関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

栗田博憲調教師

‐‐:このたびは、通算500勝おめでとうございます。1980年開業で、500勝達成ということですが。

栗:ありがとうございます。今年30年目になるのかな?それで500勝…、遅いよね(笑)。

‐‐:いえいえ、それだけ勝利を積み重ねるというのは大変なことだと思います。ところで開業当初はどんな感じだったのでしょう?

栗:当時は小林勘次郎さんという厩舎を引き継いだのですが、すぐに競馬に使える馬がいなくてね。隣の厩舎に馬運車なんか止まっているのを見ると羨ましくて。ウチはいつ頃使えるのかなあって…。そういう状態でしたね。

‐‐:初勝利はフジノタイヨーという馬で、初出走のタニノネヴァーから数えて16回目の出走だったようですが、喜びも格別だったのではないですか?

栗:ええ、そうですね。開業して半年くらいたっていましたから、ようやくという感じでした。

‐‐:そこから数えて、500勝目ですよね。達成された時のお気持ちはいかがでしたか?

栗:府中の時にね、何とか達成したかったんですけどね。人気にはいつもなるのね。1番人気とか2番人気とか、そういうのが多かったんですよ。それがみんなズッコケちゃってね(笑)。これは500勝できないんじゃないかなあと思ったんだけどね。アハハハ(笑)。

‐‐:アルダントヌイとか?

栗:そうあれは1番人気だったからねえ。その他にもいろんな馬がいましたけど、それがみんなねえ…。私にお仕置きしてくれたのかなあ(笑)。

‐‐:そう簡単に勝てるものではないですよ、と?

栗:そうそうそうそう(笑)。王手かかってから、随分足踏みしましたからねえ。

‐‐:あと1勝で500勝という意識はかなりされましたか?

栗:いやあ、自分はしないんだけど、周りがねえ。「あと1勝だね」とあちこちから言われて、自分では意識していないのに、周りの人にさせられちゃう…そんな感じだったですね。

‐‐:それで500勝された当日は、現地にいらっしゃったのですか?

栗:はい、福島に行っていました。

‐‐:ウイナーズサークルでは、500勝と書かれたプラカードが出てきたりして、記念撮影などセレモニーがあるのですか?

栗:いえ、ないですよ。それは騎手だけですね。調教師は静かなもんですよ(笑)

‐‐:達成された時のお気持ちは?

栗:まあ王手かかってから、2か月くらいかかったかな?だから、やっとこさという感じでしたね。

‐‐:話は変わりますが、先生は競馬とは縁のない環境からこの世界に入られたとお聞きしましたが?

栗:そうね。親父はエンジニアでしたから、畑は全然違うしね。それが大学に入学して、馬術部に入って、馬に乗るのが楽しくなったという感じですね。

‐‐:馬術部に入られたということは、その前から馬に興味はあったのですか?

栗:いや、馬っていうものを知らなかったよね。地元に小倉競馬場はあっても、行ったことはないし。だから馬を知るきっかけがありませんでしたね。

‐‐:ではなぜ馬術部に入られたのですか?

栗:ちょうどまた試験を受けた帰りにね、先輩が入学したら馬術部入れやと声をかけてくれてね。面白そうだなと思って。それにその時に、馬に乗って常足(なみあし)させてもらったからね。

‐‐:初めて馬に跨ってどうでしたか?

栗:視界がね、いや、これは高いもんだなあって(笑)。普通の人と同じ感想だよね。

‐‐:ちなみに大学はどちらだったのですか?

栗:僕らがいた頃は日本獣医畜産大学と言ったんだけど、今は日本獣医生命科学大学とかいって、随分しゃれた名前になっていますよ。

‐‐:獣医になりたくて入られたんですよね?

栗:そうですね。動物も好きでしたし。

‐‐:馬術部に入部されて、腕前の方はいかがでしたか?

