関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

佐藤哲三騎手

4歳時のマーチSから極めた重賞はG1・9勝を含む12勝。8歳になった本年もG1を2勝してから引退しており、これだけ息の長い活躍をした名馬もいなかったかも知れない。その礎を築いたのが、現在は過酷なリハビリを続け、落馬負傷の大事故からカムバックを目指す佐藤哲三騎手との名コンビ。言葉では表現できないエピソードと絆もあろうが、その背中の感触を懐かしむように、かつての盟友にエールを送ってくれた。

普通ではない作り方で頂点に

-:エスポワールシチーが引退ということで、主戦であった佐藤哲三騎手にお話を伺います。よろしくお願い致します。

佐藤哲三騎手:エスポのことを簡単に語ることはなかなか難しくて、語り出したら1日、2日喋りっぱなしでも足りないくらいの思い出が、僕の頭の中にはあります。その中でも、タップダンスシチーなど、今まで僕が乗ってきた癖馬の経験を頭に入れて、エスポとの「約束事」のようなものを大切に、普通ではない作り方で極めてみたいと思っていました。他の馬たちと関わってきた方法ではなく、僕なりの教科書を作って成長していった馬なので、言葉は悪いのですが、最初のころはエスポを“騙し続けて”、しんどい時でも「しんどくないよ」と思わせて鍛えてきたので、エスポは僕のことを、あんまり好きじゃないみたいです(笑)。

それでも、2人でやって来たことは間違いじゃなかったと思うし、結果を出してくれた馬なので、僕自身も感謝をしています。最後の方に乗れなかったのは凄く残念でしたが、エスポと僕とで、ファンの前ですごくいい競馬ができた時は、やっぱり達成感もありました。そういう意味では、エスポとの時間は幸せだったと思います。嫌な思いも、つらい思いも色々とありましたが、総合的には、いいお付き合いができたんじゃないかなと思います。最後にも会いに行ったら、やっぱりまだ僕のことは嫌いだったみたいですけどね(笑)。


-:辛いトレーニングに耐えてきた事を、思い出すんですかね。

哲:でも乗っている時は“この人が好き”って思ってくれるので。降りると嫌いになるんですけどね。やっぱり乗っている時は安心感を与えたかったので、小倉競馬場時代の調教から冒険が始まって、競馬自体が冒険になって、色々なところに冒険しに行って。いい結果も出たし、悪い時もあったけど、馬はキツかったと思いますが、僕にとっても、エスポにとっても、いい経験になったんじゃないかなと思います。

小倉に居るときに“この馬でG1絶対に取れるはずや”と思って、僕も怪我明けでしたが“この馬で重賞勝ちたいな”という思いから“絶対にG1取れるはずや”という意識に変わっていきました。それからずっと、エスポの事を考えてやってきたので。




-:あれだけ荒々しい返し馬をする馬もなかなかいないですよね。

哲:その返し馬で体幹を、“ずらす、ずらさない”というので、競馬自体も変わってくるし、他の人が乗ったら、そんなに走らなくても、“僕が乗れば絶対にG1馬になれる”という思いだけではなくてね。いいパートナーで居させてもられたなと思っています。

-:常識的な取り組み方とは少し違う、ちょっと非常識なやり方で。

哲:その非常識が、本当は常識なんじゃないかなと思うこともあるし、引っ張らない扶助操作。ブレーキは手綱じゃなくて、騎手の重心、周りの雰囲気、馬の視点で止めることだってできる。そういうことを、エスポがやってくれたので。


「"人馬一体"は待っていてもそうなるモノじゃないし、人馬一体になろう、と思って攻めていかないと、なかなかできないモノだと僕は思っています」


-:それもタップダンスシチーや、それまでに乗ってきた馬たちの経験が生きているものですね。

哲:そうですね。インティライミなどの引っかかる馬や、もたれる馬の経験を活かして、それを組み込んでいけば、エスポだったら逆にもっと良い方に出るんじゃないかなと思ってやってきたことなので。

-:返し馬の荒々しさ見たいなところも、あえて制御しないでやらせることで、レースでの結果を良くしようという取り組みですよね。

哲:馬はダメダメじゃダメだし、ヨシヨシでもダメやけど、前に進んでいくものは、前に進ませたい。前に進むことを止めたくないというのが、僕の中では常識なので。ファンの方もそういう風に競馬を見ていると思うし“なんでそんなところで引っ張り倒してるんや”っていうのは非常識だけど、みんなの常識みたいだから。僕はそうじゃないと。

-:簡単に言うと、折り合い重視というよりも、馬の全能力をゴールまで使い切ってしまうという感じで。

哲:引っかかって無駄なポジションで引っ張り通しになるよりも、引っ張らないポジションまで持っていって、馬が理解してくれるのを待つのではなく、理解してくれるはずだと思って、騎手が怖がらずにバランスを整えて前に出していくことが、安定感に繋がると思うし、それが人馬一体にも繋がるんじゃないかなと思います。

"人馬一体"は待っていてもそうなるモノじゃないし、人馬一体になろう、と思って攻めていかないと、なかなかできないモノだと僕は思っています。その点、エスポはしんどい思いもしただろうし、でもそれが楽しかったのかもしれないし。いつも楽しそうに走ってくれるように心がけてはやってきたけど、実際にビデオで振り返ってみると、競馬でも楽しそうに見えましたね。




