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天皇賞秋~1分57秒2の伝説~



島:初めまして。今日の天皇賞、テレビで観てました。凄いレースで興奮しました!勝ったと思いました。

安:ねえ、もうちょっとだったんだけど。

‐:たった2cmの差でしたからね。早速ですが、改めまして安藤さん、島谷さん、今日はよろしくお願いいたします。安藤さんは天皇賞の騎乗を終えたお疲れのところをお時間いただきまして。まずはその天皇賞をお話しをお聞きしたいのですが。歴史的なレースでした。

安:本当にね、タイムも1分57秒2でしょ。これからの可能性を凄く感じることが出来たし、やっぱり凄い馬だなあって思った。

‐:本当に強かったですよね。今回、スカーレットは東京が初めてという事で、それを不安材料として取り上げている記事もありましたが安藤さんは気にされていましたか?

安:いや全然。あの馬は初コースだからっていう不安はありませんね。大丈夫。

‐:なるほど。パドックでは出来過ぎに見えたのが気になりました。7ヶ月ぶりのレースだった割りにグイグイ歩く感じが逆に怖くも思えましたが。

安:それは仕方ないですね。気性が前向き過ぎるところがありますから。

‐:そうですか。レースでは今日はスタートが速くて。

安:うん、いつもならゆったりと行くんですが、今日はカーッて力んだ感じで。もう気持ちが「走りたい、走りたい」っていうかね。スタートも今日はバーンと行っちゃいましたから。ゲート裏でも、前に馬がいないとカッカカッカして。

‐:レースは逃げる形になりましたが、あれは最初から決めていたんですか?

安:馬主さんとパドックで「もし他の馬が行くなら、それにスッと付けて行きましょう」とは話してたんだけど、行く馬がいなかったからね。

‐:そうですね。スカーレットが逃げるなか、道中、ペリエ騎手騎乗のトーセンキャプテンが来て。

安:ペリエは大レースではああやって乗るタイプだし、そう来るだろうなって分かってたけどね。

‐:そして最後の直線。

安:うん、正直、残り300mくらいで後続が差を詰めてきて「あ、負けるかな。3着が精一杯かな」と思いました。実際に相手の方が前に出ていたし。でもそのあと、またグーッと来るから「この馬凄いな」って。

‐:併せ馬みたいな形になれば、更に伸びたかもしれませんね。

安:ええ、ウオッカとピタッと寄っていたら、もっと頑張れたかもしれませんね。でも、ちょっと内と外に離れてたし、間にカンパニーとディープスカイの2頭もいましたからね。

‐:ゴールの瞬間は。

安:正直「負けたかな」と思ったので、「何でユタカちゃん、ウイニングランに行かないんだろう?」って思いながら帰って。ウオッカと一緒に地下馬道に戻る時、ユタカちゃんに「負けたなあ」って言ったんですよ。
だけど、内と外が離れていたからひょっとしたら分からないぞ、っていう気持ちも少しだけありましたね。


‐:そして。

安:関係者がみんな1着のところで待っていてね。「え?」と思ったけどそのまま馬を入れて。後で聞いたら検量室のホワイトボードに「7、14」っていう順番で書かれていたから、みんな「1着だ!」って思ったみたい。

‐:写真判定を待つ間は長かったんじゃないですか?

安:そうですね。でも、勝ち負けはもちろんなんですが、その時はスカーレットの強さにひたすら感心してましたね。楽じゃないレース展開で頑張ってくれた、また伸びてくれたっていう事にね。

島:ダイワスカーレットって、凄く強い馬なんですね。

‐:牝馬でこれほど強い馬は滅多にいないですよね。

安:なかなかいないですね。こういう素晴らしい馬に巡り会えるのは騎手冥利に尽きますよ。

島:あー、歌手も同じです、私たちはやっぱり良い歌に巡り会わないと。そういう運は必要ですよね。

安:そういうところは似てるのかもしれませんね。良い馬に乗る時にはファン、関係者の期待が高いから責任もありますし。そういう部分では、今日のスカーレットは2着が確保出来て良かったなあって気持ちもありますよ。勝っても不思議ではないけど、正直、分からないところもありましたから。それなのにあれだけの走りを見せて応えてくれたスカーレットをね、本当に褒めてあげたいですよ。

「ここにいた方が俺は幸せなんだ」って

安:島谷さんは歌手デビューしてどのくらいになるんですか?

島:今年で10年目になります。

安:歌手になるキッカケは?

