関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

安田隆行調教師

安田隆行厩舎に所属して、師の息子である翔伍助手と景一朗助手の活躍によってもたらされた年度代表馬という称号。ロードカナロアは厩舎と家族の結束を強め、観る者すべてを魅了させる幸運の名馬でもあった。今回は同馬を“もっと知って、称えてもらいたい”という信念のもと、従来とは違った観点で安田隆行調教師に偉業を振り返っていただいた。

チーム安田で飾ったラストラン

-:ついにその瞬間が来てしまいまいた。ロードカナロアの引退についてお話を聞かせてください。

安田隆行調教師:正直な心境としては「(オーナーサイドが)もう一年」って言ってくれないかな、と思いましたけどね、本当に。

-:香港スプリントの勝ち方があれだけ鮮やかでしたからね。

隆:ラストランって決まっていましたから。香港では、かっこ良いパフォーマンスを決めてほしいな、という気持ちでレースを迎えました。結果は華々しいラストランだったので、すごく気分が良かったですね。「もう一年!もう一年やってよ!」って本当に思いました。

-:華々しかっただけに、引退が悔しいですね。ただ、その前の年も香港スプリントを勝っているわけで、そこから1年現役を続けようと思うのは、壊れる心配などを考えると、ある程度攻めの姿勢だったような気はします。

隆:初めて香港スプリントを勝った後、日本ではどういう形で行けるかな、と思いました。阪急杯から始まって、高松宮記念を勝って、安田記念まで勝った時はちょっと自分自身も驚きました。スプリントの覇者だったんで、1600では負けてもいいか、許してくれるか、と出走させて(笑)。そうしたら、レコードにコンマ1秒の速い時計で勝ってくれたので“この馬はすごいな、どういう馬なんだろう”と正直に思いました。無理でしたけど、2000mを走らせてやりたかったです。



-:秋の天皇賞に出ていたらどんなレースだったのかと、想像しただけでワクワクしますね。

隆:そうですね。本当に興味ありましたね。

-:秋は、その前の年と同じセントウルSで復帰して、同じ2着でした。

隆:あれは、ハクサンムーンが本当に強く、うまく競馬をしたと思うんですよ。2着だったけれども、あれは狙ったレースではないので。あくまでもスプリンターズSを狙っていましたし、負けたことは悔しいけど「次に結果を出す」と思うことで、その後はハクサンムーンを負かしましたからね。


「香港はラストランだったから“究極の仕上げ”というか、“びっしりいこう”と。チーム安田で、最高に仕上げられたと思います」


-:G1は落とせないぞ、ということが先生の胸のうちにはあったと思います。そこから香港スプリントですね。

隆:香港はラストランだったから“究極の仕上げ”というか、“びっしりいこう”と。チーム安田で、最高に仕上げられたと思います。

-:“チーム安田”というお話が出ましたが、翔伍さん(安田翔伍調教助手)がロードカナロアにつきっきりで乗っていられて、景一朗さん(安田景一朗調教助手)も調教パートナーにつけて、家族一体となってロードカナロアを盛り上げてきたわけですね。息子さんたちの活躍や成長というのは“お父さん”という視点で見ると、どんな喜びがありますか?

隆:僕は一応、彼らの親父ですけど、彼らは一安田厩舎の従業員なので。息子ということは考えずに、一従業員として素晴らしい仕事をしてくれるなと思っています。息子ということは置いておいて、従業員として働いてくれているので、すごく感謝しています。

-:頼もしいパートナーということですね。

隆:そうですね。



連覇達成時の沙田競馬場

-:香港での追い切りは、翔伍さんのアドリブというか、乗った手応えで“もうちょっとやった方がいい”とスイッチを入れ気味にいったと思います。そういう判断の素晴らしさというのも安田厩舎の強みだと思います。

隆:僕は追い切りの時にまだ日本にいたので、全面的に翔伍に任せました。「思うように、いい形で調教をつけてくれ」と指示をして、向こうから「まだちょっと太いようだったので直線でステッキを入れた」という風に全部こちらに連絡してくれました。僕は現地で見られなかったけど、こういうイメージだな、と頭に描いた通り、完璧だったと思います。

-:僕も、直前の金曜日に香港に入りましたが、土曜日も乗っていましたね。

隆:ちょうど僕も金曜日に入って、土曜日に調教を見ました。

-:その時に取材をさせていただいたら“引退レースだから守りに入る、というような調教はしていない。あくまでもこのレースを獲るための調教をしている”という強気の姿勢を見せられました。それもまた度胸の要ることですよね。

隆:世界のカナロアをお見せするのに、守りに入ったら香港のファンに失礼ですし、ある程度攻めたから、あれだけのパフォーマンスを見せられたと思うんですよ。



-:1200mで5馬身の着差が開くというのは、G1の舞台ではちょっと考えられないですけれど、それが日本から挑戦したカナロアから香港のファンへの礼儀というか。

隆:香港のファンに“カナロア大王”というのを再認識させたというか“これでどうだ!”という感じでお見せできたのが最高ですね。

-:あの華々しい口取りと表彰式がありましたが、そこでの心境はいかがでしたか?

