「本当に競走馬になれるのか…」 “常識”を覆して砂の頂点見えた テイエムジンソク
2018/2/11(日)
テイエムジンソク木原一良調教師インタビュー(2P)はコチラ⇒
-:オーナー以外にも生産牧場の人も力が入っているでしょうね。
木:でも、G1使っていきなり1番人気に推されるとは思わないよね。自分でビックリして、間違いだろうと思って。
-:チャンピオンズCを経験して今回はドンと来いという感じですか?
木:最近はやっと馬を信頼というか、信用できるようになってきて。結果を残しているんだから、認めてやらないとダメなのですが、レースは生き物だから難しいですよね。
-:先生が感じるプレッシャーをはね退けるだけのパフォーマンスを出していますからね。
木:出しているけど、普通の重圧じゃないよね。特に人気を背負うと、普通の精神状態でいろ、と言う方が無理だもん。自分が走る訳じゃないですし、メチャメチャ良いことを言った訳ではないのですが、ファンがこの馬の評価を知っているからね。ファンの皆さんの評価というのはスゴい。
-:今回の舞台は府中じゃないですか。先生の気持ちを和らげられるとしたら、これが札幌や函館の小回りコースだったら、トリッキーさ故に、どれかに足元をすくわれるという可能性があるけども、府中って強い馬が勝つ大場所でしょう?
木:ごまかしの効かないコースだと、いつもそう思います。小回りならごまかしが効いて、小回りマジックが効くからさ。
-:先生がおっしゃった気のせっかちな面がある馬で、輸送した時にガクンと成績を落としたり、ということがありそうなのですが、この馬はあまりないですよね。あんまり影響がないということですね。
木:ええ。性格はこぜわしい割にはカイバを食べるから、大きく変動はないんですけどね。
-:それだけ気持ちの強い馬なのでしょうね。
木:でも、見栄えが良くないよね、ハハハ(笑)。
-:それは、最初のテイエムジンソクの出会いの頃を知っているからじゃないですか(笑)?今パッと見たら、そんなに劣っていないと思いますよ。
木:本当に歩けないんだから。G1の1番人気の馬がパドックでチャカチャカしていたら
、格好つかないよね。「ドッシリ構えろよ」と言いたくなるのですが、ノミの心臓かも分からないしね、ハハハ(笑)。-:これはこれでテイエムジンソクのいつも通りということですね。
木:いつも通りだよね。ただ、これは見えないところで地下馬道がうるさいから、大変なんですよ。
-:関東はマイルのダート戦という選択肢はあるけども、ジンソクは1700、1800、1900、2000じゃないですか。1900を使っているということは、やっぱり1800より長めの方が良いということですか?
木:だから、そこら辺だよね。1ハロン短縮というのが、どうなのかというのが……。でも、(引退した)コパノリッキーは色々なところを使っているよね。
-:あの馬は、別にワンターンであろうと4つであろうと、という感じでしたね。府中のマイル戦でも「1600ピッタリの馬じゃ勝負にならない」とよく言われるので、1800、1900で走ってきた経験が府中のマイルでも活きるんじゃないのでしょうか?
木:そう思いたいですけどね。(他の馬なら)不思議とそう思えるんだけどね。
-:自分の管理馬だとそうは思えない。
木:でも、今は、確かに心身ともに充実しているから、今の状態でどのくらいなのかな、というのを見たいですね。
「毎日、毎日がやっぱり心配ですよね。もともと、スッキリした脚の馬じゃないから。脚元も弱かったのですが、今は何ともないですけどね。ここまで来たら連対を延ばしたいですね」
-:最後の締めに、先生に笑ってゴールを見てもらえるように期待していますが、応援しているファンにメッセージをお願いできますか?
木:何とか一つ、憧れの東京コースで勝利したいですけどね。
-:あと10日くらいですが、夢に向かって頑張ってください。しかも、寒い日々が続きますしね。
木:毎日、毎日がやっぱり心配ですよね。もともと、スッキリした脚の馬じゃないから。脚元も弱かったのですが、今は何ともないですけどね。ここまで来たら連対を延ばしたいですね。
-:ファンの後押しという追い風に乗って。
木:それが頼りですよね。本当追い風に乗りたいです。ジョッキーの追い風にも便乗できそうですからね。最後に笑えれば良いなと。前々走(チャンピオンズC2着)の悔しさがあるから、尾張の借りを府中で返したいなと。江戸で返すぞ、という気持ちで行きます。
-:応援しています。ありがとうございました。
テイエムジンソク木原一良調教師インタビュー(1P)はコチラ⇒
プロフィール
【木原 一良】Kazuyoshi Kihara
1954年4月25日生まれ。北海道出身。競馬好きだった父の友人から「(体が)小さいからジョッキーになれよ」と言われたことをきっかけに、1970年に馬事公苑の騎手養成所の試験を受けて合格。初めて馬に触れる。1974年に中山・富田六郎厩舎から騎手デビュー。1976年から栗東・戌亥信義厩舎に移り、フリー、日迫良一厩舎、内藤繁春厩舎を経て1984年に現役を引退(通算602戦29勝)。同年3月から内藤繁春厩舎の調教助手を務め、1998年年に調教師免許取得。1999年に開業。2010年にナリタクリスタルの新潟記念で重賞初制覇を飾った。JRAの重賞は9勝。モットーは「従業員との会話を大切にすること」。