島:私が歌手になったキッカケは、オーディションなんですけど、周りの環境も大きかったと思います。私、島育ちで、出身は瀬戸内海の呉から橋を渡ったところにある倉橋島っていう、凄く田舎なんですね。もう、お酒が入ると、とにかく民謡とか歌が始まるような島で、私もいろんなジャンルの歌を歌っていたんです。周りの大人みんなから「将来は歌手になるんでしょ?」って言われていたので、自然と「あ、自分は歌手になるんだ」と思っていましたね。それでオーディションに合格して「大阪の女」っていう曲でデビューしたんです。安藤さんはどうして騎手になろうと思ったんですか?

安:僕は本当に子供の頃から動物が好きでね。小学校の頃には将来の夢に「動物園の飼育員」て書いてたくらいなんですよ(笑)。

島:えー、本当に動物がお好きなんですね。

安:そう。で、たまたまウチのオヤジが笠松の師匠と幼なじみでね。兄貴が騎手を目指してその厩舎に行ったから、くっついて行って、土日は毎週競馬場に行くようになって。

島:お兄さんの影響もあったんですね。

安:ええ。それで中学校1年の夏休みから厩舎で馬の世話をさせてもらったんですが、面白いからそのまま居ついちゃって。「ここにいた方が俺は幸せなんだ」って(笑)。

島:帰らなかったんですか(笑)。

安:そうなんですよ(笑)。朗らかな時代だったんでしょうね。子供の頃は出世とか考えないでしょ。本当にその時は好きでやってたんだと思いますね。環境も好きで。それで住み込みみたいな感じで、調教師のところから学校に通って。やっぱり中学校は卒業しなきゃダメだから(笑)。

島:(笑)それで中学を卒業されたあとは?

安:地方競馬の騎手学校に行きました。1年課程だったから、16歳でデビューして。

島:へー。16歳でデビューって早いですよね。

安:今は制度が変わっちゃったから、16じゃデビュー出来ませんけどね。中央だとどんなに早くてもデビューは18歳だから。ただ、騎手って本来は学校はいらないんじゃないかと思う部分もありますね。馬に乗って上手ければそれでいいんだから。今みたいな免許制だと裾野が広がらないというか、限られた人しか騎手になれない。それだと、ジョッキー全体の騎乗技術のレベルを上げていくのは難しいかなって思いますね。馬が好きで、動かせればいいんだから。上手い人がどんどん騎手になれる環境になったらもっと面白くなると思うのですが。

島:そうなんですか。安藤さんはデビューしてからすぐに稼いじゃいました(笑)?


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安藤勝己

1960年愛知県生まれ。
1976年NAR免許を取得。岐阜・笠松競馬場を中心に騎乗する。
2003年JRA免許を取得。
JRA通算成績は888勝(11/2現在)
初騎乗:1980年 5月 11日 4回阪神8日 10R ヤマニンスキー( 1着/ 12頭)
初勝利:1980年 5月 11日 4回阪神8日 10R ヤマニンスキー


■主な重賞勝利
・07年マイルCS(ダイワメジャー号)  ・07年エリザベス女王杯(ダイワスカーレット号)  ・07年安田記念(ダイワメジャー号)
2007年はJRA賞(最高勝率騎手・勝率0.238)に輝いた。連対率も0.410という驚異的な数字を残し、G1も6勝をあげる大活躍をみせた。08年も既に6つの重賞タイトルを手にしており(11/2現在)、勝利数、内容ともにトップクラスの活躍を続ける。
天皇賞・秋では7ヶ月ぶりの実戦となるダイワスカーレットを巧みに導き、歴史的な名勝負を演出した。 「アンカツが乗って勝てないならしょうがない」と揺るぎない信頼を寄せる関係者も多く、また「安心して馬券を買える騎手」として、競馬ファンから絶大な信頼を得ている。





島谷ひとみ

1980年9月4日生まれ
出身地: 広島県出身
血液型: O型


1999年7月に「大阪の女」でデビュー。以降、良質の作品を着実にリリースしている。 ナチュラルな佇まいと、様々なタイプの楽曲を歌いこなす"歌唱力"と透明度の高い"歌声"が支持され、数々の大ヒットソングを生み出す。 近年は"crossover"をテーマに掲げ、POPSとCLASSICなど異ジャンル音楽を融合させたスタイルを意欲的に取り組んでいる。 デビュー10周年に突入した08年7月26・27日に、東京・浜離宮朝日ホールで行ったオーケストラバンド編成で行うライヴを収録したDVD『CROSSOVER III ~Premium meets Premium~』(08年10月8日発売)をリリース。また、08年11月よりサイトコンダクターとして競馬ラボにも参加。週ごとの注目度No.1コンテンツを紹介していく。



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