
'14~'16年とJRA最多勝利騎手&MVJに輝いた戸崎圭太騎手による、大井競馬在籍時代から続く
人気コーナー!トップジョッキーならではの本音、レースへの意気込みをお届けします!

8月18日時点1657勝
ダノンデサイルと挑んだイギリス遠征は本領発揮ならず
2025/8/22(金)
今週は週中にイギリスのヨーク競馬場で行われたインターナショナルSに挑んだ戸崎騎手。平日の深夜ながら注目を集めた一戦も残念ながら力を出しきれず5着に終わってしまった。
レースを終えて翌日には出国し、週末は札幌での騎乗となるハードスケジュールだが、搭乗前にインターナショナルSのついてのみ語ってもらった。
なお、今回はスケジュールの都合によって通常より話題を絞らせていただきます。ご了承ください。
——昨日は悔しい結果となってしまいましたが、ダノンデサイルと挑んだインターナショナルSはお疲れ様でした。レースはいかがだったでしょうか。
お疲れ様でした。まず、レースの前日に現地に到着して、(安田翔伍)先生と会って、馬の状態は順調に来ていること、環境にも慣れてきているといった話を伺いました。
——当日のパドックの様子を見ても、こちら(イギリス)は日本と違ってかなり涼しいんですが、発汗してチャカついていたドバイと比較しても、落ち着きがあるように感じましたね。

跨るのは久しぶりでしたが、返し馬でキャンターのところからも出方も勢いが良かったですね……。
イレ込むというよりは走る気持ちが強く、走りたがっている雰囲気で落ち着きがなかったですね。徐々に落ち着きが出てくれるかと思いきや、引っかかるような走りでした。
——返し馬では日本の中継映像でも映っていましたね。
そうでしたか。返し馬でなるべく落ち着かせないいといけない場合、やっぱりスタートもポンと出てしまうんですよね。
馬場も先生と歩いた上でヨーク競馬場のコース形態を意識しても、ドバイのような前に馬を置く形で競馬をしたいと考えていたものの、そうした展開にならず残念でした。
強いて言えば、このテンションでもリードホースがハナにいくとは考えていたので、リードホースを前に置いて着けられたら良かったのですが、ハイペースだったのでそうもいかなかったです。
それでいて前に壁ができず、直線もこの馬本来の走りはできなかったです。

——馬場やコース形態はどうでしたか。
馬場は日本より芝が密集している印象があったものの、ヨーロッパにありそうなボコボコした馬場ではなかったです。走れる条件だったと思います。
——一部、映像でも確認できましたが、戦前に馬っ気を出していたり、返し馬でボロをしていた等なんてこともあったようですね。
そうでしたか……。それは知らなかったですね。やっぱり尾を振りながら走ったり、レース中にボロをしたり、難しさがある馬だとは感じていましたが。
パドックでもメンコをしていなかったものの、音だけであれだけ高ぶるかといえば、それだけではないように感じます。決して状態が悪かったわけではないでしょうから、今回は精神面が影響したのかと思います。

——レース後は厩舎の方々と回顧もされたとは思います。
色々と伝えることはありましたからね。聞くところやっぱり普段の走り終えた後と違って、飼い葉の食べっぷりも違ったようです。普段なら食べないのが今回は食べているらしいんですよね。
全く走っていないわけではなく、筋肉の疲労はあっても、そこまで影響が出るほど走りきっていないことなのかなと。
——距離や条件が異なるとはいえ、力を発揮し切れなかったですか。
本来であれば走る方向に集中させるのがジョッキーの務めですが、なかなか叶わなかったですね。ドバイとはまるで雰囲気が違いましたね。
当時の返し馬では大丈夫でしたから、もうその時点から違うなと。今でも力そのものが劣っているとは思わないんですよね。それでいて、気性をどう持っていくかは重要ではありますが・・・。

——また、あの圧倒的な走りを見せて欲しいですね。悔しい敗戦となりましたが、これから飛行機に乗られるということで、今週分はここまでとさせていただきます。この後は日本には金曜日の朝に到着されるようですね。
そうですね。ヨーロッパにいた(岩田)望来やクリストフ(ルメール)らと同じ便みたいで一緒に帰ります。
——そんな顔ぶれで帰られるんですね(笑)。また次週もよろしくお願いします!
ありがとうございました!

プロフィール
戸崎 圭太 - Keita Tosaki
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。99年に大井競馬の香取和孝厩舎所属としてデビュー。初騎乗、初勝利を飾るなど若手時代から存在感を放っていたが、本格的に頭角を現したのは08年で306勝をマークし、初めて地方全国リーディング獲得した頃から。次第に中央競馬でのスポット参戦も増えていった。
11年には地方競馬在籍の身ながらも、安田記念を制して初のJRAG1勝ち。その名を全国に知らしめると、中央移籍の意向を表明し、JRA騎手試験を2度目の受験。自身3度目の挑戦で晴れて合格し、13年3月から中央入りを果たした。移籍2年目はジェンティルドンナで有馬記念を制す劇的な幕引きで初の中央リーディング(146勝)を獲得。16年も開催最終週までにもつれた争いを制し、3年連続のJRAリーディングに。史上初となる制裁点ゼロでのリーディングだった。19年にはJRA通算1000勝を達成、史上4人目のNARとのダブル1000勝となった。プライベートでは2022年より剣道道場・川崎真道館道場の総代表を務めている。2025年5月よりYoutubeチャンネルを開設。