京成杯AHで怪我から復帰後、重賞初制覇!
2010/9/17(金)
津村明秀騎手
-:今日は津村明秀騎手にお話を伺います。よろしくお願いします。
高:よろしくお願いします。京成杯オータムハンデ、おめでとうございました。
津:メッチャ際どかったですよ。でも、ゴールしたときに脩ちゃん(石橋脩騎手)は「あー、負けたかな…」みたいな感じで、僕も「多分残ったかな」っていう感じだったんですよ。
高:確認できました?
津:いえ、すぐ隣だったし、横を見て確認しなくても何となく分かりました。でも「こんなに上手く行くとは」という感じです。
高:京成杯もそうですけど、津村騎手は、復帰した後にメインレースをよく勝っている印象がありますけど。
津:それ、よく言われるんですよ。最近メインばっかり勝たせてもらっていたら、逆に「下級条件でちゃんと乗ってない」って言われちゃって(笑)。
高:意外な方向に話が(笑)。
津:どのレースでも一生懸命乗っていますよ(笑)。
高:そうですよね(笑)。ファイアーフロートは、前走の長岡ステークスで初めて騎乗されましたけど、レースで騎乗する馬について、事前情報はどのくらい仕入れるんですか?
津:以前一緒のレースに乗ったことのある馬なら大体分かりますから、ちょっと人に話を聞くくらいですね。平日の調教で乗っている馬だったら、それほど情報を収集することも無いですし。逆に、あんまり聞き過ぎて考え過ぎてダメだったっていう場合もありますから。
高:頭でっかちになって。
津:そうですね。逆に聞かない方が良かった、みたいな。そこは難しいところですね。調教も、事前に乗らない方が良かったという場合もあるんですよ。調教の感じと競馬に行ったときの感じが全然違った、みたいな。返し馬に行ったときやゲートが開いたあとに「あれ?こんな感じなんだ」って、考えていたイメージと全然違うこともよくありますからね。
高:あまりイメージを持ち過ぎるのも良くないんですね。
津:一つのイメージに固執しても…。京成杯のファイアーフロートも「ハナに行く」って言われていましたけど、僕は別に「ハナに行く」なんて決めていなかったし、ゲートを出た感じで、と思っていましたから。もし僕があそこでハナに行くつもりで出していたら、メイショウレガーロも来ていたから、もっと引っ掛かったかもしれないし。
高:そういう可能性もあるでしょうね。
津:レース前は、どの新聞にも「ファイアーフロート、逃げ粘る」みたいに書いてあったじゃないですか。まあ、ラクに行ければ行っていましたけど、あそこでメイショウと競っても…。
高:なるほど。2番手の位置取りでしたけど、あそこでの折り合いはいかがでしたか?
津:結構引っ掛かっていましたね。でも、今回は逃げる形じゃなくて、2番手で勝てたことはかなり収穫ですね。逃げるだけではもっと上ではやっぱり限界もあるだろうし、良かったんじゃないかな、と思います。
高:先に楽しみが広がりましたね。今回ファイアーフロートは4番人気での勝利でしたけど、津村騎手は騎乗する馬の人気を気にされますか?
津:若干します。人気がある方が嬉しいですね。
高:人気があるとカタくなっちゃう、ということはありませんか?
津:それは無いですね。プレッシャーはあまりかからないです。プレッシャーがかかったとしても、逆に「良いね、この緊張感」とか「こんなプレッシャーを感じられるなんて嬉しいな」と思うようにしています。
高:前向きに捉えて。
津:そうです。こんなに毎週毎週プレッシャーを感じることが出来ることってなかなか無いじゃないですか。だから経験できて嬉しいね、と思うようにしています。まあ、そもそも最近はあまり緊張はしませんけど。
高:レース以外で「これは緊張したな」っていうことはありますか?