栗:まずまずでしたよ。全日本学生選手権鐙上げ大会というのがあるんですけど、日獣(日本獣医畜産大学の略)の馬術部としては自分が初めて出場資格を得たんですよね。まあそれだけ、馬術部のレベルが高くなかったということかな(笑)。

‐‐:いえいえ、そんなことはないと思いますよ。

栗:でも一人、山内さんという先輩がいてね。その人の友達の高山昭さんという馬事公苑の古参の教官に、馬場馬術を教わりましたね。それまでは馬場馬術なんて、ほとんど知らなかったよね。動かすのを扶助っていうんですけどね。

‐‐:手綱を微妙に動かすだけで馬が反応しますもんね。

栗:そうそう。あと重心の移動と、脚の使い方だね。重心を動かすだけで、左手前、右手前とパッ、パッ、パッ、パッと変わるからねえ。ちゃんと馬場馬術の調教がされた馬はすごいよねえ。私なんか、はじめそれやったら馬がパニックになっちゃって(笑)。私が余計な動きをするから、馬からしたら「上に乗っている人、いったい何させようとしてるんだろう」ってね(笑)。だから調教ができた馬を壊すのは簡単なんですよ。下手くそ乗せておけば、すぐに壊れちゃうから(笑)。

‐‐:障害も飛ばれたんですか?

栗:ええ、障害の方が専門でしたね。障害は、馬場馬術よりも簡単ですよ(笑)。

‐‐:大学時代に競馬をご覧になる機会はありましか?

栗:そんなには見てはいないけどね。ただ同級生に浦河の辻牧場の息子がいて同じ馬術にいた影響もあって、少しは競馬を見るようにはなったという感じかな。でも馬術の方に夢中で、当時競馬で走っていた馬は覚えてはいませんね。競馬場もそんなに行かなかったですし。

‐‐:その先生がなぜ、競馬の世界に入ろうと思われたのですか?

栗:自分自身が馬乗るの、大好きだったし…酒飲めて馬乗れればいいわって、単純な動機でした(笑)。まあ、馬を速く走らせてみたかったし、スピードに対する憧れもあったからね。だから速く走れる馬を自分で作ってみるのもいいなと思ってね。

‐‐:同じ馬に乗るのでも、馬術はどちらかというと馬体を収縮させて、競馬は馬の体を伸ばすみたいなイメージがあるのですが。

栗:競走馬も収縮させるんですよ。収縮させないと、最後は伸びないですからね。

‐‐:なるほど、馬術も競馬も似ているところがあるのですね。最近では馬術部出身の調教師さんも増えてきましたが?

栗:そう、だから結構、分かっている人が多くなったよね。

‐‐:先生の頃はまだ馬術部出身者は少なかったのではないですか?

栗:それこそ、当時、馬術部上がりって言ったら、自分が入って所属した厩舎の師匠の成宮がそうでしたね。あとは数えるほどしかいなかったね。引退した鈴木の清さんだとか…そんなにはいなかったですよ。

‐‐:それで入った厩舎が先ほどもお話にあった成宮先生のところでしたね?

栗:そうです。当時は競馬場で働きに入ってくる人数も少なかったし、所属厩舎は自分で選べました。

‐‐:なぜ成宮厩舎にされたのですか?

栗:その時、正直言ってツテがなくてね。当時、馬術部のコーチをやっていたのが、競馬会のスターターをしていた山内英樹さんという人でね。その人が「じゃあ成宮さんを紹介してあげるから、そこで馬乗りになってみないか」と、そういう感じでしたね。

‐‐:ゆくゆくは調教師になりたいと考えてもいらっしゃったんですか?

栗:それは全然考えてなかったねえ。ただ馬に乗れりゃいいという感じだったから。

‐‐:では大学卒業後、すぐに成宮厩舎で働き出したのですか?

栗:自分は牧場で働いた経験もなかったからね。その前に青森の青森牧場にいました。1年働いたところで、助手として採用されましたけど、その後も半年くらい青森にいたかな?向こうで獣医の仕事もやっていたしね。治療したりだとか、昔はレントゲンも自分で撮ってたんですよ。ちゃんと現像と定着をやってね。冬は寒いから、暖めないとなかなか感光しないのね。さらに馬にも乗ってたしね(笑)。青森牧場は生産牧場だから、とまりの悪い馬なんかの子宮洗浄もやってましたよ。

‐‐:ええ?すごいですね。

栗:種付けしてもつきの悪い馬は、中が汚れているんですよ。だから生理食塩水を使ってきれいに洗ってあげてね。

‐‐:かなり技術がないと難しそうですね。

栗:そうね、洗いすぎてもダメで、ちょうどいいところで終わらせないとね。まあ、いろいろなことを勉強させてもらいましたよ。

‐‐:その牧場経験の後に、成宮厩舎の助手として働き始めたわけですよね?それ以来、ずっと番頭という形だったのですか?

