関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

的場勇人騎手

的場勇人騎手×高橋摩衣


高:通算100勝を達成した的場勇人騎手にお話を伺います。100勝おめでとうございました。

的:ありがとうございます。まだ未熟な僕を乗せてくださっている関係者の皆さんのおかげです。

高:年々順調に勝ち星を伸ばし続けていらっしゃいますね。

的:いやー、いい馬に乗せていただいているので、もっと勝ちたいですね。

高:改めて今までの通算成績をご覧になって、気になる数字はありますか?

的:負けた数ですね。僕はデビューしてから今までで、1743回騎乗しているんですよ。という事は、今まで1643回負けているんだな、と。この100勝という数字は、1643回負けた経験が無かったら出来なかった事なので。普段の攻め馬や敗戦から、たくさんの事を学ばせてもらっていますから。勝たせてあげられなかった馬に勝たせてもらった、と思うところがあるので、その馬たちには感謝してもしきれないですね。

高:今まで乗ってきたレースの中でも忘れられないレースってありますか?

的:うーん、特にこれとは言えないですけど、負けたレースの方が憶えていますね。別に負けを引きずったりはしないですけど「もっと上手く乗ってあげられればな」と感じるレースはありますからね。

高:100勝達成のインタビューで「是非、競馬場へ足を運んでください」とおっしゃっていましたけど、珍しいですよね。普通は「これからもよろしくお願いします」といった感じのコメントが多いのに。

的:やっぱりファンあっての競馬ですからね。寒くて競馬場に来るのも大変だと思いますけど、ファンの方が多いと僕たちも嬉しいですからね。

高:100勝達成の後に、かなり長い時間ウイナーズサークルでサインをされていらっしゃいましたね。

的:次のレースまで時間がありましたからね。子供も来ていましたし、僕のサインでよければと思って。

高:サインをもらった子供のファンも嬉しかったと思いますよ。ちなみに的場騎手はいつ頃からジョッキーになろうと思っていたんですか?

的:4歳の時ですね。

高:なりたいと思った瞬間ってハッキリ覚えていらっしゃいますか?

的:いや、ハッキリとは覚えていないですけど、雑草を取る道具を足に刺してケガした時に、玄関で泣きながら「俺、もう騎手になれないかも」って言っていたのは覚えています。だからその頃にはもう騎手になろうと思っていたんでしょうね。あと、そのケガをした時以外にもうひとつ、騎手になれないかもと思った瞬間があるんですけど、僕、絶叫マシンに乗れないんですよ。

高:絶叫マシンが。何で…、単純に怖いんですか?あ、力強くうなずきましたね(笑)。

的:あの、体がフワッとする感覚がダメで。スピードが速いのがダメでは「これじゃ騎手になれないんじゃないか」って。騎手って凄いスピードの馬に乗るのに、速いのがダメじゃ無理かな、と思っていましたけど、全然別物でした。

高:良かったですね。絶叫マシンと馬の感じが別で。ジョッキーを目指すために、何か特別な事はされました?

的:そうですね、体が大きくならないようにタンスの中に入ったり。

高:えー!

的:そういう面白い話は無いですね。普通に生活していました。

高:もうー(笑)!

的:競馬学校の試験に懸垂があるので、懸垂はやっていました。僕よりも母親がいろいろ気を使ってくれましたね。みんながステーキを食べている時も、僕だけ間にこんにゃくを挟んだものが出てきたりしましたから。

高:ステーキの間にこんにゃくが…(笑)。

的:ウチの母の料理を馬鹿にしているんですか?

高:してないですよ(笑)!凄いなあと感心していたんです。そうやって食事にも気を使われて。初めて馬に乗ったのはいつ頃なんですか?

的:僕は遅くて、中2の時ですね。それまではサッカーばかりやっていました。

高:何で遅かったんですか?