津:うーん…、地方競馬で馬券を当てるとき。本当、自分がレースで乗っているときより、馬券を買ってレースを見ているときの方がマジで緊張しますよ。あれは何なんでしょうね?
高:もし馬券が外れたら、ヤジを飛ばしたりしちゃいます?
津:買った馬が出遅れたりしたら「何やってんだよ…」とか言っちゃいますよね(笑)。自分もレースで出遅れるのに。
高:自分のことは棚に置いて(笑)。えー、津村騎手にインタビューの依頼をしたのが京成杯の前で、ケガからの復帰についてもお話を伺いたいな、と思っているんですけど。今年2月の落馬事故で第2頸椎骨折の重傷を負われました。あのレースはどんな感じだったんですか?
津:普通に行けば勝てていたレースだったんですけどね…。それで、落ちた後も意識は全然無くならなかったし、手足は動くから「大丈夫だ」と思って、良かったーって起き上がろうとしたら、首に激痛が走ったんですよ。で、「あ、ヤベー!動けねー」と思って、寝ながら救助を待って。救護室に運ばれてからレントゲンを撮るんですけど、その時はお医者さんも首が折れているなんて分からないから、首を動かすんですよ。それで「痛い痛い痛い痛い!」って。
高:えー!危ないですね。
津:もしも神経にいっていたら、本当にヤバかったです。怖いですよ。神経にいかなくて良かったです。
高:本当に僅かな差だったんですね。それから手術をして。
津:手術はそれから一週間後ぐらいだったんですけどね。最初に入った府中の病院から、つくば記念病院に搬送されて検査したりしていました。その後に手術をしましたけど、頭のコメカミのところ2箇所と後頭部2箇所の計4箇所を貫通させて金属で固定させて、頭と上半身が一緒の方向でしか動かないようにガッチリ固定されるんですよ。これは地獄でした。もう手術した日から2、3日はヤバかったです。痛くて。点滴で痛み止めを流していましたけどね。
高:大変ですね…。
津:ケガをしてから1ヶ月くらい寝たきりですから、トイレもベッドの上ですよ。小も大も。
高:今までの生活習慣上、布団の上で用を足すっていうのも大変じゃないですか?
津:慣れてきてからは大丈夫でしたけど、やっぱり最初はしづらかったです。しかも、お尻を看護婦さんに拭いてもらうんですよ。これがイヤで!恥ずかしいじゃないですか。キツかったですね…。
高:あと、ずっと動いていないと体も衰えちゃいますよね。
津:1ヶ月くらいしてから、歩いてみようってなったときに、やっぱり歩行器がないとダメでしたね。掴まるものが無いと、久々だから足の力も無くなっていましたし。歩行器を使って、ようやく歩けるようになっていきました。
高:その間も頭と上半身は金属の枠で固定されたままなんですか?
津:そうです。だから病院の中を歩いていると、周りからメッチャ見られるんですよ。メッチャ恥ずかしくて。それで徐々にリハビリを始めて足からどんどん動かして、自転車にも乗るようにして。それも金属の枠を付けながらですよ。ガッチリ上半身が固定されて、汗をかいたら最悪で気分は悪いし、歩けば周りの人は見てくるし、本当にキツかったですよ。
高:そんなに周りの人は見てきましたか?
津:見る見る!「あの人、何?」って感じで(笑)。だからその枠が取れたときは本当、天国でした。まだ首にコルセットはしていましたけど、それが取れただけで嬉しかったですよ。
高:リハビリを続けて、調教で馬に乗り始めたのはいつ頃だったんですか?
津:6月の半ばぐらいですね。
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【重賞勝利】 |
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■出演番組
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2006年から2008年までの2年間、JRA「ターフトピックス」美浦担当リポーターを務める。明るい笑顔と元気なキャラクターでトレセン関係者の人気も高い。2009年より、競馬ラボでインタビュアーとして活動をスタート。いじられやすいキャラを生かして、関係者の本音を引き出す。 |