池添謙一騎手インタビュー
2009/9/6(日)
池添謙一騎手
プロフィール
【池添謙一】
1979年滋賀県生まれ。
1998年に栗東・鶴留厩舎からデビュー。
JRA通算成績は517勝(10/31現在)
初騎乗:1998年3月 1日 1回 阪神3日 4R ナチュラルカラー(6着/12頭)
初勝利:1998年3月14日 1回 中京7日 1R タヤスソシアル
■主な重賞勝利
・05年エリザベス女王杯(スイープトウショウ号)
・05年宝塚記念(スイープトウショウ号)
・04年マイルチャンピオンS(デュランダル号)
デュランダル、スイープトウショウに代表されるように馬の切れ味を引き出す騎乗には定評がある。また、重賞勝利23勝のうち実にG1で7勝を挙げており、大舞台に強いところを見せている。
記者‐池添騎手が「騎手になろう」と思ったキッカケを教えて下さい
池添-「父親(池添兼雄調教師)が元騎手ということもあって栗東トレーニングセンターの近くに住んでいました。必然的に馬が身近にいる環境でしたし、競馬も見ていましたから、小学校の低学年のころから騎手になろうと思っていました。ちょうどそのころ、武豊騎手がデビューされたころで、ずっと憧れの対象として見ています」
記者‐騎手生活のスタートは順調でしたか?
池添-「当時、父が鶴留明雄厩舎に助手として所属していた関係から鶴留厩舎に所属させてもらいました。今、若い騎手はあまり数多くは騎乗させてもらえませんが、僕の場合は所属馬のほとんど全馬に騎乗させてもらえました。本当にいい厩舎に所属できたし、恵まれていたと思っています」
記者‐最多勝利新人騎手にも輝きました
池添-「多く乗っていたので、もうちょっと勝っていてもよかったかもしれませんね」
記者‐GI初勝利は2002年桜花賞のアローキャリーでした
池添-「あの時は一週間前まで騎乗馬が決まっていない状態でした。急遽乗ることが決まったアローキャリーは逃げ馬だったんですが、同厩舎のサクセスビューティの方が人気になっていたため、『サクセスが逃げるから2番手からの競馬を』という指示を受け、指示通りの競馬をした結果、一生懸命に走ってくれて1着。ビックリしましたね。GIに勝ったことがなかったので『どうやったらGIに勝てるか』ということが分からなかったんです。福永(祐一)先輩は『GI初勝利は交通事故みたいなもの』なんていってましたが、その通りで一番最初のGI勝利は勝とうと思って勝てるものじゃないと思いましたね。人気も無かった(13番人気)ですし、勝てるとも思っていませんでした」
記者‐まさに無欲の勝利。喜びもひとしおですね
池添-「そうですね。レース後、ユタカさん(武豊騎手)から、『(旧)阪神1600メートルの完璧な乗り方だった』といってもらえて嬉しかったですね」
記者‐武豊騎手はそういった気遣いをされる方なんですね。騎乗技術を教えてくれることも?
池添-「いや、あんまり教えてくれないです(笑)」
記者‐デュランダルではマイルチャンピオンシップ2連覇、スプリンターズS制覇と短距離路線で大活躍でした
池添-「最初から騎乗していた馬ではなかったのですが、僕が乗る前にユタカさんをはじめ何人かの騎手が追い込みを教えていた馬でした。終いを生かす競馬に向いた馬で、僕が乗ってから追い込みが定着しました。蹄が弱かったこともあって順調に使えない時期もありましたが、名馬といってもいいんじゃないかと思います。追い込み馬は展開に左右されることが多いんですが、デュランダルの場合はどんな展開でも結果を出してくれました」
記者‐そのデュランダルの産駒が馬産地やセールで高い評価を受けています
池添-「自分が乗った馬が種牡馬になったことは初めてなので、今からデビューが楽しみです」
記者‐仕事をしている上でこれだけは気をつけているということがあったら教えて下さい
池添-「ケガをしないことですね。気をつけても防げないことなんですが…。デビューしたときに四位さんからいわれた『自信を持って乗れ』という言葉を大事にしています。競馬というのはどうしても負けが多い職業だから悩んだりすることが多いんです。レースが終わってからもVTRを何度も見て研究しています」
記者‐得意なコースや不得意なコースはありますか?