的:先生(的場均調教師)に「変な癖がつくからやらなくていい」って言われていたんですよ。乗馬を始めたのは、当時の競馬学校の校長先生にたまたま会った時に「騎手になりたいなら乗馬をやっておいた方がいいよ」と言われたのがキッカケですね。



高:そうだったんですか。その時、的場先生は何かおっしゃっていましたか?

的:乗馬を始めた事は別に反対されませんでしたけど、騎手になると言った時は「やめておけ」と言われましたね。

高:そうなんですか。息子が同じ道に進む事で、先生は喜ばれたのかと思っていました。

的:いや、そういう感じは全然無かったですね。それで説得という程ではないですけど「どうしてもなりたいから、ならせて下さい」と頼みました。まあ、今考えると「やめておけ」と言われてやめるくらいの半端な気持ちでは続かないから、そうやって言ってくれたのかなと思いますけど。先生に聞いたわけではないから本当の意図は分からないですけどね。

高:なるほど。それで競馬学校に入学されるわけですが、的場先生の息子という事で周りからの注目もあったと思いますが。

的:うーん、良い意味でそんなに感じていませんでした。もちろん、意識をまったくしていなかった訳ではないですけど、人が思うよりはしていなかったと思います。

高:そうですか。学校生活はいかがでした。

的:楽しかったですね、同期にも恵まれて。田中(博康騎手)と北村(友一騎手)といつも一緒にいましたね。3人でよくケーキバイキングに行っていました。

高:ケーキバイキングに(笑)。量はたくさん食べられましたか?

的:気合いを入れて行くんですけど、甘いものってそんなに食べられないんですよ。競馬学校では毎日検量がありますから、外出の前日に頑張って体重を落として「よっしゃ食うぞ」って気合いを入れていたのに(笑)。

高:空回っちゃいましたね(笑)。

的:場所が分からなくて受付の女性に「すいません、食い放題はどこですか?」って聞いて「バイキングはあちらになります」なんて言い直されるような辱めまで受けたのに。

高:アハハ(笑)。本当に楽しそうですね。学校の実技試験は順調に行っていたんですか?

的:いえ、順調ではなかったですよ。競馬学校では、最初は競馬みたいには乗らないで乗馬しかやらないんですけど、その時僕は技術的に一番下のC班でしたから。

高:そうだったんですか。乗馬の授業の時にC班だったのは、乗馬経験が少なかったという事も影響があったんでしょうか?

的:そうですね。C班にいたのは乗馬経験の少ない生徒ばかりでしたからね。でも、競馬学校の恩師にお世話になりまして、ご指導をいただきまして……、ちょっといいですか?何でそんなに笑いながら聞いているんですか?

高:え(笑)?いや、急に改まった感じになったので、つい…すみません(笑)。

的:そこで笑われると嘘くさく聞こえますから。僕は本心で話しているんですよ。僕はそういう軽はずみな嘘は嫌いですから。

高:別に「笑わせよう」と思っているわけではないんですもんね(笑)。

的:そうですよ。

高:はい。それで、恩師の指導を受けて乗馬の授業をされていらっしゃったんですね。

的:はい。それからモンキー乗りが始まってから、段々良くなっていきまして。

高:そうなんですか。ご自身でもモンキー乗りの方が合っていると思いましたか?

的:イメージが湧きやすかったんじゃないかと思います。昔から他の人よりも競馬は見ていましたから。試験結果は全員分発表されるんですけど、乗馬が下の方だっただけに、競走過程が始まって1位をとった時は凄く嬉しかったですよ。

高:それは嬉しいですね。そのような学校生活を送っていたという事で。でも、本当に田中博康騎手と仲が良いですよね。100勝のプラカードも持っていましたし。その田中騎手は今年エリザベス女王杯を勝っていますけど、どうですか、同期の活躍する姿は。

的:刺激を受けますよね。仲の良い友達でもありますけど、良いライバルでもありますから。そういえばこの間、田中と約束したんですよ「結婚しないでくれ」って。

高:何でそんな約束を。

的:二人でご飯を食べている時に「仲の良い先輩に彼女らしき存在が出来てから、一緒に出かける事が無くなったよね」という話をしていたんです。それで「どちらかが結婚したら、こうやって二人でご飯を食べに出掛ける事も無くなるのかなあ」って話をしているうちに「結婚しないでくれ!」って(笑)。

高:寂しいじゃないか、と(笑)。田中騎手は何て答えたんですか?

