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濱田多實雄調教師

今年の栗東は僅か1名の新規開業となったが、祝すべき、その門出を迎えるのが濱田多實雄調教師だ。ふとした事から、足を踏み入れることになった競馬との出会いや、早くも卓越した理念を掲げる厩舎運営まで、予定時間をはるかにオーバーするほど、ジックリと語ってもらった。

異色の経歴から厩舎の開業へ

-:それではまず、3月から厩舎を開業されたということで、調教師を目指すまでの経緯などを教えていただけますか。

濱田多實雄調教師:高校卒業後、調理師の専門学校に行ったんです。それが夜間だったので、昼間はアルバイトをしていたんですけれど、そのアルバイト先の喫茶店のマスターに勧められまして、競馬界の方に入りました。調理師を目指すのなら調教師、じゃあないですけれど、馬の方を目指した方がいいかなと。マスターが大の競馬好きで、その時、体も軽かったので「恵まれた体を活かす仕事はコッチやろ」と。

そこで、専門学校の卒業と同時に牧場で勤務することになったんです。三重ホーストレーニングセンターというところなんですけれど、そこで4年半働いて競馬学校に入学して、小林稔厩舎にいて、谷潔厩舎という流れですね。


-:小林厩舎にいたのはいつ頃ですか?

濱:1月に入って、その次の年の3月に解散になりました。それ以降は谷厩舎で技術調教師を入れて14年ですか。丸15年ぐらいですね。

-:それぞれでどういった馬に携わったとか、代表的な馬はいますか?

濱:小林厩舎は短い期間でしたが、サンデーサイレンス産駒を2頭持ちとかで、谷厩舎では(エンプレス杯勝ち)サヨウナラの調教をしていました。

-:喫茶店のマスターからすると、「いきなり小林稔厩舎かよ!? 」みたいな。当時なら誰でも知っている厩舎ですからね。そのマスターさんとはもう縁がないのですか?

濱:ありますよ。開業祝いも頂きました。今は喫茶店をやってなくて、会社の役員をやっていらっしゃるんですよね。本人には「そんなことはないよ」と言われるけれど、僕の恩人です。僕がトレセンに来て、それから年に何回か会うようになって、「調教師試験を受けているんですよ」みたいな話になって、すぐに1次に受かって、合格祝いをしていただいたり。喜んでくれていすね

-:僕が競馬ファンになった頃は“小林稔厩舎は休み明けでも走る”と言われていました。

濱:今じゃ考えられないぐらい競馬を使わなかったですからね。夏に北海道に行ってない人らはずっと休みですもんね、競馬は。使ってくれないというか。

-:独自の理論が?

濱:馬を大事にするという。自分が納得しないと使わないし、攻め馬が進んでいっても、ちょっと何かあったら戻ったりするし。その分、ジョッキーとかには信頼されてましたよね。危ないことがなく、ちゃんと仕上げて競馬に送り出しているので。だから、ジョッキーも安心して乗ってくれる、という話は聞きましたね。



-:勝率とか、出走回数とか、今では無理ですよね。

濱:怒られますよね、馬主さんに。「早く使え」と。今の時代じゃあ考えられないですよ。

-:それも特色の表れですね。一方、谷厩舎に移られて学んだことは?

濱:どちらかと言うと、使いつつ仕上げていくという感じですよね。谷厩舎では持ち乗りを2年ぐらいして、あとはずっと攻め専だったので、調教師になる上で勉強になりましたね。

-:(ダイヤモンドS勝ちの)キングザファクトとかは乗ってなかったのですか?

濱:何回か跨ったぐらいですかね。(きさらぎ賞勝ちの)ヒコーキグモとかも晩年の頃に。

-:ヒコーキグモも全盛期の時は結構、調教では乗り辛そうなイメージがありました。

濱:そうですね。デビュー前に放馬をして、Eコースを8週回ってたとか。でも、晩年の頃は乗りやすいというか、古馬なのでよく分かっているというか。

-:調教でそんなにムキになるというのは?

濱:厩舎の女馬とかを見たら、追いかけるんでね。厩舎の女馬をヨソの男馬から守らなければならないという使命に駆られていたようで、ヨソの馬が近づくと蹴ったりするんで。ただ、馬っ気がある割には近づくと、別にそれ以上はしないという。離れると逆に……。まあ、人間で言えば、“ツンデレ”みたいなんですけどね(笑)。

-:名前が出てきたサヨウナラとかヒコーキグモとかは、最初から素質の片鱗を出していましたか?

濱:ヒコーキは入ってきた時から、放馬をしてグルグル回っているような感じで、片鱗を見せてましたね。サヨウナラは血統も良かったので、徐々に力を付けてきたかなという感じですよね。戦績をあとで見ると、500万と1000万は何戦かして、順調に勝ち上がっているんですよね。後にも先にも、あの時しかなかったんじゃないかな、1600万の平場って。システムが変わって、1600万の馬がメチャクチャ多くなった時ですよね。急遽作ったレースで。

それで、確か中村将之が減量で乗って。1600万の減量騎手で勝って、みたいな。オープンに行ってからは牝馬のレースって、芝じゃないと中央じゃ全然ないので、それから交流重賞の方に行って。本当に徐々に歳を取るごとに力をつけていったという感じです。あの馬に勉強させてもらったのは、やっぱり、ちゃんとやれば馬は応えてくれるというのを教わったかなと思いますね。


-:逆に当時の徐々に強くなっていった馬を、今の速いリズムの中でやろうとすると、難しい面がありますよね。

濱:やっぱり、一番大きいのが、未勝利や新馬で1つ勝つということです。1つ勝てばそれが出来るんですよね。コレはちょっと後かな、という馬はゆっくりできるんですよ。でも、未勝利を勝つまではそうも言ってられなくて、この時期から夏までしかないので、そこはなかなか厳しいかと思うので。未勝利で1勝するというのが大きいんです。

-:それも難しいのが中央競馬ですからね。

濱:そうですね。1回の骨折でもアクシデントがあったら、それこそほとんど使えなくなっちゃうので。最初の1勝は馬の後々の人生にとってスゴく大きいのでね。やっぱり、未勝利を勝たすというのが結局、大事な仕事かなと思うんですよね。

濱田多實雄調教師インタビュー(後半)
「濱田厩舎の育成方針」はコチラ→

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【濱田 多實雄】 Tamio Hamada

1972年 大阪府出身。
2012年に調教師免許を取得。
2013年に厩舎開業。
初出走:
2013年3月2日1回阪神3日目5Rテイエムオーライト


高校卒業後、調理師の専門学校に進学。アルバイト先の喫茶店で、大の競馬ファンだったというマスターのすすめで競馬界に足を踏み入れることに。
専門学校の卒業とともに4年間、三重ホーストレーニングセンターで勤務。メガミゲランなどに跨った。その後は競馬学校の厩務員課程を経て、トレセンで従事。小林稔厩舎、谷潔厩舎で経験を積み、2013年3月から厩舎を開業した。
厩舎のトレードマークには桜のモチーフを登用。「いつかは世界へ出たいという気持ちもありますし、そこで日本から来た、という象徴的なものを考えました」とその由来を語る。