関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

柴田大知騎手

NHKマイルCでついに平地のG1タイトルを掴んだ柴田大知騎手。今さら説明するまでもなく、競馬ラボでコラム「進化論」を大好評連載している当人だが、晴れてマイネルホウオウと共に変則2冠に挑戦することが決定。今回は同馬とここまで歩んできた道程、報道されていないローテーション決定の経緯、さらには日本ダービーへの手応えなど、オリジナルインタビューとして改めて伺った。

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課題が解消されたスプリングS

-:いつもコラムの更新ありがとうございます。今回はデビュー時の雰囲気から振り返っていただきたいと思います。新馬戦も大知騎手で勝っていますが、初めてマイネルホウオウと出会った思い出というか、印象はどのような感じだったでしょうか?

柴田大知騎手:ビッグレッドファームさんへ行った時に社長が期待している馬の1頭だったんです。その時に乗せていただいた時はデビュー直前だったんですが、もうすぐにでも競馬ができるんじゃないかなというぐらいの走りで、精神的なモノもスゴく素直でしたし、楽しみだなという印象がありましたね。

-:福島の芝1800でデビューして、新馬戦を勝ちましたが、この時の感触はどのような感じでしたか?

大:調教からかなり良い動きだったので、良い勝負になるだろうなと思ったんですけれど、自分が思い描いていたとおり、競馬も上手く器用にこなしてくれました。ただ、ゲートがあんまり速くなかったので、そのあたりだけですかね。

-:その後、重賞の札幌2歳Sや、東京スポーツ杯2歳Sという1800の重賞で9着、8着と敗れました。この時は着順こそあまり良くはありませんでしたが、感じたこととか、今後に向けてどう思ったのかという部分はありましたか。

大:1回使った後から、スゴくテンションが高くなってしまって、どうしても競馬前に力を使ってしまって。競馬に行っても力んで走るので、余計なところで力を使って、本来の能力があるモノを出し切れてなかった感じだったんですけどね。

-:それが2歳時の重賞あたりだった訳ですね。

大:もう、燃えちゃって、燃えちゃって……、スゴかったんです。

-:松岡騎手で500万を勝って、その後は大知騎手でジュニアCを連勝するわけですけれど、その燃える気性が落ち着いたというか、能力を発揮できるようになったキッカケというのは何なのでしょうか?

大:その辺から1600を使ってたんですよね。何とかごまかしながら、調教でもなるべくテンションを上げないように気を付けながらやってたんですけど、その頃でも1600までだったらギリギリ我慢してくれるだろうなという感じで。それで結果も出てたんですけれど、その後、スプリングSの1800で折り合いを教えて。調教でもそうなんですけれど、馬の後ろでなるべく我慢させて、最後に直線で出す調教をずっとしていたので、それがやっと分かったのか、スプリングSで一番、上手くいったかなと思います。

-:結果3着でしたけれど、その中でも収穫を得たレースだったということですね。

大:そうですね。スゴく馬が我慢してくれたので。


必勝ローテを振り返って

-:色々とあって、皐月賞には行かなかった訳ですが、結局マイル路線を選んだキッカケというのは当時、どういう理由だったのでしょうか。

大:社長も悩んだとお聞きしてるんですけれど、その時は「勝ちに行くならやっぱり1600がベストだろう」ということで。使うことは使えますので、皐月賞でも良いところまでは来れるだろう、というのはあったと思うのですけれど、ただ、勝ちに行くなら、やっぱりマイルがベストだろうということで、悩んだ挙句、皐月賞をパスしてニュージーランドT-NHKマイルCのローテを選んだようですね。

-:振り返れば、ニュージーランドTは結果として馬場が悪かったのが敗因ですよね?

大:そうですね。進んでいかなかったのと、スプリングSでだいぶ馬が頑張ったんですよね。体力、精神的にも消耗してて、目に見えない疲れもあったんじゃないかなと思います。やっぱり「カイバ食いが遅くなった」と言っていたので、あの時は。

-:結果7着だったんですけれど、その後にマイルCを勝つ訳ですから、ローテーション的には間違ってなかったですし、良いトライアルにはなった感じでしたね。

大:ちょっと正直、負け過ぎだったので、アレッという感じはあったんですけれどね。

-:マイルC前は大分、状態が良いという話を伺ってたんですけれど、改めてニュージーランドTからマイルC前の中間はどうでしたか?