的:「そうだねー」って。まあ「俺は結婚するけど、田中、お前はしないでくれよ」って言っておきました。

高:的場騎手はするんですね(笑)。的場騎手は今22歳ですけど、結婚願望はあるんですか?

的:いやー、どうですかね。結婚したい、と思える人が現れたらするでしょうけど、今は分からないですね。

高:そうですか。でも良い同期に恵まれていいですね。

的:同期だけじゃなく、先輩にも恵まれていますよ。昔、悩んでいたというと大げさですけど、ちょっと考える事があった時に相談に乗ってくれた先輩がいまして。



高:誰ですか?

的:藤岡佑介先輩なんですけど。

高:どんな相談をされたんですか?

的:人の長けている部分を認められないというか、自分の方がやれるんだぞっていう気持ちが強過ぎて、人より下にいる現状を受け止めきれないところがあったんですよね。でも、藤岡先輩に相談したら「そんなに難しく考えなくてもいいんじゃないか」って。「今は人より遅れていたとしても、最終的に自分が一番になってやるぞっていう気持ちを持っていればいいんじゃないの」と言われて、良い感じで肩の力が抜けましたね。それからも「今日の乗り方は良かったぞ」とか「追い方が上手くなったな」とか声を掛けてくれたり、いろいろアドバイスをしてくれています。

高:素敵な先輩ですね。

的:100勝した時もメールを送っていただいて。本当、クサらずにやって来られたのも、藤岡先輩の影響は大きいですね。今も、時には「自分が攻め馬で乗っているのに…」と悔しい思いをする事もありますけど、秋山(真一郎)先輩や他の先輩たちからも「クサらないでやっていれば良い事あるよ」ってアドバイスをいただいたりして、凄く助けてもらっています。

高:そうやってたくさんの方に支えられてジョッキー生活をされていらっしゃるんですね。現在、的場騎手は、お父さんである的場均先生の厩舎に所属されていますけど、それによって良かった事や逆にやりにくかった事ってありますか?

的:いや、やりにくいというのは特にないですね。僕は、的場均に憧れてこの世界に入って来たので、一番近くでその仕事の進め方を見られる環境にいたいという気持ちがありましたから。

高:お父さんから多くのものを吸収したい、と。

的:それはもちろんそうですね。

高:子供の頃からお父さんが騎乗されているレースを見てきて影響も大きいでしょうね。ちなみに的場先生が騎乗された中で、一番記憶に残っているレースは何ですか?

的:うーん、いっぱいあり過ぎて…。あの、ライスシャワーっていう馬がいて菊花賞を勝ったんですけど、そのレースの前に展開予想を話してくれたのをよく憶えていますね。

高:レースの前にそういう話をされたんですか。

的:はい。ウチは凄く仲の良い家族で、ご飯を一緒に食べるんですけど、その時に「どうなるの?今週の菊花賞は」という話になったんです。それで「多分、ミホノブルボンは逃げられないから、2番手で…」とか「この馬はここで動いて…」とか話してくれたんですけど、その話と実際のレースが最初から最後までまるっきり同じだったんですよ。当時の僕には分からなかったですけど、それだけ競馬を研究していたんでしょうね。凄いな、と思いました。

高:それは印象に残りますね。

的:もうひとつ、同じライスシャワーのレースなんですけど、二回目の天皇賞春を勝った時にしてくれた話もよく憶えています。今までと全く違う乗り方で勝ったんですけど、二周目の向正面のところで「このまま普通に回れば着はあるだろうけど勝つのは難しいだろう。ここでロングスパートをかけたら勝てるかもしれないけど、常識的じゃない位置から動いて負けたら非難を受けるだろう」って、心が揺れていた時、その気持ちを汲み取ったかのように、馬が勝手に動いて行ったらしいんですよ。

