関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

清水英克調教師

清水英克調教師×高橋摩衣


‐:本日は、清水英克調教師にお話を伺います。

高:先生、今日はよろしくお願いします。

清:よろしくお願いします。

高:さすがに重賞を勝っただけあって、たくさんのお花が届いていますね。

清:これでも減ったんですよ。家が別宅ですから、そちらに持ち帰りました。家に帰っても余韻を味わいたいので(笑)。

高:良いですね(笑)。

清:でも僕、花粉症かもしれなくて、厩舎に来ると鼻がムズムズするようになりました(笑)。

高:アハハ(笑)。シンザン記念のガルボで初めての重賞勝ちをした翌日に、フェアリーステークスをコスモネモシンで勝って。連日で重賞を勝つってなかなかないですよね。

清:もう本当に、夢ですよ。でも僕、実はシンザン記念を勝った夜に、京都で勝利宣言をしたんですよ。ガルボの関係者とご飯を食べながらお酒を飲んでいて、舌が滑らかになって「明日も勝ちますよ」って。ネモシンの具合が良かったんですよね。

高:レース当日には、石橋ジョッキーにも「重賞を勝たせてやる」と言ったそうで。

清:装鞍所でね。「今はツキもあるし、勝たせてあげるよ」って。

高:本当にその通りの結果を出されて。これが石橋脩騎手にとって初めての重賞勝ちとなりました。

清:良かったですよね。脩のお母さんから手紙をもらいましたよ。まだ読ませてもらってないので内容は分かりませんけど、喜んでもらえたんじゃないでしょうか。

高:よく喋る清水先生と、口数の少ない石橋騎手が…。

清:ねえ(笑)。俳優みたいなジョッキーとお笑い芸人みたいな調教師の、好対照な二人がコンビを組んで勝っちゃって。「なんで脩と波長が合うのかな?」と思いますよ(笑)。

高:アハハ(笑)。ちなみにコスモネモシンはどういう経緯で先生の厩舎に所属する事になったんですか?

清:牧場に馬を見に行った時、5頭くらいいる中から「好きなのを選んでいいよ」と言われて選んだのがネモシンなんです。

高:あ、ネモシンって先生が牧場で選ばれたんですか?

清:そうそう。ネモシンが1歳の時の10月か11月くらいだったと思います。良いなあ、と思ってね。やっぱり第一印象ですよね。体は小さいですけど、シルエットに品があって。

高:ご自身が選んだ馬で重賞を勝つ、というのも格別でしょうね。先生はコスモネモシンの一番良いところはどこだとお考えですか?

清:根性でしょうね。負けない根性。東京で松岡騎手が乗って4着だったレースがありますけど、あの時は転びかけているんですよ。普通ならそこで止めると思いますけど、そこから伸びましたからね。あそこでレースを止めていたら、5着以内に入れず優先出走権も無くて、その後がキツくなっていたでしょうから。多分フェアリーステークスの勝利も無かったと思います。使うたびに根性がついて来て、男馬みたいなところがありますよ。

高:普段の仕草なんかはどうですか?

清:いや、もう凄いですよ。自分の気に入らない事はとりあえず主張する子かな。

高:じゃあ結構、乗り手にすると…。

清:大変なんじゃないかなあ。僕はただ指示を出す方ですから(笑)。




高:アハハ(笑)。フェアリーステークスの前はずっと1800mを使って来ていますね。

清:ちょっとまだモタモタしていたところがあったので。だからフェアリーステークスで一番怖かったのはマイルの適応力だったんですけど、それも大丈夫でしたね。

高:なるほど。一方のガルボについてもお聞きしたいのですが、ガルボはどういった経緯で厩舎に来る事になったんですか?

清:ガルボは、僕の友人がやっている育成牧場にいたんです。それで「秋セリで売れ残ったんだけど、良い馬がいるからやらない?」と声を掛けてくれたんです。マンハッタンカフェ産駒の男馬だし良いかなと思いましたけど、ちょっと繋ぎが軟らか過ぎるところもあったので、こちらは100%の自信があったわけではないです。

高:その馬が重賞を勝つまでに成長されて。デビュー戦と2戦目は結果を残せませんでしたが。

清:あの2戦は使い出しが早かったので、全く度外視しています。その中間で笹針をしたり股関節の治療をしたりして、馬がパンとしてからが本当の意味でのスタートでしたね。

高:お言葉通り、秋に戦線復帰して2戦ですぐに未勝利を勝って、朝日杯に出走されました。

清:朝日杯の時は、今の勢いならいけるんじゃないか、という気持ちがあったんですよね。厩舎全体もツキが出てきていましたし、地元の中山競馬場でやるG1だし、これは一発行かないとダメだろう、と(笑)。

