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安藤光彰調教助手

安藤光彰調教助手(元・騎手)


笠松競馬で弟の安藤勝己騎手と共に一時代を築き、2007年から中央競馬へ移籍した安藤光彰元騎手。2月一杯で現役を引退、今は坪厩舎で調教助手を務めている。騎手歴30年以上の大ベテラン。全てを語り尽くしてもらうことはなかなか難しいが、引退後の近況などを答えてもらった。

現在は調教師を目指し奮闘中


-:調教の合間のお忙しい中、失礼いたします。騎手を引退されて、時間も経ちましたが、調教助手としての毎日はどうですか?

光:今朝は3時に起きて、調教師試験の勉強をしていたよ。厩舎には5時に来たね。と言っても、4時頃までボーッとしていたから(笑)、今日の勉強は1時間ぐらい。でも、だいたい毎日やっているねえ。昼間は疲れてヤル気がせんけれど。あと、助手は馬に乗るだけじゃなく事務作業をやらなくちゃいけない。それがまだ慣れなくてちょっと面倒だなあ(笑)。

-:事務作業ですか。

光:使うレースに登録したり、放牧に出す手続き、放牧から帰ってきた馬の検疫とか。慣れりゃエエかもしれんね。思っているより細かいんだよ。

-:事務作業とか勉強はもともと得意な方ですか?

光:イヤ、全然得意じゃない(笑)!やっぱり、体を使うのが一番得意で、頭を使うのは全然ダメだよ(笑)。

-:ジョッキーに限らず、我々も事務作業とかは書くのが凄く苦手で、勉強となると、もっと嫌じゃないですか?好きな事ならまだしも。

光:まあ、馬の事なんで、まだいいかなと。

-:勉強があまり好きではないという中で、今から改めて調教師に挑戦するというのは大変な事じゃないですか?

光:大変だよ。でも、なにか目標……、刺激がないと。騎手の頃はレースの刺激があるけれど、騎手時代に比べると、助手は刺激がないからね。

-:でも、振り返ってもらうと中央に来る時は、それなりに勉強されたわけですよね。

光:そうそう。あのときは出来たなあ。1日8時間もやっていたから。

-:エ~?そんなにやられていたんですか。やっぱり、ちょっと中央のゆとりのあるスケジュールというか、ぬるま湯につかったんですかね?

光:いや~、今は出来ないね。そういうのもあるかもしれん。調教師を目指してやっているけれど、だって今、正直、「これで調教師にならんでもいいかな?」って気持ちも半分どっかにあるもん。もし55歳で開業したって、15年しか出来ない。そういう事を考えると気持ちが乗ってこないねえ。



-:それに厩舎を開業したとしても、最初の5年ぐらいは流れに乗れなくて、馬集めで苦労したりしますよね。最初は引退調教師さんの馬を引き継ぐから、どこの馬を預かれるのかもわからない。

光:それを考えたら15年って、アッという間。それでも、「一生懸命やって、調教師に受かってもどうなのかな?」とか、そういう事も考える。だって最初、厩舎開業に2千万ぐらいかかるよね?

-:もっと掛かるんじゃないですか。

光:ホントに?そういう事考えると余計に嫌だなあ……。ハッキリ言って、15年で開業資金を回収出来んのかな?出来んよね、よっぽどイイ馬がおらんと。

-:一発走る馬がいないとそうですね。しかもそれを3年目ぐらいまでに出さないと、他の馬主さんたちが集まってくれない。それで集まってきたらきたで、15年ぐらい経ったら一番いい頃に辞めさせられて。ここでも辞めさせられるの?みたいな。

光:本当にそういう事を考えると、力が湧いてこないねえ。俺も48歳でこっちにきたけれど、向こうで調教師をやるより、生活的にはずっとこっちの方がいいもん。この前も南関の岡林さん(船橋の岡林光浩調教師)が、NARグランプリで年間2位か3位ぐらいで表彰されていたけれど(NARグランプリ2011最優秀賞金収得調教師賞受賞)、1億8千万ぐらいしか稼いでないもん。あの岡林さんがだよ?考えたら中央の年間10勝にも満たないんだよね。そんな事を考えたら向こうの調教師は大変だと思うよ。

-:年間の手当てで1800万として、経費などを引いたら手元には残らないですね。ちょっとは預託で浮くぶんはあるとしても。

光:南関東のトップクラスの調教師でさえ、苦しいんだからね。今は馬主がしんどい時期なのに、預託料高くするわけにもいかないし、日本全体の景気が悪いなぁ。金銭的に余裕のある個人馬主さんが減ってきて大手だけが強いもんね。今の時代みんな悪循環。昔は馬なんて道楽でやっていたよ。人間にもっと余裕があったし、今は競馬を商売でやっているよね。昔はさぁ、馬主さんが買ってくれた何千万の馬を壊したって、大袈裟に言えば「あぁ壊れたか」って感じだったよ。地方でも税金対策とか、そういう目的が多かった。今とは全然違うよ。

-:アンミツさんが30代後半ぐらいの頃はバブルがありましたよね。

光:あったよね。あの時は馬主って、今みたいじゃなかったよ。ただ馬券で遊びたいとかそういうお金持ちがやっていて、馬を商売道具にしてなかったもん。それが今は全然違ってきとる。だから余計みんなギスギスしているよね。全体的に。