高:馬が自分から。

的:はい。今までそういう事をしなかった馬だったんですけどね。自分が迷っている時に、合図も送っていないのに、馬が自ら動いて行ったらしいんですよね。そういう話を聞いて「何か…カッコいいんじゃないの?」と思いました(笑)。

高:そういう話を教えてくれるのは嬉しいですよね。でも、的場先生って口数の少ないイメージがあったのでちょっと意外です。

的:あー、多分ウチの先生に「寡黙で、背中で語る」みたいなイメージを持っている方は多いと思いますけど、お茶目なところもありますよ。僕の誕生日の時に家族で集まったんですけど、バースデーケーキのロウソクの火を消そうと思ったら、横からフッと消したりしますから。ちょっと嬉しそうに“どや顔”をしていましたよ(笑)。

高:アハハ(笑)。「消してやったぞ」みたいな。

的:僕の隙を突いて横から吹き消すなんて、小学生がやるような事をして、お茶目だなって思いました(笑)。

高:アハハ(笑)。では、そろそろお時間もありますので最後の質問になりますけど、仕事をする上で気を付けている点を教えてください。

的:ケガをしない事ですね。僕、一年目に鎖骨を折っているんですけど、その時に、乗り役は乗っていなければただの人だなと思ったので。だから、無趣味になっちゃいましたね。昔はサッカーをやっていましたけど、ケガをしたくないので。仕事でケガをするなら仕方ないですけど、趣味でケガをしました、では話にならないですからね。そういうケガをする可能性があるような事はしなくなりました。あとは、物事を前向きに考えるようにする事ですね。姉からも「自分はラッキーなんだって思っていれば運が舞い込んで来るよ」という内容のメールを誕生日にもらったので、じゃあそうしよう、と。

高:本当に仲の良い家族なんですね。皆さんのサポートを受けて、次に達成したい目標はありますか?

的:地道に勝ち星を重ねていく事ですね。乗せていただく感謝の気持ちを忘れずに、ひとつひとつのレースを大切に乗っていきたいと思います。

高:これからも応援しています。今日はありがとうございました。

的:ありがとうございました。




【的場 勇人】Hayato Matoba

1987年茨城県出身。
2006年に美浦・的場均厩舎からデビュー。
JRA通算成績は103勝(09/12/28現在)
初騎乗:2006年3月 4日 2回 中山3日 2R ボビン(9着/15頭)
初勝利:2006年3月11日 2回 中山5日 1R リキアイカザン


デビュー年に12勝をあげ、民放競馬記者クラブ賞(関東新人騎手賞)を受賞する。以降も27勝、39勝と着実に勝ち星を伸ばし、 09年12月5日、第5回中山競馬・第4レース2歳新馬戦でユドロ号に騎乗し勝利をあげ、通算100勝を達成した。父は、師匠でもある的場均調教師。



高橋摩衣

生年月日・1982年5月28日
星座・ふたご座 出身地・東京 血液型・O型
趣味・ダンス ぬいぐるみ集め 貯金
特技・ダンス 料理 書道(二段)
好きな馬券の種類・応援馬券(単勝+複勝)


■出演番組
「Hometown 板橋」「四季食彩」(ジェイコム東京・テレビ) レギュラー
「オフ娘!」(ジェイコム千葉)レギュラー
「金曜かわら版」(千葉テレビ)レギュラー
「BOOMER Do!」(J SPORTS)レギュラー
「さんまのスーパーからくりTV」レギュラーアシスタント


2006年から2008年までの2年間、JRA「ターフトピックス」美浦担当リポーターを務める。明るい笑顔と元気なキャラクターでトレセン関係者の人気も高い。2009年より、競馬ラボでインタビュアーとして活動をスタート。いじられやすいキャラを生かして、関係者の本音を引き出す。