高:流れに乗って(笑)。

清:はい。また、未勝利を勝った時の岩田騎手の評価が凄く高かったんですよ。「この馬は走ります。更に良くなります」という話だったので、だったら1勝馬でも勝負になるんじゃないかな、と思っていました。だから自信は無くはなかったですよ。掲示板はあるんじゃないかと思っていました。

高:実際に12番人気だったにも関わらず4着で。先生のお考え通りで。

清:やっぱりツキがあるんですよ。今の僕に怖いものは無い、と状態になっていましたから(笑)。

高:凄いですね(笑)。年明け初戦をシンザン記念に決めたのはなぜですか?

清:もう朝日杯が終わってすぐに「1マイルは良いなあ」という話になったんです。まだ500万のレースにも使えましたけど、G1のペースを経験させた後に500万のレースで使うのはどうなんだ?という話になりまして、オープンでレース間隔もちょうど良いシンザン記念がいいだろう、と。

高:長距離輸送に対する不安はありませんでしたか?

清:ちょっと神経質なところがあるので、それは少し嫌でしたけど、でも実際、輸送は特に問題ありませんでした。それよりも入った馬房の後ろが、馬運車が多くてエンジン音のするところだったので、それで入れ込んでしまったところはありましたね。

高:レースの時の馬体重はマイナス12キロでした。

清:そうですね。でも、お腹の肉は落ちていましたけど、肩や背中やお尻といった競走に必要な筋肉は残っていましたから大丈夫だろう、と思っていました。

高:実際にレース内容も完勝といえるかたちで。

清:もうパーフェクトでしたね。

高:レース前、池添騎手とはどんなお話をされました?

清:朝日杯の時に4コーナーで首を振って、凄く嫌そうな顔をしていたので、池添君にはそういう点だけ注意して、と話した程度です。シンザン記念では全然そんな素振りはありませんでしたね。レースも強い内容で、京都の勝ちパターンでしたもんね。

高:本当に強かったです。ちなみにこのガルボとコスモネモシンですが、今後はどういう路線を歩んでいく予定ですか?

清:ネモシンはまずクイーンカップに行って、最終的には桜花賞に向かうと思います。距離ももちそうなので、その後も楽しみですね。

高:ガルボはいかがですか?

清:ガルボはどこかで皐月賞トライアルを叩いて、その結果によって皐月賞に行くかどうか、という感じになると思います。ダービーとなると、現時点ではちょっと距離に疑問符が付くと思うので、春の最大目標はNHKマイルになると思いますけど。

高:もう賞金は十分足りていて好きなレースに使えますもんね。

清:ね、良いですよね。こんな事は初めてですからね(笑)。今の時代、下のクラスでは特に、狙ったレースに予定通り使っていくってなかなか出来ませんからね。ガルボもコスモネモシンもレースを使うごとに具合が良くなってきているので、期待しています。

高:この重賞連勝でまた厩舎の雰囲気も更に良くなったんでしょうね。

清:もうグッと良くなっていますよ。僕はスタッフと話すのが好きですからよく話しながら(笑)。みんな一生懸命やってくれていますし、頭が下がります。

高:先生が厩舎のムードメーカーといった感じなんですか?

清:いや、番頭格の菊地さんが一番盛り上げてくれています。僕より10歳上でもうオジサンなんですけど、とにかく元気なんです(笑)。

高:そうなんですか(笑)。厩舎全体に先生の明るい人柄が浸透されて。

清:でも、やっとですよ。開業当初の頃はやっぱりそれを分かってくれるスタッフが少なくてね。スタイルが合わずに転厩してしまった方もいますけど、今いてくれているスタッフとの関係はパーフェクトですから。

高:なるほど。えー、先生は千葉県の市川市出身で、競馬社会に血縁者もいらっしゃらないそうですが、この世界に入ったキッカケはどういう感じだったんですか?

清:小さい頃から馬は好きだったんですよ。それで父親と一緒に車で中山競馬場の近くを通った時に「ここには馬がたくさんいるんだぞ」って教えてもらってから、一時間ちかくかけて自転車で競馬場まで行くようになったんですよ。それで馬を見ていたら、厩務員さんが「乗ってみるか」って声をかけてくれて。その方は今、水野厩舎にいるんですけど。

高:それは先生が何歳くらいの頃のお話なんですか?