池添-「コースでいえば京都の外回りコースが好きですね。距離だとどちらかというと長い距離が好きですね。駆け引きの楽しみもありますからね。一瞬の判断を求められる短い距離は、ミスできないというプレッシャーがかかるのであまり好きではありません(笑)」
記者‐最近の会心のレースといえば
池添-「札幌で3~4回ありました。人気薄の馬に乗って、スタートしてからすぐにラチ沿いに持って行ってジッと内で待つ。直線に向いて内をすくって差し切るといった感じです。前が壁になっていたりした場合、一瞬の隙を突かなければなりませんので、内をすくって勝ったレースは会心ですね」
記者‐最後に今後の抱負をお願いします
池添-「GIに数多く乗ることです。去年はGIを勝っていないので今年は勝ちたいですね」
池添-「父親(池添兼雄調教師)が元騎手ということもあって栗東トレーニングセンターの近くに住んでいました。必然的に馬が身近にいる環境でしたし、競馬も見ていましたから、小学校の低学年のころから騎手になろうと思っていました。ちょうどそのころ、武豊騎手がデビューされたころで、ずっと憧れの対象として見ています」
記者‐騎手生活のスタートは順調でしたか?
池添-「当時、父が鶴留明雄厩舎に助手として所属していた関係から鶴留厩舎に所属させてもらいました。今、若い騎手はあまり数多くは騎乗させてもらえませんが、僕の場合は所属馬のほとんど全馬に騎乗させてもらえました。本当にいい厩舎に所属できたし、恵まれていたと思っています」
記者‐最多勝利新人騎手にも輝きました
池添-「多く乗っていたので、もうちょっと勝っていてもよかったかもしれませんね」
記者‐GI初勝利は2002年桜花賞のアローキャリーでした
池添-「あの時は一週間前まで騎乗馬が決まっていない状態でした。急遽乗ることが決まったアローキャリーは逃げ馬だったんですが、同厩舎のサクセスビューティの方が人気になっていたため、『サクセスが逃げるから2番手からの競馬を』という指示を受け、指示通りの競馬をした結果、一生懸命に走ってくれて1着。ビックリしましたね。GIに勝ったことがなかったので『どうやったらGIに勝てるか』ということが分からなかったんです。福永(祐一)先輩は『GI初勝利は交通事故みたいなもの』なんていってましたが、その通りで一番最初のGI勝利は勝とうと思って勝てるものじゃないと思いましたね。人気も無かった(13番人気)ですし、勝てるとも思っていませんでした」
記者‐まさに無欲の勝利。喜びもひとしおですね
池添-「そうですね。レース後、ユタカさん(武豊騎手)から、『(旧)阪神1600メートルの完璧な乗り方だった』といってもらえて嬉しかったですね」
記者‐武豊騎手はそういった気遣いをされる方なんですね。騎乗技術を教えてくれることも?
池添-「いや、あんまり教えてくれないです(笑)」
記者‐デュランダルではマイルチャンピオンシップ2連覇、スプリンターズS制覇と短距離路線で大活躍でした
池添-「最初から騎乗していた馬ではなかったのですが、僕が乗る前にユタカさんをはじめ何人かの騎手が追い込みを教えていた馬でした。終いを生かす競馬に向いた馬で、僕が乗ってから追い込みが定着しました。蹄が弱かったこともあって順調に使えない時期もありましたが、名馬といってもいいんじゃないかと思います。追い込み馬は展開に左右されることが多いんですが、デュランダルの場合はどんな展開でも結果を出してくれました」
記者‐そのデュランダルの産駒が馬産地やセールで高い評価を受けています
池添-「自分が乗った馬が種牡馬になったことは初めてなので、今からデビューが楽しみです」
記者‐仕事をしている上でこれだけは気をつけているということがあったら教えて下さい
池添-「ケガをしないことですね。気をつけても防げないことなんですが…。デビューしたときに四位さんからいわれた『自信を持って乗れ』という言葉を大事にしています。競馬というのはどうしても負けが多い職業だから悩んだりすることが多いんです。レースが終わってからもVTRを何度も見て研究しています」
記者‐得意なコースや不得意なコースはありますか?
池添-「コースでいえば京都の外回りコースが好きですね。距離だとどちらかというと長い距離が好きですね。駆け引きの楽しみもありますからね。一瞬の判断を求められる短い距離は、ミスできないというプレッシャーがかかるのであまり好きではありません(笑)」
記者‐最近の会心のレースといえば
池添-「札幌で3~4回ありました。人気薄の馬に乗って、スタートしてからすぐにラチ沿いに持って行ってジッと内で待つ。直線に向いて内をすくって差し切るといった感じです。前が壁になっていたりした場合、一瞬の隙を突かなければなりませんので、内をすくって勝ったレースは会心ですね」
記者‐最後に今後の抱負をお願いします
池添-「GIに数多く乗ることです。去年はGIを勝っていないので今年は勝ちたいですね」
★取材日=10/31
★取材場所=栗東・御園寮インタビュー室
★取材場所=栗東・御園寮インタビュー室