-:自分が買った馬を “育てる”っていう感覚が全然なくて。結果ばかり求められてますよね?しかも、それが馬だけではなく、若い騎手を育てる環境じゃない。

光:だから調教師も逃げ場ないよ。負けたら仕方なく騎手のせいにしたり。

-:昔と違ってエージェントが入っているから、上の方の騎手に騎乗依頼が集中し易くて、リーディング上位の騎手が上手く感じるけど、実際は“走る馬に乗れた者が勝ち”みたいになっていますよね。

光:だから調教師の采配で、「コイツに乗せてやる」とか言えなくなってきている。毎日、調教つけてもレースには乗れなかったり。

-:馬の特徴に合ったジョッキーが乗っているかと言ったらそうじゃないですよね。

光:ねぇ。すげぇ時代だよ。

-:アンミツさんが厩舎を経営しても、違うなぁって気持ちになるんですか?“こうしたいのにこう出来ない”みたいな。

光:そりゃあるよ。大手の馬主なんか、乗り役決めて、使う日にち決めて。

-:調教師さんに話を聞いても、「オレらなんか“段取り屋”だよ」なんて意見も聞こえてきます。馬の状態をちゃんと見て、“よくなってきたから、使おう”という流れじゃなくて、レースが予め決まっているんですよね。3回使って短期放牧、とかまで決まっていたり(笑)。

光:そりゃ個人の馬主さんの方が面白いよ。みんなで北海道に行って「あーだ、こーだ」言って気に入った馬買ってね。見つけてきた馬を走らせるのが競馬の面白みじゃない。ホントはそれが理想、楽しいんだよね。オレは昔、馬主さんが馬を買うのに連れ立って、(弟の安藤勝己騎手と)勝己としょっちゅう北海道行っていたね。あの時は馬が走っても走らんでも面白かった。

-:その選んだ馬が走ったことは……。

光:イヤ、あんまり走らん(笑)。自分で見つけた馬は1勝くらいで走らんかったなあ。

-:アンミツさんの馬の見方として、馬を買いに行くとしたら、馬のどこを見るわけですか?

光:馬?見てもわからんよ~(笑)。わからんけど、やっぱり雰囲気じゃない?それしかなくないでしょう。だって、当時は高い馬を買うわけじゃないし。

-:その時は主に笠松でダート馬に乗っていたわけだから、ガッシリしたところとか体型とか。ちょっと耳絞っていたら、人に大事にされてないんじゃないか?とか、色々感じると思うんですけれど。

光:確かに感じるものは多いよね。馬の顔とかも品とか。

-:でも1つは勝てたと。

光:ハハハ(笑)。1勝だけ。

-:これからはここで調教助手として、色んな事を経験して。

光:競馬の経験はもうだいぶしているけれどね。中学2年から競馬場にいるから、その頃から調教もやっていたよ。勝己と二人で一日10頭ぐらいやらされたよね。



-:その頃から馬に乗られているとなると、何年乗っているんですか?

光:う~ん、15歳ぐらいから。もう40年近く乗っとるねえ。あの頃は2歳の乗り慣らしからやったもん。

-:馴致ですか?

光:そうそう、全部最初からね。腹帯を付けるのとか、勝己と二人で。今は、牧場から育成場に入って、そこで馴致するでしょう。昔はそんなもんなかったから、一から教えないと(笑)。

-:今、そういう事を経験している人は少ないですよね。

光:いないんじゃないかな?今は。みんなトレセンに入る前に育成でやっているからね……。あれが一番大変。怪我はするし。気が悪い馬はアブミが外してあって、縛って、跨いで一気にロデオ大会みたいな(笑)。けっこう危なかったけれど、楽しかったねえ。勝己と二人で一日三回ぐらいずつ落とされたよ。今、考えれば、凄いことだよね。

-:その時は笠松も今みたいに景気は悪くなかったんですよね。

光:う~ん、その頃は徐々に良くなってくる頃かなあ。昔の笠松って馬の質は、今より全然良かったんだよ?

-:その何年か後にオグリキャップが出てきたんですね。あの時はオグリキャップと一緒に走ったことも。

光:そうだとは思うけれど、……あまり記憶にないな(笑)。

-:思い出してくださいよ!当時のオグリキャップは強かったですか?

光:あんまり覚えていないけれど、強いには強かったねえ!

-:笠松のダートはオグリキャップには合ってなかったですか?確か負けたこともありましたよね。

光:やっぱり、芝の方が合ったよね。ダートが苦手というわけでもないとは思うけれど、負けていたねえ。負かした馬はマーチなんとか……。昔のことだから、忘れてしまったよ(笑)。

安藤光彰調教助手インタビュー後半は→

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(取材・写真)高橋章夫




【安藤 光彰】 Mitsuaki Andou

笠松競馬の騎手として1976年10月20日にデビュー。(中央移籍時点で)2818勝の成績を残すなど、地方競馬の第一人者として活躍。2007年にJRAへ移籍。まずは美浦の菊川正達厩舎に所属したが、2009年に栗東へ移籍。
中央では2155戦68勝。うち重賞は2勝を挙げて、今年2月一杯をもって騎手を引退。現在は坪憲章厩舎にて調教助手を務めながら、調教師を目指している。弟は言わずと知れた安藤勝己騎手。長男は大井競馬の安藤洋一騎手。娘婿は太宰啓介騎手。