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千田輝彦調教師

千田輝彦調教師


1988年に伊藤雄二厩舎から騎手としてデビューし、重賞6勝を含む、通算278勝を挙げた。そして、2008年に20年の騎手生活に幕を下ろし、今年3月、厩舎を開業させた。騎手時代は(ダイワスカーレット・ダイワメジャーの母でも知られる)スカーレットブーケや、ジャングルポケットなど、数多くの名馬の背中に跨ってきた千田輝彦調教師の目指す厩舎像とは…。

-:東北関東大震災で危険な状況が続く中ですが、取材を受けて頂きありがとうございます。

千:本当に大変なことになってしまいました。実は、僕の両親も岩手の一関出身なので他人事とは思えません。今もなお、避難されている方を思うと言葉もありません。ただ、僕に出来る事は『競馬』しかありませんので、馬で多くの人々に夢を届けられたらと考えています。

-:千田先生が騎手だった頃は競馬が華やかな時代でした。

千:武(豊)さんをはじめ、ノリ(横山典弘騎手)さんや乗れる若手騎手が大勢いて、あの頃は本当に凄い人気でした。僕も街を歩いていてサイン求められましたから(笑)。良い時にジョッキーさせてもらえたと感謝しています。

-:今のファンで、なじみのある当時の馬というとダイワメジャー、ダイワスカーレットの母・スカーレットブーケです。先生は伊藤雄二厩舎所属でしたから、調教にも競馬にも乗られていたとか。スカーレットブーケの同世代にはイソノルーブル、シスタートウショウ、ノーザンドライバーなど魅力的な馬が揃ってファンを沸かせてくれました。

千:スカーレットブーケ…、よく落とされましたよ。気のいい娘じゃなかったね。やんちゃでパワーがあって走りだすと凄い。それでいて、競馬に行って乗り手を選ぶタイプではなかった。スカーレットブーケは6勝しているんだけれど、柴田政人さん、的場さん、武さん、僕、の4人で勝っているから、乗りやすい馬だったんじゃないかな。

-:スカーレットブーケで思い出に残るレースはありますか。

千:91年のオークストライアルのサンスポ4歳牝馬特別(GⅡ)です。今でいうフローラSですね。当時は今のように馬連や三連単なんてなかった。単勝、複勝か枠連しかなかったから、人気が集中する馬は、仮に出走取り消しになってもファンが混乱しないように、単枠指定という制度があったんです。スカーレットブーケはこのレースで単枠指定にされたのですが、2着でした。柴田善臣さんのヤマニンマリーンに負けてしまって…。それはもう、へこみましたよ。この年の秋から馬連が導入されて、単枠指定は廃止なったので、良く覚えています。

-:その他ではジャングルポケットにも乗っていましたよね。

千:渡辺先生(渡辺栄元調教師)はあまり札幌には使わなかったんだけれど、ジャングルポケットに関しては、ゲートでも受けてから栗東に戻そうか?という感じで調教していたんです。そうしたら、思いの他、調教が進んで『じゃあ1回競馬に使おう』となったんです。歩いている時やダグでは、それほど感じない馬だったけれど、速いところで良い馬だった。エンジンがかかってからが凄い。札幌で乗った時から「クラシックのどれかを獲る馬だ」と周りには言っていたほど凄かった。新馬と札幌3歳S(当時は馬齢表記が1歳多かった)を2つとも勝てて良かったですよ。だって次の年にダービーとジャパンカップを勝ったんだから、僕が負けていたら何て言われるか(笑)。

-:先生は、スカーレットブーケ、ジャングルポケットの他にも多くの名馬に乗られています。「名馬の背中」を知っている、というのは調教師としても、大きな意味があるのではないでしょうか?

千:僕が騎手時代、所属していた伊藤雄二先生の厩舎には良血馬が揃っていました。それも半端じゃないくらい良い馬がいました。たとえ調教だけでも、良い馬の背中を感じられたのは、馬乗りとして凄く大きな経験だったと思います。こればっかりは、どうやっても変えられない大きな事なんです。あの時代のトップクラスの馬の背中を感じられたのは僕の財産ですから。

-:その辺りは僕ら競馬ファンには想像もつかない次元ですね。

千:だって『この馬、ディープに似ているね』って武さんにしか言えないんです。競馬で乗ったことあるのは、武さんしかいないんですから。

-:なるほど、そう言われてみれば、武豊騎手にしか言えないですね。そういった馬乗りとしての経験をされて調教師になられたわけですが、馬への接し方に変化はありますか?

