
元騎手という視点から最新競馬ニュースを大胆解説。愛する競馬を良くするために、時には厳しく物申させていただきます。週末重賞の見所と注目馬もピックアップ!
ポリトラックとウッドチップ
2011/4/14(木)
震災からはや1ヶ月たちましたが、復興への道のりはまだまだ遠く感じます。
様々な支援の輪が広がる中、被災者の方々はいまだ辛い日々が続いているとお察しします。1日でも早い復旧を願っています。
第71回桜花賞は昨年の2歳女王レーヴデソールの骨折というアクシデントを乗り越え、松田博資厩舎のマルセリーナが勝利!3着にも同厩舎のトレンドハンターが入り、オークスが益々楽しみになってきました。
安藤勝騎手も3~4コーナーでは外に出そうか迷ったと思いますが、結果的にコース取りの差が勝利を生んだのでしょう。2着のホエールキャプチャは外目を通らされ、そのタイミングを図るかのように内から抜け出しました。
勝つ時は前が開くものですね!!
関係者の皆様本当におめでとうございます。
今回はニューポリトラックとウッドチップの馬場についてお話します。
★ニューポリトラック
この馬場は厳寒期の調教を安全に行いたいという要求から生まれたオールウェザートラックです。ドバイワールドカップで使用されているタペタもそのひとつですね。オールウェザーは天候の変化や走行頭数などに関わらず馬場状態が安定していることから世界的に評価を得ています。調教からレースで使うコースへと用途が拡大しているのです。
私の経験上、着地時の衝撃が少なく蹄のかえり(グリップ力)が安定しているのでいつも同じように走れます。一完歩目の時間が長い傾向があり、スライド走行で走るので必要な力を短時間で発揮できる軽い馬場なのです。逆に走りやすい馬場であるため、スピードコントロールは慎重に行なわなければいけません。また、降雪時に使用不可となったり、凹凸はできにくいものの、素材が固まりやすいという欠点があります。
★ウッドチップ
現在、ウッドチップを使っているコースと坂路は調教のメインになっています。クッション性、排水性に優れ天候による変化が少ないので日本では最も人気のある調教馬場ではないでしょうか。今では、広葉樹チップ(柔らかい)よりも針葉樹チップ(硬い)の方が安定性に優れていると判明し、アカマツ、スギを使用してウッドチップが作られているのです。表面に凹凸ができやすく滑りやすいという欠点があります。
様々な支援の輪が広がる中、被災者の方々はいまだ辛い日々が続いているとお察しします。1日でも早い復旧を願っています。
第71回桜花賞は昨年の2歳女王レーヴデソールの骨折というアクシデントを乗り越え、松田博資厩舎のマルセリーナが勝利!3着にも同厩舎のトレンドハンターが入り、オークスが益々楽しみになってきました。
安藤勝騎手も3~4コーナーでは外に出そうか迷ったと思いますが、結果的にコース取りの差が勝利を生んだのでしょう。2着のホエールキャプチャは外目を通らされ、そのタイミングを図るかのように内から抜け出しました。
勝つ時は前が開くものですね!!
関係者の皆様本当におめでとうございます。
今回はニューポリトラックとウッドチップの馬場についてお話します。
★ニューポリトラック
この馬場は厳寒期の調教を安全に行いたいという要求から生まれたオールウェザートラックです。ドバイワールドカップで使用されているタペタもそのひとつですね。オールウェザーは天候の変化や走行頭数などに関わらず馬場状態が安定していることから世界的に評価を得ています。調教からレースで使うコースへと用途が拡大しているのです。
私の経験上、着地時の衝撃が少なく蹄のかえり(グリップ力)が安定しているのでいつも同じように走れます。一完歩目の時間が長い傾向があり、スライド走行で走るので必要な力を短時間で発揮できる軽い馬場なのです。逆に走りやすい馬場であるため、スピードコントロールは慎重に行なわなければいけません。また、降雪時に使用不可となったり、凹凸はできにくいものの、素材が固まりやすいという欠点があります。
★ウッドチップ
現在、ウッドチップを使っているコースと坂路は調教のメインになっています。クッション性、排水性に優れ天候による変化が少ないので日本では最も人気のある調教馬場ではないでしょうか。今では、広葉樹チップ(柔らかい)よりも針葉樹チップ(硬い)の方が安定性に優れていると判明し、アカマツ、スギを使用してウッドチップが作られているのです。表面に凹凸ができやすく滑りやすいという欠点があります。

プロフィール
松田 幸春 - Yukiharu Matsuda
北海道生まれ(出身地は京都)。1969年騎手デビュー。通算成績は3908戦377勝で、その中にはディアマンテ(エリザベス女王杯)、リニアクイン(オークス)、ミヤマポピー(エリザベス女王杯)など伝説の名馬の勝利も含まれる。1987年にアイルランドの研修生として日本人騎手では始めて海外の騎乗を経験しており、知る人ぞ知る国際派のパイオニア。1992年2月の引退後は調教助手に転じ、解散まで伊藤修司厩舎の屋台骨を支え、その後は鮫島一歩厩舎で幾多の名馬を育て上げた。時代を渡り歩いた関西競馬界の証人であり、アドバイスを求めに来る後輩は後を絶たない。