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中村将之騎手

日本に来るフランス人ジョッキーとは!?

-:中村騎手も、フランスに行って馬に対する考え方がちょっと変わりましたね。

中村将之騎手:扱いは200%向こうの方が上ですし、育成から違うんでしょうけれどね。引き手がいらないくらいに勝手に横を歩いて来る感じですから。扱い方が違いますよ。

-:そんな中でも引っ掛かる馬はいるんですよね?

中:あんまりいないですね。まず、乗り手のレベルも高いし、馴致もうまい。文化も違う。 日本は農耕民族で向こうは騎馬民族ですからね。トータルで馬が産まれてきてからの扱いも違うし、日本にいたら日本のレベルしか知りませんから。

-:ジョッキーとしての視野が広がりましたか?

中:最初はいきがって“ジャパニーズプロフェッショナルジョッキー”とか言っていたけれど、途中から言うのはやめました。“恥ずかしくて言えねぇや”と思って。向こうのジョッキーって、日本のジョッキーみたいに何もしないでいきなり馬に乗れるような人なんて本当に一握りで、あとはみんな厩舎の仕事をやりながらという状況から成り上がって来ている人ですから。

-:私達が知っている、ルメールとか、スミヨン、ペリエ、メンディザバルというようなフランス人のジョッキー。あの人たちは頂点を極めている……。

中:スーパージョッキーです。メンディザバルが厩舎に来て、奥さんも馬に乗れるので、奥さんと一緒に調教に乗って。メンディザバルが日本で須貝厩舎で乗った時に調教服をもらったみたいで、奥さんがその服を来て乗っていて。新しい人が来たと思ったら「あれ、それ須貝厩舎のジャンパーだろ?」みたいな。

-:それがメンディザバルの奥さんだったという。

中:メンディザバルははすごく良い人でした。やっぱり日本に来た人は、日本人は優しいから、日本に来たジョッキーもみんな僕達に優しくしてくれましたね。障害しか乗る気がなかったので、平場の鞍を持って行ってなくて、リスポリに「おーい、鞍貸してくれよ、持ってきてないから」って言ったら、「OK!」って貸してくれて。レースを待っている間にリスポリと喋ってたら「あれ?リスポリ急にヒゲ生えたな」と思って、そこでさっき鞍を借りた人がリスポリじゃないと気付いたんです。でも。会話の内容がリスポリだから、これがリスポリだってことに気付いて“ということは、鞍借りたの誰だ?”ってなって、リスポリじゃないジョッキーに「鞍がないから貸してくれ」って言ってたんです。結局、誰かわからなかった。それぐらいみんな優しかったですよ。

-:すごいことですよね。

中:日本で、もし外国人が来て「鞍持ってないから貸してくれよ」ってなったら「何だコイツ」みたいになりますよね。

-:その鞍は何キロとか、そういったことは自分で合わせたんですか?

中:向こうは競馬会が雇ったバレットがいるので手伝ってくれたんです。その人に「おい、マサに貸してやってくれ」みたいに言ってくれてたんです。

-:武者修行に行って、フランス競馬に溶け込んできたんですね。

中:競馬にはそんな溶け込んでないですけれど、環境に関しては“みんなが仲良くしてくれたな”って感じです。ご飯とかよく誘ってくれましたし。

-:食文化はどうでしたか?

中:パリの食事は本当に不味かった(笑)。注文してからも、遅いし、高い。マクドナルドのセットが1200円で、注文するのにめっちゃ並んで、注文してからも15分くらい出てこない。向こうは賃金が高いからマクドナルドひとつの店舗を3人で回していて。回るわけないじゃないですか?レジを打ちながらポテトを作って、めっちゃ遅いんですよ。レストランとかカフェには毎日行ってましたけれど、呼んでも店員が全然来ない。3回呼ばないと来ませんよ。

-:でも、いい刺激にはなりましたね。

中:日本しか知らないのとでは全然違います。滞在は2ヶ月半で大して長くもなかったですけれど、海外に行ったのも初めてでしたし、言葉も喋れないままで行った割には意外と溶け込んでたなって。何とかならないなりに何とかしなきゃしょうがなかったので。

-:今度はフランス語を勉強して行きたいですね。

中:英語を勉強して行けば大丈夫です。喋れないでも、あれだけみんなと仲良くできたなのだから)、喋れたらもっと面白いんだろうなって。

2ヶ月半の遠征を経て芽生えた目標

-:新たな展望が広がりましたか?