千:ジョッキーは馬に辛い事をしなくちゃいけない立場です。でも、僕は昔から馬が好きで、競馬が好きでこの世界でやってきました。騎手時代から馬に対する気持ちは変わっていません。1発のムチで馬が速く走れるなら使えばいい。『ムチで叩く』と言いますが、ムチは叩くものじゃない。ムチは使うものです。

-:こういう馬に対する感覚は、若い頃からアメリカに行って影響を受けたんでしょうか。

千:アメリカには騎手として修業する意味で行きました。最初は、武さんが声をかけてくれて、7年ほど毎年暮れに行ってました。向うは日本と違って、人間が圧倒的に馬の上に立つ。パワーで馬を抑えつける感じがしました。ゲートに入らない馬を後からブルドーザーで入れたり(笑)。「ちょっとどうかな?」とは、思いましたよ。

-:今の考えとは真逆に近い環境だったんですね。

千:それに日本人が馬に乗れるわけないと思われていましたから、レースになんて乗せてくれません。調教でも軽いところしか乗せてくれないんです。でも、一度レースで勝つと僕の環境がたった一日で変わった。いきなりジョッキーとして認められたんです。そうなると『おまえはジョッキーなんだから、調教なんて乗らなくていい』って言われて…(笑)。それくらい変わるもんなんです。

-:そんなアメリカでは、レースに乗るだけでも大変な事なんですね。

千:完全に実力社会です。当時のアメリカにはラフィット・ピンカイ.Jr(米3冠馬アファームドや、米GⅠ16勝、'82年第2回JCにも来たジョンヘンリーなどに騎乗)やクリス・マッキャロン(サンデーサイレンスの主戦はP・ヴァレンズエラだが、マッキャロンも1度だけBCクラシックで騎乗し、イージーゴアに勝っている。また、映画シービスケットにも出演した名騎手)など、騎手の層も厚かったから、乗せてもらうのに苦労しました。そんな時、『賞金の何パーセントか出せば、もっと、レースに乗せてやる』って言う、仲介者を名乗る人が現れて迷いました。それで、武さんに相談したんです。そうしたら『おまえは何をしにきたんだ!』と言われたんです。騎手は馬に乗ってお金をもらうもの、お金を払って乗せてもらうもんじゃない。騎手とは何か?改めて、それを自分自身に問い直した時期でした。でも武さんは、そんな当たり前な事をあの厳しいアメリカでも貫ける、凄い人だと関心させられました。

-:騎手も凄いし馬も凄い時代でした。

千:本当に凄い馬が多かったです。シルバーチャーム(米2冠、ドバイWCなど)、リアルクワイエット(米2冠)なども、リアルタイムで見ることができました。特にリアルクワイエットとは、僕が併走馬に乗って一緒に走ったんですよ。追い切りではなく軽いところでしたが、間近で見れて感動しました。身体の幅が薄くアメリカではフィッシュと呼ばれる体型でした。でも綺麗な馬でしたよ。



-:ここでは聞ききれないほど、多くの経験をされた先生が日本で目指す厩舎とは。

千:まず、馬に感謝して接して欲しいと思っています。僕たちは馬で夢を売る仕事です。日々の仕事の中で気持ちを込めて馬に接したら、きっと馬は応えてくれると思うからです。馬にはいろんな性格がありますし、いろんな個性があります。個々の馬を担当するスタッフが馬の個性を理解して、大切に接してくれる厩舎を目指しています。

-:調教パターンなどは決めず、個々の馬に合う調教をする厩舎なんですね。

千:調教パターンは決められませんよ。同じ馬でも、日によって状態は変わるわけですから、臨機応変にやっていきたいです。どちらかというと、時間をかけてじっくり仕上げる厩舎になると思います。