隆:もう本当に、ゴール入った時には涙が出そうになりました。香港のファンにああいう勝ち方をお見せできて、本当に胸を張れましたね。

-:終わった後の香港陣営の反応はどうだったんですか?

隆:みんな祝福してくれて「カナロア、おめでとう!」と言ってくださって、こっちも「サンキュー!」って(笑)。

-:恐れ入った、という感じの香港陣営だったわけですね。帰国してから一息ついて、冷静になってきたときに、また違った感動が込み上げてきたと思います。

隆:これだけの馬を安田厩舎から出せたというのは、正直信じられなかったです。ましてや年度代表馬じゃないですか。年度代表馬が安田厩舎からなんて「ウソ~!」って。ロードカナロアの偉大なる力ですね。偉大な力をもらったし、安田厩舎という名前もすごくアピールしてくれたと思います。

カナロアの仔で再び香港へ

-:では、これからも安田厩舎を応援してくれるファンと、カナロアを応援してくれたファンに、メッセージをお願いします。

隆:カナロアがレースに出走するときには、本当にたくさんのファンに声援を送ってもらって、ありがとうございました。今後また安田厩舎の馬が出るときには、大きな声で応援してください。よろしくお願いいたします。

-:種牡馬になるカナロアにも一言お願いします。

隆:種牡馬になってからのカナロアには、テンの長い、テンの持つ子供を出してほしいですね。「また、あなたの子供で香港スプリントにいきたい」と、カナロアに言いたいです。

-:香港マイルでもいいんじゃないですか。

隆:マイルでもいいですね。本当に夢を大きく広げてくれましたね。「カナロアサンキュー」って言いたいです。

-:日本馬が世界のG1を勝つというのは、短距離界では初ですものね。

隆:そうですね。一昨年が初めてだったのでね。

-:それを連覇できたなんて、偉大というか、この先出るかどうかわからないですよね。

隆:奇跡みたいなものですね。

-:本当に長い間お疲れ様でした。

隆:ありがとうございました。

●安田翔伍調教助手のインタビューはコチラ⇒




【安田 隆行】 Takayuki Yasuda

1953年京都府出身。
94年に調教師免許を取得。
95年に厩舎開業。
初出走:
95年3月11日3回京都5日目8R マルル
初勝利:
95年3月25日1回中京7日目6R アカツキホーオー


■最近の主な重賞勝利
・12~13年 香港スプリント
・13年 高松宮記念/13年 安田記念/12~13年 スプリンターズS
(共にロードカナロア号)

・13年 フェブラリーS
(グレープブランデー号)


騎手時代は小倉開催45週連続勝利など、ローカルコースでの活躍が目立ったが、トウカイテイオーの皐月賞・日本ダービーで2冠制覇の手綱をとったことでも知られる。 調教師としては、カレンチャン、ロードカナロアで近年のスプリントG1タイトルを総なめし「短距離王国」として名を馳せている。
昨年は2月のフェブラリーSをグレープブランデーで勝利すると、ロードカナロアが高松宮記念、安田記念、スプリンターズS、香港スプリントを制し、計5つのG1タイトルを手に入れる大活躍。 11年のドバイワールドカップではトランセンドが2着。日本馬にとって鬼門とも言われていた香港スプリントをロードカナロアで連覇するなど、国内に留まらず、世界にも活躍の場を広げている。


【高橋 章夫】 Akio Takahashi

1968年、兵庫県西宮市生まれ。独学でモノクロ写真を撮りはじめ、写真事務所勤務を経て、97年にフリーカメラマンに。
栗東トレセンに通い始めて17年。『競馬ラボ』『競馬最強の法則』ほか、競馬以外にも雑誌、単行本で人物や料理撮影などを行なう。これまでに取材した騎手・調教師などのトレセン関係者は数百人に及び、栗東トレセンではその名を知らぬ者がいないほどの存在。取材者としては、異色の競馬観と知識を持ち、懇意にしている秋山真一郎騎手、川島信二騎手らとは、毎週のように競馬談義に花を咲かせている。
毎週、ファインダー越しに競走馬と騎手の機微を鋭く観察。馬の感情や個性を大事に競馬に向き合うことがポリシー。競走馬の顔を撮るのも趣味の一つ。

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