種牡馬エスポワールシチーの可能性

-:スランプもありましたね。

哲:スランプはしょうがないね……。人間が邪魔をするとスランプになる可能性が高いということも分かったし、仕上げの方向性や、使うところに向けての調整も大事やと教えてもらったというか、体現させてもらったし、これほどの馬でも、使うところを間違ったり、使わないといけないところを使わなかったりすると、崩れるんだなあと。やっちゃダメなことは、絶対やっちゃダメってことやね。

-:立ち直るまでには時間もかかりました。

哲:いやあ、よく立ち直ったと思いますよ。かしわ記念を勝った時から、前のエスポと違っていたので「これはヤバい」なあと思いながらだったので。アメリカから帰ってきてから、検疫とか色々あったんで……。その辺は安達先生や森崎君(森崎教太調教助手)頼みで、あんまり僕が携わりすぎると、本当に“この人はイヤや”と思うだろうなあって。イヤなときに動かされると、イヤなことしか思わなくなるから、調教にもなるべく乗らないようにとかしながら、森崎君に任せました。そういうことで、また立ち直ってくれるということも分かったし、人間がしっかり、本当に馬のことを考えて、楽させることがいいとかそういうことではなくて"ちゃんと歩かせて、ちゃんと走らせて、ちゃんと競馬を終わる"というのが大事だと、エスポに携わってより思ったかな。

-:競馬でどういうレースをするかにあたって、調教過程という、長い時間を付き合うことが、いかに大事かということですね。

哲:僕はそう思うかな。人それぞれで考え方は違うと思うけど。

-:レースは2分くらいで終わってしまいますけど、調整には長い時間がかかります。

哲:その2分のために凄く考えて日々やっていると、競馬なんか考えなくても馬が勝手に結果を出してくれると思ってるんで、そっちのほうが僕は大事かなと。


「エスポの右前の返しが独特なスナップじゃなかったら、芝馬だったと思います。それこそ、中長距離の芝馬とか出ても良さそうな気はしますけどね」


-:退厩する前日にエスポに会いに行ったんですけど、今までのエスポと違う顔をしていたというか。

哲:引退ということを分かっているのかな?

-:種牡馬になったら、頭数はそれほど付かないかもしれないですけども……。

哲:そうですね。独特なフットワークがあるので、それが武器になるような仔が出てくれたら、そして、その武器に気づいてくれる人に出会ったら、いい産駒も出てくるんじゃないかな。


種牡馬入りへ向けて、栗東トレセンを退厩する前日のエスポワールシチー。左は担当の森崎教太調教助手


-:芝で走る馬が出てくる可能性はどうでしょう?

哲:エスポの右前の返しが独特なスナップじゃなかったら、芝馬だったと思います。それを活かしたいから、ダートに行っていただけで。それこそ、中長距離の芝馬とか出ても良さそうな気はしますけどね。

-:哲三さんの、エスポに関する生の声を聞けるのはとても貴重だと思います。

哲:まだまだ色々な想いがありますけど、長く喋るわけにもいかないのでね。

-:最後に、名コンビだったエスポワールシチーにメッセージをお願いします。

哲:お疲れさまでした。現役生活の最後も一生懸命走って、G1を2勝して、いい思いをして引退できたと思うのでね。これからゆっくりと種牡馬人生を送って、いい仔を送り出してほしいなと思います。

-:語り尽くせない話はまだまだあると思いますが、ありがとうございました。




【佐藤 哲三】Tetsuzo Satoh

1970年 大阪府出身。
1989年 吉岡八郎厩舎所属でデビュー。
初騎乗
89年3月4日 1回中京1日4R トーアチョモランマ
初勝利
89年4月30日 3回京都4日6R キョウワトワダ


■最近の主な重賞勝利
・12年 南部杯/12年 かしわ記念/11年 みやこS
(共にエスポワールシチー号)
・11年 オールカマー/11年 宝塚記念
(共にアーネストリー号)


1989年に吉岡八郎厩舎所属でデビュー。同期に田中勝春、角田晃一がいる。トレセンきっての理論派として知られ、自身も調教に携わることで、個性的な名馬の育成に従事。これまでにタップダンスシチー、アーネストリー、エスポワールシチーなど主戦騎手を務め、G1はJRA・交流合わせて通算11勝を上げている。04年にはタップダンスシチーで凱旋門賞、10年にはエスポワールシチーとBCクラシックにも参戦するなど、海外も経験した。12年11月に落馬事故により重傷を負い、現在は過酷なリハビリを続け、大事故からのカムバックを目指している。


【高橋 章夫】 Akio Takahashi

1968年、兵庫県西宮市生まれ。独学でモノクロ写真を撮りはじめ、写真事務所勤務を経て、97年にフリーカメラマンに。
栗東トレセンに通い始めて17年。『競馬ラボ』『競馬最強の法則』ほか、競馬以外にも雑誌、単行本で人物や料理撮影などを行なう。これまでに取材した騎手・調教師などのトレセン関係者は数百人に及び、栗東トレセンではその名を知らぬ者がいないほどの存在。取材者としては、異色の競馬観と知識を持ち、懇意にしている秋山真一郎騎手、川島信二騎手らとは、毎週のように競馬談義に花を咲かせている。
毎週、ファインダー越しに競走馬と騎手の機微を鋭く観察。馬の感情や個性を大事に競馬に向き合うことがポリシー。競走馬の顔を撮るのも趣味の一つ。

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