関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

高山太郎騎手

高山太郎騎手×高橋摩衣


-:本日は今月末で騎手を引退される高山太郎騎手にお話を伺います。

高橋:よろしくお願いします。

高山:よろしくお願いします。

高橋:1月31日付けでジョッキーを引退されますけど、今のお気持ちはどんな感じですか?

高山:そうですね。未練はありますけど、悔いは無い、という感じですね。今週土曜日が最後になりますけど、もう目一杯やりますよ。

高橋:吹っ切れていますね。

高山:まあ、納得して辞める形です。気持ちはスッキリとしていますよ。でも、昨日騎手仲間が送別会を開いてくれたんですけど、それでちょっと騎手を辞めたくなくなっちゃいましたね、正直(笑)。先輩から後輩から凄く大勢集まってくれてさ、今まで騎手をやって来て本当に良かったな、と思いながら「みんなと一緒にレースを出来なくなるのか」って寂しくてね…。

高橋:そういう未練はどうしても残るでしょうね。

高山:レースで勝った時や、馬の上での緊張感とか、騎手にしか分からない「騎手をやっていて良かったな」って思える時があるけど、それが味わえなくなるっていうのは寂しいですよ。馬のリミッターを外して騎乗するのも騎手だから出来た事ですし。

高橋:リミッターを外す、ですか。

高山:調教では引っ張って乗らないといけないような引っ掛かる馬でも、レースの時は引っ張らなくてもいいんですよ。危ない場面とかは別ですけど、レースの時は速く走るための乗り方をするわけですから。そういうのが無くなるのがね…。競馬場で注目されるのも、やっぱり馬と騎手ですしね。パドックに応援幕を張ってもらったり、ファンから応援してもらえるのも嬉しかったし、その辺にも未練はありますよ。

高橋:そして今週、いよいよ最後の騎乗になりますけれども。

高山:もう後は競馬を楽しむだけですよ(笑)。引退しようと決めてからは、何て言うのかな…一戦一戦大事に乗るようにして来ましたね。今までも大事に乗っていましたけど、引退を決めてからは毎レース「これが最後だ」と思うようにして乗っていましたから。もしかしたらケガをしてその先乗れなくなってしまうかもしれないし、悔いの無いように乗ろうと思ってレースをしてきました。

高橋:実際に引退を決めたのはいつ頃だったんですか?

高山:考え始めたのは1年前くらいだったけど、ずっとどうしようか悩んでいましたよ。「辞めるのは簡単だけどなあ、辞めたら免許はもう一回取れないんだよな…」って。競馬に参加していればいつか勝つ事だってあるかもしれないし。でも「この先に勝ちっていうのが本当にあるのかな」っていう思いもあるし。また、乗り方も、しばらく勝っていないと勝ち方を忘れちゃうというかね。ポンポンと勝っていた時は積極的に上手くレースを運べていたのに、もうちょっと攻めても良かったんじゃないかなというレースが増えたりして。そうやっていろいろ悩んだ末に、結局引退しようと決めて、去年の暮れに佐藤先生に話しました。



高橋:まずは師匠の佐藤先生に伝えたんですね。

高山:師匠に話したら本当に覚悟が決まるからね。親に言っただけなら「やっぱり続ける事にしたよ」とか言えるけど(笑)、先生に伝えたらそうはいかないし。ずっとどうしようか迷っていたけど、先生に伝えて、本当に引退する気持ちが固まったのかな。

高橋:周りの反応はいかがでした?

高山:後輩は「嘘でしょ?」ってビックリしていましたね。親父はちょっと寂しそうだったかな。

高橋:高山さんはお祖父さんが調教師、お父さんも騎手という競馬一家に生まれて、小さい頃から馬は身近な存在だったんですよね。

高山:厩にもしょっちゅう行っていましたしね。僕は「トレ子」ですから(笑)。

高橋:「トレ子」(笑)。高山さんが騎手になろうと思うようになったのは、そういう環境が大きかったんでしょうね。

高山:そうですね。

高橋:お父さんが騎手で、その姿に憧れて騎手を目指したという事はありませんか?

高山:うーん、親父がレースで乗っている姿は見ていたし、カッコ良いと思っていたけど、どちらかというと、自分が馬に乗るのが本当に楽しくて「騎手になりたい」と思うようになったかな。

高橋:そうなんですか。

高山:小学生の時から乗馬を始めていて、馬そのものも好きだし乗るのも好きだったんですよね。一緒に乗馬をやっているのも皆トレセンの人ばかりで、そういう環境の中で自然と「ジョッキーになりたいな」というふうになっていきました。

高橋:では、もう進路も競馬学校一本、という感じで。

高山:そう。でも、中学3年の受験の時に、乗馬で落馬して足を骨折しちゃってね。それでも一応試験は受けたんだけど、やっぱりそういう状態じゃ力も出せないから結果はダメでしたね。それで1年間高校に行って、また競馬学校を受験して。その時は頑張りましたよー(笑)。今までの人生で一番頑張ったかもしれない(笑)。

高橋:アハハ(笑)。頑張った甲斐もあって、競馬学校に入学されて。そして1994年にデビューですから、約16年間の騎手生活になったわけですね。

高山:早かったね!振り返ると、本当に早かったと思いますよ(笑)。

高橋:数々のレースに乗ってこられましたけど、一番思い出に残っている、嬉しかったレースはどのレースになりますか?