栗:青森から戻ってきた当初は、別の人が事務的なものをやってたんですけど、その後、自分が段々仕事を覚えていって、番頭を任せてもらえるような感じになりました。

‐‐:仕事内容としては、馬に乗ったり、事務的な作業もしたりということですか?

栗:そうですね。調教師と相談しながら各馬の調教メニューを考えたりとかね。あとは調教師と従業員の橋渡しですね。それをうまくやってあげれば、厩舎の中もうまくいきますし。実際に、成宮厩舎は従業員同士、お互いを助け合って、雰囲気も良かったですよ。雰囲気がいいと、いい仕事もできますしね。人間同士ですから、やっぱり思いやりが大切だと思いますよ。

‐‐:その助手としての経験が、当然、調教師になっても役立ったわけですよね?

栗:ええ。実際に自分が調教師になった時も仕事をする上での戸惑いもなかったですし、やってきたことがすごく生きてますよね。ですから、いろいろなことを教えてくれた成宮にはとても感謝しています。

‐‐:はじめは調教師になるつもりのなかった先生が、調教師になろうと思ったきっかけは何だったのですか?

栗:せっかく大学も出ているし、調教師になってみたらどうだと言ってくれる人もいてね。

‐‐:つまり周囲の勧めがあって、調教師を目指したわけですね?

栗:そうですね、初めはそれほど自発的ではなかったね、楽なのが好きな方だから(笑)。

‐‐:試験は何度目で合格されたのですか?

栗:4回目ですね。

‐‐:それで厩舎を開業されて、初勝利まで半年くらいかかったということでしたが、その後、初重賞制覇までの道のりはいかがでしたか?

栗:重賞取るまでも時間がかかりましたねえ。なかなか取れないもんだなあって思いましたねえ。

‐‐:それで重賞初勝利をされたのが1987年、開業して7年目ですね。

栗:そうです。金杯でトチノニシキが勝ってくれて。この年に金杯を含めて4つ重賞をとったんだよね。共同通信杯のマイネルダビデとか、きさらぎ賞のトチノルーラー。そしてエリザベス女王杯のタレンティドガールと。勝つ時はポンポンと行くもんだなあって思いましたよ。タレンティドはG1だったからね、あの年は、今のウオッカに匹敵するようなマックスビューティという強い馬もいてね。男馬もなで斬りにするような馬が同世代でしたから、印象に残ってますよ。

‐‐:その年は好調の波に乗っていたわけですね?

栗:そうだねえ。でも、成績が落ち込んだ時期もありましたよ。やっぱり体を壊すとダメですね。1993年は胆嚢を手術でとった年なんだけど、その年の1勝目がヤマニンゼファーの京王杯スプリングCだったからね。かなり時間がかかっているよね。

‐‐:その後、お体の方はすっかり良くなられて?

栗:そうね、まあお酒は昔ほど飲まなくなったけど、…でもちゃんと飲んでますよ(笑)。薬は飲み忘れても、酒は飲み忘れないから。アハハ(笑)。人間、体は大事にしなきゃね。あなたも大事にしてね(笑)。

‐‐:ありがとうございます(笑)。ところで、今お話に出ましたヤマニンゼファーもG1を勝ってますね。

栗:機会があったら、錦岡牧場の土井睦秋さんにも聞いてみてほしいんだけど、あの馬は化骨が遅くて、はじめは弱い馬でね。最初に入厩させたんだけど、骨瘤とかソエが出たから、また放牧に出して、固まるのを待ったんですよね。それから再入厩して、最後の新馬に間に合って、勝ったという感じだね。オーナーの土井さんも、それだけ待ってくれたということですから、感謝ですよね。

‐‐:もし焦って使っていたら、その後のゼファーがなかったかもしれませんもんね。ゼファーの後、重賞を2勝したアイリッシュダンスも、成績を見ると、大事に使われた印象がありますけれど。

