ」と思って使っていたわ。そうしたらやっぱり走りもおかしかったからな。気合乗りというか、もうひとつハリも欠けとったな。一番馬が良かったのは4歳の秋やな。
-:天皇賞・秋やジャパンCですね。
岩:あの辺が一番良かったわ。あれから見たらちょっと足りなかったね…。
-:でも、次の天皇賞・春は制しましたね。
岩:あれは能力やね。距離も長いところが得意なわけやし。あれは力で勝った競馬や。
-:その後、宝塚記念で初めてメイショウドトウに負けてしまいまして。
岩:ドトウは前の年の宝塚記念から走りだしたんだよな。あの時は人気がなかったね。まあ、宝塚の時は仕方がない。ドトウが力をつけてきたということだったね。
-:先生のなかでも、4歳の充実期よりは5歳になってからは、ちょっと一枚落ちるなという印象はあったんですか。
岩:一枚まではいかなくても、若干、足りないところはあったな。生き物だからな。いつも、いつもいいというわけにはいかないね。
-:そして、天皇賞・秋2着、ジャパンカップも2着。引退レースの有馬記念なんですけれど、当時の感触はどうでしたか。
岩:成績ほどは悪くなかった5着だったけど。まあ負けたんだから、少し衰えもあったんだろう。
今年5月に逝去 不出世の相棒へ
-:トレセンで調教をしている時のエピソードはどうでしょうか?
岩:俺もたまに乗っていたけど、500の馬場あるでしょ。あそこに行ったら原口(政也厩務員)を落とすんだ。和田(竜二騎手)もあそこで落ちたことがある。俺はなかったけどな(笑)。しがみついていたから。アイツは落とすのが上手なんだ。そして、落とした後も他の馬とは違う。トコトコと自分の厩に帰るんだよ。原口をからかってる(笑)。
-:その頃は、原口さんはトレセンに入ってまだ間もない頃ですね。
岩:2、3年だったかな…。やっぱり頭は良かった馬だね。走る能力は頭に関係するという人もいるしな。
-:オペラオーがそこで人を落とすのを覚えたというのは、何か嫌な思い出でもあったんですかね。
岩:競馬を使った後は、よく楽をさせるために500の馬場によく行くでしょ。その時に落とすんだからな。あそこは少し危ない作りは作りなんだ。歩いて行く時にキャンターも来たりするしな。そういうのを見て、クルッと回るともう…。「クルッと回られた」と言っていたもんな。回られただけならいいけど、ちょっと沈んで回られたらポロンと落ちるんだ(笑)。でも、落としたからといって、喜んでバーッと行くわけでもない。
-:馬は大きなケガもなかったですね。
岩:うん、ただ爪が少し悪いところがあった。蹄鉄が少し緩みやすい。蹄壁が少し脆いほうだったんだな。一回、鉄心踏んだことがあって、アワ食ったことがある。爪は怖いで。すぐに湿布して注射を打って、抗生剤入れて手当できたから良かったけど、あれを夜中にやられたら、ばい菌が入っていた。油断はできなかった。
-:厳しいローテーションで、よく頑張ってくれましたね。そして、残念ながら今年の5月17日に亡くなってしまいましたが、連絡を受けた時はどんなお気持でしたか。
岩:元気だったから本当にビックリしたな。ただ心臓の話というのは、割とあるもんな。心臓を鍛えるから、やっぱりどこかでそういう影響が出るんだろうな。
-:心臓が大きかったオペラオーでも、それだけ負担をかけていたということですね。
岩:心臓麻痺で亡くなる馬って、けっこう多いよね。夏の方が多いか。
-:何かお別れの言葉は。
岩:秋の天皇賞が終わったあとかジャパンCの前か、坂路で俺が後ろから付いて行って、あれが後光が差すというか、「凄い馬になったな」と原口に言うたよ。それが思い出やなぁ。いろいろあるけど。
-:先生にとって有馬記念とはどんなレースですか。
岩:あまり自分で乗ったことがないから何とも言えんけど、有馬記念は関西の俺らのレベルじゃ用事がなかったもん(笑)。
-:G1の中でも格の高いレースですからね。そこを勝った時の心境は。
岩:G1を勝った時の喜びは皐月賞の時やな。G1を勝つのは初めてやったし。調教師は調子を良くして、いい状態で出すというのが仕事やからな。結果は勝ったら嬉しいけど、それだけに熱を入れとったから。
-:動物ですから、いい状態にしようと思っても、胸を張って「今日はいいぞ」というのは少ないはずですから。
岩:何も心配がないという状態やな。ちょっとでも心配があったら馬は走らんで。「これはいい」と力を入れるのではなく、何も心配なく出せるというのが一番。
-:古馬の中距離G1を全部勝ったのはオペラオーだけです。
岩:あの記録は残るやろ~。
-:簡単にできることじゃないですね。
岩:今は大事、大事というか。アーモンドアイも有馬記念は使わんていうしね。
-:どんどん強い馬が出てきますが、オペラオーの強さもファンに伝えないといけませんね。
岩:何せ馬券に絡んだから偉いわ(笑)。
-:凄い馬でしたね。馬体の凄さとかではなく。心臓は強かったんでしょうけど、気持ちが強かったんでしょうね。
岩:そうやなぁ。馬も精神力というのは大きいで。能力があっても競馬に行ってダメな馬もおるやろ。やっぱり心やで。それは乗っとって分かる。調教の良さの出ないというか。オペラオーは終わってからでも堂々としとったわ。
-:肝が据わって、自分が大将と。
岩:それが分かっていたかもしれんな。デビューの時からレースが終わってもバタバタせんかった。心技体やね。
-:ありがとうございました。
-:やっぱりオペラオーは、岩元先生の、岩元厩舎では最高傑作ですか。
岩:JRAの最高傑作級やろう(笑)。繁殖牝馬に恵まれたら、子供ももう少しいい馬を出していたはずだよ。
-:こんなJRAの宝みたいな馬を管理できて幸せでしたよね。
岩:いい思い出や。
-:1000万円でセリに落とされて、収得賞金18億円ですか…。
岩:きれいな馬やったな。尾離れのいい馬で…。
有馬記念・勝者に聞く「勝ち方」
最終回はゴールドシップに騎乗した内田博幸騎手を公開いたします!
プロフィール
【岩元 市三】Ichizo Iwamoto
1947年10月30日生まれ。鹿児島県出身。中学卒業後、大阪に就職し、園田競馬場で見た騎手という興味を持ち、布施正厩舎に弟子入り。入門から7年後の1974年3月に26歳で騎手デビュー。1979年の阪神3歳Sをラフオンテースで勝ちG1級レース初勝利。1982年にはバンブーアトラスでダービーを勝つなど、1989年の騎手引退までに重賞29勝を含む578勝。最後まで前に食らい付くレーススタイルから『マムシの市ちゃん』の異名で親しまれた。1989年に調教師に転身。翌1990年の小倉3歳Sを幼なじみの竹園正繼氏が所有するテイエムリズムで勝って重賞初制覇。1999年に同氏の所有馬でテイエムオペラオーで愛弟子の和田竜二騎手とともにG1初勝利を挙げた。テイエムオペラオーの他、ポレールで中山大障害を3勝するなどJRA通算497勝を挙げ、今年2月に定年のため調教師を引退。