ジェンティルドンナ女傑伝説・最終章は生涯初の中山で
2014/12/21(日)
勝つつもりで使う引退レース
-:でも、寂しくなりますね。
井:僕らも仕事としている以上、新しい馬が入ってきて、また次のそういう馬になって欲しいと願ってやっていますが、なかなか思うようにはいかないです。こんな馬にはなかなか出会えないです。
-:そう簡単には出ないですよね。
井:長い歴史の中でそんなにいないですからね。
-:改めて、凄い馬ですよね。
井:もう1回同じ事をやれと言われても、同じ馬でも出来るか分からないです。毎回決まったローテーションをキッチリ使えるというのも難しいと思います。
-:大体、何かあるのがこの世界ですからね。
井:熱発するとか、脚が腫れたり色々あるのですが、そういうアクシデントが本当に少なかったです。
-:健康優良児ですね。
井:健康ですね。言うことを聞くので、体もあまり傷まないのだと思います。
「パワーもスピードもです。ドバイであんなに横に飛び出して、抜け出してきました。あの動きがあのスピードで出来るんですから、本気出せば歩いている時に何でも出来ますよ」
-:ジェンティルの体型自体は、ドナウブルーと比べてちょっと胴長なのですか?
井:ドナウよりも全部が大きくて、ちょっと長い感じです。牝馬には見えないですよね。
-:僕らが見ているよりも、乗られている方が一番分かるんじゃないですか?
井:あの馬は大人しいです。たまにちょっとヤンチャな時があるのですが、体幹が強いのか、スピードや勢いが、他の馬にない暴れ方をします。“落ちるならコイツだな”という気がしますね。元気な馬はけっこういるのですが、落ちることはないなという馬もいます。でも、ジェンティルが本気で暴れたら、吹っ飛ばされますね。
-:パワーがそのまま伝わってきますか?
井:パワーもスピードもです。ドバイであんなに横に飛び出して、抜け出してきました。あの動きがあのスピードで出来るんですから、本気出せば歩いている時に何でも出来ますよ。
-:普通、ああいうステップを踏んだ場合は、怪我したりしますよね。
井:いつも思うのですが、体幹が強いですから、ボディーバランスが崩れないのでしょうね。
ジェンティルで学んだ時計の哲学
-:井上さんといえば、坂路での時計を精密に取ろうとしたキッカケは、ジェンティルだったのですか?
井:ジェンティルに乗っている時には、それはできていました。できていて良かったなと思いました。
-:時計うんぬんよりも、馬場で変わりますからね。むしろそちらの方が大事ですか?指示通りの時計で乗れたかよりも、負荷がどれくらいか、ということですか?
井:例えば、G1の当該週の追い切りで、馬場のコンディションが凄く悪いとするじゃないですか。悪いからといって、最初から55秒を狙っていくペース配分で入ってしまうと、55秒でしか入れません。53秒とか、いい落しどころを考えて乗って、最初からある程度決めて行かないと、最初15秒で入って、最後11秒にはならないんです。上がった時に、この馬場だったら負荷が掛かり過ぎたかなとか、軽すぎたかな、という葛藤はいつもあります。
-:常にあるのですか?
井:例えば、G1の週に56秒で、馬場が重かったからメイチの負荷を掛けたくなかったと言っても、誰も納得してくれません(笑)。56秒とか57秒だと、最後が12秒台だとしても、確かに遅いです。それではやっぱりダメだし、調教師の先生にも怒られると思います。かといって、そんなに悪い馬場なのに、52秒にしてしまうと、見た目には52秒で良く動いているね、となるかもしれないですが、負荷が掛かり過ぎたんじゃないかとか、パンパンの走りやすい馬場なら51秒台のラップだな、となります。
いつも乗ってから、“今日の追い切りは成功したのかな?”って思っています。馬の疲労度って見えないですから。みんなも僕らも、時計を見るだけです。ただ、乗っての手応えを総合して考えて、周りの馬と比較して、これくらいの馬場だったら、これくらいでもよかったのかなとか、いつも100%ではないと、自分の中でやっています。
-:井上さんの場合は、水曜日に追い切った後、木・金曜日に跨いで、歩様の変化や、体の動きの硬さなどをチェックできます。今週はどうですか?
井:今週はケロッとしています。
-:ちょっと軽かったですか?
井:今週の馬場状態で53秒台は軽くないと思います。終い1Fを伸ばしていれば、53を切るか切らないかで、終いのタイムが12秒台でまとまったと思います。横にいて手応えを見ていましたが、凄く楽そうでした。でも、ジョッキーも先生から直接指示を貰ったと思うので、これでいいのだと思います。
-:戸崎さんに今のジェンティルのコンディションを感じてもらうことが、大きな目的の1つですか?
井:はい。50秒くらいの中で、実際にあのスピードで自分が乗ると、表面の凍った馬場状態で、バシャバシャ音が鳴るんです。これはどういう状態なんだろう、と思っているうちにゴールしちゃうんです。次に2頭目に乗ったりすると、さらに荒れてこれは酷いなとなりました。
-:刻一刻と悪くなっていきますよね。
井:それを見ると、今日はよくないなと。坂路で凍ることはあんまりないです。あんまりバシャバシャいうので、この感触はどうなってるのかなと思いました。馬は手応えがあるし、止まってる感じもないのに、伸びないんです。だから難しかったです。正直、本当に屋根をつけてほしいです。いつも同じ様なコンディションでやらないと、分からないですよね。
-:屋根をつけて欲しいですね。
井:今は牧場でも屋根がついていますからね。ファンの人も、(時計を)見ても分からないですよね。
-:僕らは分からないです。
井:例えば、いつも前半に乗って53秒くらいが出る馬がいても、後半の悪い時に追い切りをやると、56秒とか57秒になるんです。悪すぎて、みんなこの追い切り時計を見て参考になるのかなと思いますね。
姉妹で築き上げた血統の集大成
-:これで引退ということで寂しくなりますね。
井:JCの時くらいから、いつが最後かなというのは感じていました。最後までしっかりジェンティルをサポートできるように、頑張りたいです。
-:井上さんも中山で二人引きですね。寒い時期の大一番ですが、あと10日です。
井:楽しみたいです。
-:ジェンティルの近くにいられて、幸せですよね。
井:そうですね。あと8回乗れます。
-:8回も乗れるのですね(笑)。一回一回を噛み締めながらになりそうですね。
井:頑張りたいと思います。
「思い出は一杯あるのですが、とにかく調教をミスすることが許されないと思っていたので、必死でした。それが一番の思い出です」
-:ジェンティルとの一番の思い出はなんですか?