栗:アイリッシュダンスは4歳(今の3歳)で2回くらい使ったかな?それでまた放牧して固まるのを待って、再出発して、6月の福島の500万条件でようやく初勝利でしたからね。あの時、(柴田)善臣が乗って「おっかない」って言ったからね。それくらい、まだ馬が不安定だったんだね。でもいい走りするから、1年後くらいに変わってくれるんじゃないかなと思ってね。厩舎成績の数字を追っかけていくのも、一つの調教師のスタイルでいいと思うけど、ヤマニンゼファーやアイリッシュダンスみたいな奥手な馬を、たっぷり時間をかけてじっくり仕上げていくような、職人的な調教師がいてもいいんじゃないかなあと思うし、そういう職人調教師が伸びていく世界であってほしいなあとも思いますね。自分も職人タイプだからね。周りの人にもそう言われますし。

‐‐:ゼファーもそうですが、アイリッシュダンスが重賞を勝つまでになったというのは、職人冥利につきるのではないですか?

栗:そうですねえ、アイリッシュダンスは9勝して、そのうちの2勝が重賞だけど、馬が良くなってくるのを我慢できなかったら、9勝も出来なかったでしょうね。まあ今後も、これはと思った馬がいたら、その馬の成長に合わせてじっくり育ててみたいですね。でもそれには、時間と費用がかかりますから。そういう意味でも、アイリッシュダンスの吉田照哉さんや、ヤマニンゼファーの土井睦秋さんは、よく我慢してくれたと思います。理解してくださって、本当に感謝していますよ。

‐‐:これまでお話に出たタレンティドガールやヤマニンゼファーの他に、シンコウフォレストでGも1に優勝されていますが、今後の夢は何かありますでしょうか?

栗:そうね、自分がいい器だなあと思った馬に出会って、その馬に弱いところがあっても、ゼファーやアイリッシュのようにじっくり時間をかけて育ててみたいですね。とは言っても、自分もあまり時間がないんだけどね(笑)。定年まであと10年切っちゃったよ(笑)。あとはそうね、これまでに3着、2着まで来ているダービーを勝ってみたいですねえ。シンボリルドルフの時の3着だったフジノフウウンと、ダイナガリバーの時の2着だったグランパズドリームでしたからね。またいい素材に巡り会って、何とか実を結んでくれたら嬉しいなあと思っていますよ。

‐‐:やはりダービーというのは、ホースマンにとっては特別なものなんでしょうね。

栗:だってダイナガリバーがダービーに勝った時は、カンカン場(検量室)で吉田善哉さんが泣いていたからね。善哉さんにとっては、生産馬ではガリバーが初めての勝ち馬だったし、ダービーを勝つって大変なことだよなと思いましたよね。

‐‐:あと、お嬢さんのお婿さんが、栗田厩舎の番頭さんだとお聞きしていますが?

栗:そう。ウチは娘2人なもんだから、養子に入ってもらって。墓守だけしてくれればいいからって(笑)。徹(とおる)っていうんですけど、なるべく早く調教師になって、1本立ちしてくれたら嬉しいなあと思って。私の肩の荷も降りるしね(笑)。それも夢の一つだね。

‐‐:そうですね。先生の夢が早く叶って、さらにおいしいお酒が飲めることをお祈りしています。今日は、長い時間、貴重なお話ありがとうございました。

栗:こちらこそ、横道ばっかりそれてごめんなさい(笑)。ありがとうございました。





栗田博憲

1948年福岡県出身。
1980年に調教師免許を取得。
1980年に厩舎開業。
JRA通算成績は500勝(09/7/22現在)
初出走:1980年10月25日 4回 東京7日 10R タニノネバアー(14着)
初勝利:1981年 3月22日 3回 中山2日 4R フジノタイヨー

■主な重賞勝利
・08年クイーンステークス   ヤマニンメルベイユ号
・92、93年安田記念・93年天皇賞・秋
(共にヤマニンゼファー号)

2009年、第2回福島競馬8日目第8レース織姫賞をクーデグレイスで制し、JRA通算500勝を達成。JRA重賞勝利はタレンティドガールによるエリザベス女王杯や、ヤマニンゼファーによる天皇賞秋、安田記念など通算20勝をあげる。