清:小学校6年生の頃ですね。それで馬に乗ってみたら気持ち良いんですよ!「これだ!俺の仕事は!」って閃いちゃいました(笑)。その時から競馬以外の仕事に一切浮気をしていないわけです。

高:えー!そうなんですか。その後、中学高校と進んだあとはどうされたんですか?

清:中学高校と乗馬をやって、高校を卒業した後は競馬学校に入りましたよ。

高:ジョッキーになりたい、というお気持ちはありましたか?

清:いや、もう体が大きかったし骨も太いから、体重は落ちないな、と。でも、もう競馬の道に進もうと思ってからは、いろいろ調べていたので騎手以外の職種があるって知っていましたから。

高:用意周到ですね。

清:中学生の頃には乗馬を始めていましたし、競馬の調教を見てみたいから、船橋競馬場まで足を延ばしたりしていました。

高:それもまた自転車で?

清:もちろん(笑)。夜中の2時半くらいに出発して1時間半くらいかけて、補導されそうになったりしながら通っていました(笑)。寒い中、マックスコーヒーなんかを飲みながらね(笑)。

高:行動力がありますね(笑)。

清:好きな事には凄いですよ。そうやって競馬の仕事を見ながらカッコいいなあと思ってこの社会に入りました。

高:早い段階から調教師になろう、というお気持ちはあったんですか?

清:いや、初めの頃はなろうと思っていなくて、助手でいいと思っていました。調教師の勉強をするのも嫌だったし、無理だろうなと思っていましたから。僕と同じく調教助手をやっている人で調教師の一次試験に合格した人を尊敬していましたもん。国枝先生とか上原先生とか。「凄いなー」「勉強出来る人はいいなー」って。

高:そんな他人事に感じていた調教師の道へ進む事になったのには、何か転機があったんですか?

清:子供が生まれた事かな。ちょうど、僕が所属していた土田先生のお子さんが、僕の子と二日違いで生まれたんですよ。それで同級生ですから、いずれ学校に通う年になった時に、僕が土田厩舎に所属していたら、社長の息子と従業員の息子という感じになるでしょう?それはちょっとカッコ悪いな、と思って「じゃあ、ちょっと調教師の勉強をしてみるか」って。あと、調教師試験に向けて頑張っている姿を子供に見せれば、彼らがいずれ受験勉強をする時に、僕を見習って頑張ってくれるんじゃないかなと思って。

高:お父さんの頑張っている姿を見れば、お子さんも「勉強を頑張ろう」という気持ちになるでしょうね。

清:でもダメですよ。逆の結果になってしまいました(笑)。

高:逆?

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清水 英克

1965年千葉県出身。
2005年に調教師免許を取得。
2006年に厩舎開業。
JRA通算成績は51勝(10/1/20現在)
初出走:2006年1月22日 1回中山8日8R マイネルグロッソ(12着)
初勝利:2006年4月16日 3回中山8日1R ブンブンブン


■最近の主な重賞勝利
・10年シンザン記念 (ガルボ号)
・10年フェアリーステークス (コスモネモシン号)


10年1月10日にガルボでシンザン記念を勝ち、初重賞勝利をおさめた。その翌日の1月11日にはコスモネモシンでフェアリーステークスを制し、二日連続の重賞勝利という偉業を成し遂げた。明るい人柄で周囲に笑顔が絶えない。



高橋摩衣

生年月日・1982年5月28日
星座・ふたご座 出身地・東京 血液型・O型
趣味・ダンス ぬいぐるみ集め 貯金
特技・ダンス 料理 書道(二段)
好きな馬券の種類・応援馬券(単勝+複勝)


■出演番組
「Hometown 板橋」「四季食彩」(ジェイコム東京・テレビ) レギュラー
「オフ娘!」(ジェイコム千葉)レギュラー
「金曜かわら版」(千葉テレビ)レギュラー
「BOOMER Do!」(J SPORTS)レギュラー
「さんまのスーパーからくりTV」レギュラーアシスタント


2006年から2008年までの2年間、JRA「ターフトピックス」美浦担当リポーターを務める。明るい笑顔と元気なキャラクターでトレセン関係者の人気も高い。2009年より、競馬ラボでインタビュアーとして活動をスタート。いじられやすいキャラを生かして、関係者の本音を引き出す。