関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

甲斐純也調教助手

ワンアンドオンリーの担当助手としてすっかり有名になった甲斐純也調教助手。亡き父もかつて橋口弘次郎厩舎に所属しており、厩舎として初めてダービーに挑戦したツルマルミマタオーの担当だったというから、これは他でもない縁だろう。週が明け、いつもの冷静な表情に戻った当人に、ノンフィクションのドラマで手にした栄冠の喜びを語っていただいた。

平常心で臨んで手にした勝利

-:レースが終わった後、いつも飄々としている甲斐さんが号泣するほどの勝利だったと思うんですけど、実際にダービーを勝ってみて、どうでしたか?

甲斐純也調教助手:素直に嬉しかったですね。

-:弥生賞と皐月賞では後方からの競馬で、それまで見せていた自在性というのが影を潜めていた訳です。やっぱりダービーで、ある程度先行できたというところは、スタッフ一同で取り組んでいたことがようやく実を結んだと思いますか?

甲:みんなが先生にダービーを獲って欲しい、と思ってやっていたから、それが全てレース内容に表れていたかなと思います。

-:実際にゴールした瞬間というのは、どういう感じになるのですか?

甲:やったと、フフフ(笑)。

-:そこはけっこうあっさりとしているんですね。追い比べをしていたのがイスラボニータだったので、ちょっと心配はなかったですか?

甲:僕はゴール前で絶叫。内から差し返されそうになっていたから、「頑張れ、頑張れ」と叫んでいました。

-:その声援に応えて、頑張ってくれたんですね。

甲:そう。だから、本当にこの子はドラマの立役者です。



-:厩舎に帰ってワンアンドオンリーとどんな話をしましたか?

甲:普段通りに変わらずです。レース前から、皇太子殿下とノリさん(横山典弘騎手)、この子、前田幸治さんの誕生日が一緒だとか、馬名の由来が「唯一無二」で、1枠2番に入ったりだとか、何か色々とありましたね。終わった後だからこそ言えますけど、全てが上手くいきましたね。

-:甲斐さん自身はダンスインザダーク以降に橋口厩舎へ入ったので、それほど悲願のダービーという思いはありませんでしたか?

甲:僕は悲願という感覚ではありませんでしたが、先生は20回目の挑戦での初勝利で、19回負けてきている訳です。2着が4回で獲る難しさは一番知っているけれども、僕は初めてのダービーで難しさが全然分かっていなかったから……。先生の中では、あの時にああやっておけば、もしかしたら勝っていたかもしれん、とか、色々なことが頭をよぎっていたはずやけど、僕は出たこともない分、自然体でした。

-:「良い意味で、ずっと平常心でやる」と言っていましたからね。

甲:はい。変に緊張することもなく、とにかく先生にダービーを、ということしか頭になかったから。だから、変な緊張感もなく、毎日すごく良い気持ち、リズムで仕事もできました。

-:終わった後、先生とはどんな言葉を掛け合ったのですか?

甲:普通に「おめでとうございました」と言って。

-:先生は?

甲:「ありがとう」と。それで十分ですよね。



-:これからどんな素晴らしい馬になっていくでしょうか?

甲:まだまだ完成されていないから、これからまだまだ先生の夢が色々とあると思うから、それに応えられるように。

-:馬も無事に帰ってきたのですか?

甲:はい、無事に。本当に大した馬です、この子は。この後は放牧に行って、また秋から。ちょっと休んでもらって。

-:本当にお疲れさまでしたね、甲斐さんも。

甲:いえいえ、疲れてないですよ。

-:また帰ってきたら、取材をさせて下さい。

甲:こちらこそ。ありがとうございます。

※次週は「TEAM橋口」の屋台骨である赤木高太郎調教助手、小牧太騎手に喜びの声を語っていただきます!6月15日(日)の公開をお待ちください。

ワンアンドオンリー陣営インタビュー
橋口弘次郎調教師の喜びの声はコチラ⇒

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【甲斐 純也】Junya kai

幼少時代から競馬サークル内で過ごして自然と厩務員を目指した。池添、太宰騎手らとは幼稚園から一緒の同級生。亡き父も橋口弘次郎厩舎の厩務員で、ダイタクリーヴァや、オールドファンなら御存知のツルマルミマタオーなどを担当していた。アイネスフウジンが勝った年でツルマルミマタオーは橋口厩舎初のダービー出走馬。当時、自身はまだ小学5年生だった。「親父と一緒に馬運車に乗って行きましたよ。当時は土曜日も学校があったから休んで行っていました」。

18歳から4年間、岡山の栄進牧場で働いた後、栗東の野元厩舎に所属する。23歳でトレセンに入って2年目で出会ったのがエイシンデピュティ。野元厩舎解散後は縁もあって橋口厩舎に入る。仕事をする上で、いつも心がけている事は「馬は友達」という言葉。


【高橋 章夫】 Akio Takahashi

1968年、兵庫県西宮市生まれ。独学でモノクロ写真を撮りはじめ、写真事務所勤務を経て、97年にフリーカメラマンに。
栗東トレセンに通い始めて17年。『競馬ラボ』『競馬最強の法則』ほか、競馬以外にも雑誌、単行本で人物や料理撮影などを行なう。これまでに取材した騎手・調教師などのトレセン関係者は数百人に及び、栗東トレセンではその名を知らぬ者がいないほどの存在。取材者としては、異色の競馬観と知識を持ち、懇意にしている秋山真一郎騎手、川島信二騎手らとは、毎週のように競馬談義に花を咲かせている。
毎週、ファインダー越しに競走馬と騎手の機微を鋭く観察。馬の感情や個性を大事に競馬に向き合うことがポリシー。競走馬の顔を撮るのも趣味の一つ。

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