関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

日吉正和調教師

日吉正和調教師


藤田伸二、四位洋文騎手らと同期として騎手デビュー。その後、調教助手を経て、今年3月に厩舎を開業した日吉正和調教師。厩舎開業にあたってのプロセス、または今後の厩舎運営についてのプランなどをうかがった。

競馬に興味が湧かなかった少年が、意識をせずに競馬界へ

-:騎手時代より以前、まず、競馬を知ったきっかけから教えて頂けますか?

日:家が小倉競馬場の近くで、よく父に連れて行ってもらったんです。でも、競馬を観に行っていたからといって、この世界に入ろうと意識はしていなかったんです。高校に行っている時、デスクワークにピンと来ていなくて、変わった仕事をしてみたいと思っている時、競馬学校騎手課程の募集を見つけて応募してみたら、流れのままに受かってしまって…。昔から騎手を目指していたような人には申し訳ないけれども、馬とかに興味を本当に持ったのは、中に入ってからという感じでした。

-:当時、競馬界に入られる前に、好きな騎手や競走馬はいましたか?

日:特別、競馬好きではなかったので、馬をあんまり意識はしていなかったのですが、あの頃は(武)豊さんがデビューして、凄く活躍されていた事が印象に残っていますね。

-:その学生時代はご自身で振り返って頂くと、どんな少年だったでしょうか?

日:そんなに街には出歩かない方でしたね。普通に友人達と遊んだりもしていましたし、家で模型を作ったり、自分でゲームをつくったりするマイコンと呼んでいたパソコンをやったり。器械体操をやっていたので、体を動かすこと自体も好きでしたね。

-:そして、競馬界に入られて、最初の頃に苦労されたことはありましたか?

日:遊園地で引っ張っているような馬には跨ったことはあったけれども、馬に乗ったことが全くなかったですからね。競馬学校ではよく馬から落ちていました(笑)。「なんぼ、落ちて上手くなるといっても、お前は落ち過ぎだぞ」なんて、教官にも言われていましたから(笑)。

-:競馬学校の同期の方で、技術的に目立っていた方はどなたでしたか?

日:同期は伸二や四位、康彦もいましたからね(※)。特に四位はずば抜けていましたよ。

(藤田伸二騎手、四位洋文騎手、安田康彦元騎手)



-:今では目覚ましい成績を残している藤田騎手や四位騎手。そんな、凄い同期の方々に追いつこうと努力されたことはありましたか?

日:努力は皆していたんです。だから、追いつくという意識よりも、気にせずにマイペースにはやっていました。

-:となると、ご自身を分析されると、性格的にはマイペースな方なのでしょうか。

日:そうですね。競馬学校を出て、デビューしてからはプレッシャーを感じることもあり、リズムを崩したようなところはありましたけれど、今はマイペースにやれていますし、自分らしく出来ているかと思います。

-:デビューされてからのエピソードは沢山あると思いますが、記憶に残っていることはありますか?

日:色々な厩舎を転々としましたからね。そういう意味では色々な経験をさせてもらったと思います。こういう風にしたらこうなるんだ、と良い面も悪い面も学びましたし、厩舎を開業するまでのイメージ造りに役に立ったと思います。

-:その中で記憶に残る馬はいましたか?

日:騎手として初勝利のエイシンテイオーやずっと競馬で乗せてもらったダンディラッシュ(※1)ですね。あとは僕が競馬に乗っていたわけでなく、騎手を辞めてからの話ですが、マッキーカルタスという馬がいたんです。未勝利で終わったけれども、一生懸命走る子で違う意味で印象に残っていますね。こんな馬がいるんだと思わされたものでした。

(1 通算5勝、京都新聞杯やステイヤーズSにも日吉調教師が騎乗して挑んだ)
(2 詳しくは4月9・10日号の競馬ブック「マイクでごめん」をご参照ください)


-:ご自身が騎手をされていた当時から、調教師になることは早くからイメージされていたのでしょうか?

日:意識し始めたのは乗り役の晩年ですね。障害で落馬して、医師からも「もう競馬では乗れないよ」と言われたのですが、靭帯も半分くらい繋がっていたので、なんとか大丈夫だったんですけれどもね(笑)。
でも、一度競馬に乗ると、次の週まで足を引きずってしまうほどで、この世界に残るとしたら、50~60歳まで馬に乗れる自信もなかったし、厩舎を転々とした理由の中にも、自分のやりたいことがあったんです。それを納得できるまでやろうと思ったら、このポジション(調教師)しかないですからね。そういう意味でもやりたいなと思って。調教師になるための勉強を始めることにしたんです。


日吉正和調教師インタビュー(後半)
「気心の知れたスタッフ達と厩舎をスタート」→

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【日吉 正和】Masakazu Hiyoshi

1972年福岡県出身。
2010年に調教師免許を取得。
2011年に厩舎開業。


91年に騎手デビュー。騎手としては2,111戦92勝の成績を残し03年に鞭を置くと、同年から調教助手に。 調教助手としては作田誠二厩舎、岡田稲男厩舎、野元昭厩舎、作田誠二厩舎、吉岡八郎厩舎を渡り歩いて、今年3月より厩舎を開業。 吉岡厩舎時代からのスタッフを中心に厩舎運営に日々励んでいる。厩舎の調教服はオレンジ色を大きくあしらったデザインが印象的。