高山:やっぱりヘッドシップで勝ったカブトヤマ記念ですね。重賞を勝って嬉しいというのもあったけど、自厩舎の馬で勝てたっていうのが凄く嬉しかった。よく師匠の佐藤先生から言われていた「馬を最後まで追え」というアドバイス通りのレースが出来た、という気持ちもあってね。…本当に嬉しかった。

高橋:それは嬉しいですよね。師匠の佐藤全弘先生も喜ばれたでしょうね。

高山:そうですね。



高橋:先生はどんな方なんですか?

高山:仕事に関しては厳しい先生ですね。でも仕事をきちんとやって、仕事と遊びとメリハリをつけてやっていれば、その他の事は特に何も言われないですよ。まあ、僕が若い頃は遊び過ぎて怒られる事もあったけど(笑)。

高橋:そうなんですか(笑)。

高山:デビューした時は師匠や身内のおかげで良い環境だったから、結構勝たせてもらっていて、そこでおごっちゃったのかな。まあ、若さが出た、という事でね(笑)。でもそういう時、師匠に注意される事で「ちゃんとしなきゃな」と思いましたよ。僕の場合は、父も祖父もこの社会にいるわけですから、僕が変な事をすれば身内にも迷惑がかかりますしね。やっぱり最初のうち3年くらいはピシッとやって、騎手としての土台が出来ないとダメですよ。遊ぶのは後からいくらでも出来るんだから。

高橋:後輩ジョッキーにそのようなアドバイスをされたりはするんですか?

高山:しますよ。まあ、どの程度聞いてくれているかは分からないけど(笑)。僕も昔、同じような事を言われていた頃には、アドバイスを聞いてはいても、行動が伴なっていたかといえば怪しいから(笑)。人のアドバイスを活かした行動が出来る人というのは凄いと思いますよ。

高橋:なるほど。えー、高山騎手の今後ですけれども、2月1日からは松山康久先生の厩舎で助手になられるんですね。

高山:そうです。一流の厩舎から声を掛けてもらえたのは、馬乗りとして嬉しいですよ。調教助手はなかなか表には出にくいですけれど、競馬を裏で支える大事な仕事ですし、松山厩舎のスタッフとして恥ずかしくない仕事が出来るように勉強していかないといけないと思っています。

高橋:新しい人生のスタートですね。

高山:騎手から助手に替わりますけど、好きな仕事が出来るっていうのが一番良い事ですよ。もともと馬が好きでこの仕事を始めて、これからも馬の上にいられるわけだし。自分に合った「やりたいな」っていう仕事をやれているのは、本当に幸せな事じゃない?

高橋:そう思います。

高山:今度は馬を育てる側で夢を追いかけて行こうかな、と。

高橋:応援しています。

高山:騎手を辞めたら話しかけてくれなくなったりして(笑)。

高橋:そんな事ないですよ(笑)!では、インタビューはこの辺で。最後にファンにメッセージをお願いします。

高山:楽しかった騎手人生の集大成として、土曜日も思いっきり楽しみたいと思います。高山太郎という騎手をみなさんに覚えていてもらえるように一生懸命乗りますので、応援よろしくお願いします。

高橋:期待しています。高山騎手、今日はありがとうございました!




【高山太郎】 Taro Takayama

1975年茨城県出身。
1994年に美浦・佐藤全弘厩舎からデビュー。
JRA通算成績は142勝(10/1/26現在)
初騎乗:1994年3月 5日 2回中山3日3R フレンドシップ(3着/14頭)
初勝利:1994年3月26日 3回中山1日3R ドウカンパレード


【重賞成績】
・00年カブトヤマ記念
ヘッドシップ号

デビューした94年に25勝をあげ、民放競馬記者クラブ賞を受賞。00年にヘッドシップ号でカブトヤマ記念を制し、初の重賞タイトルを手にした。2006年フリー転向後も、所属していた佐藤全弘厩舎との関係は変わらずに続いた。2010年1月30日、中京競馬での騎乗を最後に騎手生活にピリオドを打つ。



高橋摩衣

生年月日・1982年5月28日
星座・ふたご座 出身地・東京 血液型・O型
趣味・ダンス ぬいぐるみ集め 貯金
特技・ダンス 料理 書道(二段)
好きな馬券の種類・応援馬券(単勝+複勝)


■出演番組
「Hometown 板橋」「四季食彩」(ジェイコム東京・テレビ) レギュラー
「オフ娘!」(ジェイコム千葉)レギュラー
「金曜かわら版」(千葉テレビ)レギュラー
「BOOMER Do!」(J SPORTS)レギュラー
「さんまのスーパーからくりTV」レギュラーアシスタント


2006年から2008年までの2年間、JRA「ターフトピックス」美浦担当リポーターを務める。明るい笑顔と元気なキャラクターでトレセン関係者の人気も高い。2009年より、競馬ラボでインタビュアーとして活動をスタート。いじられやすいキャラを生かして、関係者の本音を引き出す。