中:もうちょっと日本でビシっとして、もう一回行きたいなって感じです。

-:メゾンラフィット以外の競馬場には行きましたか?

中:めっちゃ行きましたよ。ロンシャンも行ったし、色々なところに。いつも厩務員として行ってたので。乗ったのはメゾンラフィットとコンピエーニュ競馬場。オートユってところが一番有名で、登録までしてもらったんですけれど、結局、出走取消になってしまいました。オートユは平場でいうロンシャンみたいな感じなんです。障害のメッカみたいな。でも、現地の調教師に乗せてもらうって、僕より長いこと仕事をしている人が8人もいて、自分の国よりもレベルの低いやつが来て、現地の調教師に乗れてくれって、オーナーの許可も取れないですよ。日本でいうアジアのジョッキーがいきなり来て「乗せてくれ」って言ったって“誰が乗せんねん”って話ですから、それはしょうがないですけれど、ましてや向こうの人はうまいですからね。

日本じゃ。危ないと思うでしょ。流すより大きいところを2頭2頭2頭2頭、とか10頭とかで。なんか渦巻きになっていて、最初は小さい障害を、みんなでゆっくり飛ばしだして、段々速くなっていって、最後は(1F)15くらいの速さで、渦巻きのとこでブワーッて縦一列で。横に出したら怒られるからね。それでも、みんな乗ってきますから馬も上手い、横に逃げないんですよ、日本みたいに。向こうはほとんど併せ馬もしないし、造り方が違う。本当はそうやった方が造りやすいんだろうし、馬も覚えるんだろうけれど、環境が違うから。全部を取り入れるのは無理でしょうけれど、極力取り入れるところは取り入れたいですよね。


-:今後、障害のジョッキーとして、日本の障害を乗る上で使えそうなことはありますか?

中:ちょっと話は逸れますが、根本的に、負けらんねぇって思いますね。日本でトップにならないと、向こうに行っても乗れないっていう気持ちは芽生えました。だからトップになって「俺はトップジョッキーとして来たんだぞ」って言えるくらいにならないと乗せてすらもらえないんだろうなって。“日本でちょっと成績が出ました”くらいじゃ全然相手にされないから。トップって言っても相手にされないのに、日本で少し成績出したと言っても“だからなんだ?”ってなるし。

-:これからは向上心を持っていくという。

中:またフランスに行きたいって思います。今回は田中剛先生の紹介で行って、行ってからも連絡していたんですけれど、先生も日本のジョッキーは「技術が劣る」って言うから。でも、日本にしかいなかったらわからないことですよね。日本の中で上手い人を見て頑張ろうって思ってたのが、フランスに行って更に凄い人を見て頑張ろうと思うのと、またちょっと違うだろうし。

-:今度行った時は「ジャパニーズプロフェッショナルジョッキー」って言えるようになってください。

中:恥ずかしくて言えないですよ。プロフェッショナルジョッキーって言えないくらい恥ずかしくて。というくらいにフランスの人は上手い。でも、そう胸を張って言えるようになるくらい頑張ります。

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【中村 将之】Masayuki Nakamura

1986年 愛知県出身。
2005年 谷潔厩舎からデビュー。
JRA初騎乗
05年3月5日 1回阪神3日5R メディアブリッツ
JRA初勝利
05年5月22日 1回新潟8日9R ブレッザ


■最近の主な重賞勝利
・13年 阪神スプリングJ(シゲルジュウヤク号)


谷潔厩舎所属からデビュー。同期には大野拓弥、鮫島良太騎手ら。デビュー当初は平地でも年間20勝以上をマークしていたが、6年目頃からは本格的に障害へ。一昨年、昨年と共に8勝を挙げ、高い好走率を誇るなど、障害界で頭角をあらわした。
今年4月からは一念発起し、フランスに約2ヶ月間の遠征を敢行。自身の主戦場である障害レースに騎乗することはできなかったが、貴重な経験を糧に日本での更なる飛躍を誓う。