井:思い出は一杯あるのですが、とにかく調教をミスすることが許されないと思っていたので、必死でした。それが一番の思い出です。
-:調教で本気になってしまいませんでしたか?
井:色々な課題もありますし、そういうのをちょっとずつ矯正しながらでした。
-:ジェンティルでも課題があったのですか?
井:今はほとんど感じません。入厩したての2歳の頃は、お姉ちゃんのドナウブルーも同じなんですが、後ろからくる馬に凄く敏感でした。それが原因でドナウは引っ掛かるようになってしまいました。それを教訓に、ジェンティルは同じ様にならないように、と思って、そういうことに動じないように工夫しました。馬が慣れてくれたというのもあるのですが。
-:ジェンティルは学習能力が高いですか?
井:高いですね。見た目は全然違うのですが、精神的なものとかは他の兄姉と凄く似ていたので、やることに共通した部分が多かったです。僕にしたら初めてじゃないから、こういうところは似ているのだなという感じで、それが大きかった気がします。
-:ジェンティルの活躍の裏には、ドナウブルーでの経験が生きているのですね。
井:それはあったと思います。
-:ドナウブルーは道悪が上手いんですけどね。
井:フォームが違いますからね。
-:そこが合体したら、真の最強馬になりそうです(笑)。
井:悪いところはよく似るのですが、良いとこ取りはできないですね(笑)。
-:ドナウブルーのフォームの方が綺麗でしたよね。
井:ダイナミックでした。写真とか見ると、ドナウブルーの方が綺麗ですよね。
-:飛んでいる感じのフォームでしたよね。ジェンティルはどっちかというと終始、脚が接地しているような感じです。
井:最短距離を走っている感じがしますよね。
-:道悪が上手い走り方のはずなんですけどね。
井:坂路の道悪はそんなに気にしないんですけどね。芝となると、何か違うんでしょうね。
-:色々な要素が絡み合っているので分かりませんが、むちゃくちゃ悪くなったら走るかもしれないですね。滑っているのがいけないかもしれないです。ツメがのめり込む様なら走るかもしれません。
井:どうなんでしょうね。大概そういうことはないんですが、最後はどうなるんでしょう。
-:僕らもある程度近くで、これだけの馬を見られたというのは、ファンにとっても凄く幸せなことですね。
井:なかなかこういう馬に会えないですよね。
-:しかも、コンスタントに使いたいレースに出てきてくれて、牝馬の最長期間活躍できました。
井:ずっと着にはきていますし、そんなに恥ずかしいレースもしていないです。頑張っていると思います。
-:引退式で井上さんはジェンティルに、何て言葉をかけてあげるのですか?
井:有り難うくらいしか言えないですよね。楽しかったですし、色々な経験もさせてもらいました。精神的にしんどいことも多かったですけどね(笑)。
-:最後の一戦を楽しみにしています。あと8回頑張って下さい。
井:ありがとうございます。
(取材・写真=高橋章夫 写真=競馬ラボ特派員)
●ジェンティルドンナ・井上泰平調教助手インタビュー(前半)はコチラ⇒
1 | 2
プロフィール
【井上 泰平】Taihei Inoue
大阪府豊中市出身。9歳から乗馬を始め、高校生時代に国体を優勝。必然の流れにより大学では馬術部に入る。卒業後は美浦分場に2年間勤務。アイルランドの研修などを挟んだ後に競馬学校へと進学し、中村均厩舎からトレセン生活をスタート。その後は開業直後の角居勝彦厩舎で調教主任を務め、大久保龍志厩舎では持ち乗りから攻め専に転身。後の名門厩舎の基盤を築く。
32年に渡る馬乗り人生の中で、現在モットーにしていることは「馬との信頼関係を築くこと。分かりあえたかなと思っても、また違うのかなとそれの繰り返し」と。石坂正厩舎の屋台骨を支えるベテラン調教助手。
【高橋 章夫】 Akio Takahashi
1968年、兵庫県西宮市生まれ。独学でモノクロ写真を撮りはじめ、写真事務所勤務を経て、97年にフリーカメラマンに。
栗東トレセンに通い始めて18年。『競馬ラボ』『競馬最強の法則』ほか、競馬以外にも雑誌、単行本で人物や料理撮影などを行なう。これまでに取材した騎手・調教師などのトレセン関係者は数百人に及び、栗東トレセンではその名を知らぬ者がいないほどの存在。取材者としては、異色の競馬観と知識を持ち、懇意にしている秋山真一郎騎手、川島信二騎手らとは、毎週のように競馬談義に花を咲かせている。
毎週、ファインダー越しに競走馬と騎手の機微を鋭く観察。馬の感情や個性を大事に競馬に向き合うことがポリシー。競走馬の顔を撮るのも趣味の一つ。
■公式Twitter
@aklab0328さんをフォロー