大:上手くいきましたね。前の週に強い負荷を掛けておいて、その週にはサラッとしたら反応の良さがまるっきり違ったので、“コレはかなり良い状態だな”という風に思いましたね。

-:マイルCでは、結構やれる手応えを事前から持っていましたか?

大:かなり良い状態で行けたので。あとはニュージーランドの時の敗因が正直、コレだというのが、何とも言えなかったんですよね。“馬場なんだろうな”というぐらいで、調子がそんなにも悪くて、馬の具合が全然悪いという状態ではなかったので……。“正直、力負けなのかな”というのが頭にはあって。でも、あれだけ調子良く行けて、本来の力を全部出し切ってくれれば、あのくらい強い馬なんだなと感じましたね。自分の少しあった不安が、“やっぱり、この馬は走るんだな”というのが、終わった後の気持ちですね。

-:NHKマイルCのレースですが、当初思い描いていたよりも後方からの位置取りになったと思います。スタートしてからの気持ちというか、道中はどんな思いで直線を迎えましたか?

大:ゲートを出て、ここのところそんなに進んで行かないんです。スプリングSで抑える競馬をしているというのもあるし、今までは自分からガァーンとムキになってハミを取っていくぐらいの馬が出ていかなかったので、おそらくマイルCも出てそこまで行かないだろうという頭があったんですよね。もし自分から進んでいくようだったら、そのまま促して中団から前、好位で競馬をしようかなと思ってたんですけれど、やっぱり出ても自分からあんまり行かなかったので。馬のリズムを崩さない、一番走っていけるところで競馬をしようと思ったのが、あの位置だったんですけどね。

-:直線で仕掛けてからの手応えというか、どのあたりでもしかしたらという勝利を意識しましたか?

大:わからなかったですね、それは最後の最後まで。4コーナーで抜群の手応えだったので、これで追い出して、最後まで粘ってくれるだけの脚を持続できるかという感じだったので。本当に最後の最後にグッと交わすまではわからなかったですね。

-:先週のコラムにも書いていただきましたけれど、改めてG1勝利の味というのはどうでしたか?

大:まだ、そんなに何か実感というか、“G1を勝ったんだ”という感じでもないんですよね。

-:レース当日は本当に夢のような感じでしたか?

大:ですね。よく分からないですね、本当に。いまだにね。

マイネルホウオウ・柴田大知騎手インタビュー(後半)
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【柴田 大知】Daichi Shibata

1977年 栃木県出身。
1996年 美浦・栗田博憲厩舎所属でデビュー。
初騎乗:
96年3月2日 1回中山3日1Rフジノコハギ
初勝利:
96年3月31日 2回中山4日5Rライトオンファイア


■重賞勝ち
・13年 NHKマイルC(マイネルホウオウ号)
・12年 中山グランドJ(マジェスティバイオ号)
・12年 弥生賞(コスモオオゾラ号)


福永祐一、和田竜二らとデビューを同じくする花の十二期生。当時はJRA史上初の双子騎手として話題となった。同年8月3日には初の双子ワンツーフィニッシュを飾る(1着・未崎、2着・大知)など、デビュー年に27勝を挙げた。05年末から障害戦を中心に騎乗するようになり、11年の東京ジャンプステークスでマジェスティバイオに騎乗し障害重賞初勝利を挙げる。同年の中山グランドジャンプではマイネルネオスとのコンビでJ・GIを制覇。

マイネル・コスモの騎乗機会が増え、12年は平地38勝・障害3勝と、自身のキャリアハイ。2013年の騎乗数はさらに伸びており、ついにNHKマイルCにてマイネルホウオウで涙のG1初勝利。返す刀で日本ダービーに挑戦し、変則2冠奪取を狙っている。