-:今は外厩を上手く使って、短期間で仕上げるのが主流になっていますね。

千:僕が所属していた伊藤雄二先生の頃は、新馬を使うまで2ヵ月くらい時間をかけて仕上げていました。入厩して1ヵ月乗り込んで、そろそろ使うのかな?と思っても、伊藤先生は放牧に出す事がありました。 それは伊藤先生にしかわからない感覚でしょうけれど、「何か違う」そう感じていたからだと思います。1頭の馬を出走させるのに、妥協しない姿勢は見習いたいと思います。

-:時間をかけて馬を大切に育てる。今の時代には凄く新鮮に思えます。

千:人間が心を込めて馬に接すると、馬には伝わると思うんです。例えば、レース中に故障してもゴロンと倒れない。それは馬が人間をかばって我慢してくれているからなんです。日本の馬が故障しても倒れないのは、気持ちを込めて接しているからなんですよ。だからこそ、馬に感謝して接しないといけない。気持ちをもって接したら、馬は返してくれるんですから。

-:新しく厩舎を開業して池江泰郎厩舎から6名、須貝彦三厩舎と高橋成忠厩舎から来たスタッフでスタートしました。厩務員さんの中には、先生より年上の方もいらっしゃいます。人間関係も気を遣いそうです。

千:僕は馬に乗ったら誰にも文句を言わせない自信があります。しかし、馬の世話は個々の厩務員さんを信じていますから、基本的に任せてあります。みんな元にいた厩舎で働いていた実績がある人たちなので、僕が知らない事は積極的に教えてもらう気持ちでいます。先輩たちの経験を活かして、厩舎を盛り上げていきたいですね。

-:千田厩舎の調教服は黒いジャンバーですが、このジャンバーに意味があれば教えてください。

千:騎手時代に馬主さんのパーティーに呼ばれた事があったんです。その時に何人かの騎手と黒いシャツに黒いスーツで行ったら、馬主さんから『おまえらカラスみたいやな』って言われて、それ以来、洒落でkarasuの黒いジャンバーを毎年(ジョッキー仲間で)作っていたのが、今のジャンバーの由来です。でも、強制じゃありませんよ(笑)。スタッフが着たい服を着てくれたら良い。一応、作りましたって事です。

-:これからが楽しみな厩舎になりそうです。ファンに紹介できる有力馬はいますか。

千:おかげさまで引き継いだ馬はどれも良い馬ばかりです。これはお世辞じゃなくそう思っています。これから、個々の馬の特徴をじっくり見ながら育てていきますので楽しみにしてください。関西の同期には亡くなった岡潤一郎を初め、岸滋彦、内田浩一がいます。彼らは騎手としてGⅠを勝ちましたから、僕は調教師でGⅠを取りたいと思います!

-:調教後の忙しい時に長時間お話して頂きありがとうございました。

千:こちらこそ、ありがとうございました。これからも応援してくださいね。


【千田 輝彦】 Teruhiko Chida

1969年神奈川県出身。
2010年に調教師免許を取得。
2011年に厩舎開業。
JRA通算成績は未勝利(11/3/27現在)
初出走
11年3月5日 1回阪神3日目12R ワンモアグリッター(13着)


騎手として、1988年に伊藤雄二厩舎所属からデビュー。騎手時代はスカーレットブーケ、ジャングルポケットなどに騎乗。また、幾多の名馬を手掛けた伊藤雄二調教師の下、有力馬の調教を数多く手掛けた。騎手時代は、「チーボー」という愛称で親しまれた。
08年に騎手を引退すると、藤岡健一厩舎で調教助手として経験を積み、晴れて、今年3月に厩舎を開業。3月16日、笠松の交流競走をマルティニークで初勝利を挙げている。
「トレセンLIVE!」でお馴染み、市丸善一調教助手、ディープインパクトなどを手掛けた市川明彦厩務員ら、2月で解散となった池江泰郎厩舎の名スタッフを多く受け継ぎいでいる。
なお、自作の調教服の胸元には、親交のあるミュージシャン・布袋寅泰氏のギターのデザインがあしらわれている。