「終わった…」山田敬士騎手が『あの日』からの3ヶ月を独占告白

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●今明かす『あの日』の舞台裏…

10月13日、新潟6R・3歳上500万。観客からどよめきの声が上がった。ハナを切った2番人気のペイシャエリートがハナを切ると、鞍上の山田敬士騎手はもう1周あるにも関わらず、1周目の直線で猛然とムチを振るいながら馬を追い、1コーナーでそのまま流すように外へ馬を誘導した。2コーナーで周回ミスに気付き馬群に戻ったものの、ペイシャエリートは1着馬から4.8秒離された12着に終わった。

「血の気が引きました。レース後、周りの人から顔が真っ青だと言われて……。僕自身、『終わったな』と思いました。真っ先に(ペイシャエリートを管理する)小笠先生に謝り、その後裁決の方に呼ばれました。怒られる以前の話で、何があったのか事情聴取ですよね。競馬なので、公正的に問題ないかについて聞かれました」と、1月14日から戦線復帰した山田騎手は口を開く。

「先輩には『しょうがない、前向きにやれ』と言われましたし、その日の夜、調整ルームで僕の部屋に黛(弘人)さんと丸田(恭介)さんが来てくれて、励ましていただきました。助かりましたね。ただその日の夜は全然眠れませんでした…」と当日の夜について振り返る。

師匠である所属厩舎の小桧山悟調教師はこの日、東京競馬場にいた。愛弟子の出来事を聞き、新潟競馬場へ急行する。「僕が(周回誤認を)やってしまってから、急いで新潟に来てくれました。『謝れる人に謝りに行こう、俺も一緒に謝るから』と言っていただきました。心強かったです。改めて、いい師匠の元に入れたと思いました」。小桧山調教師はその後、山田騎手と共に北海道を回り、数多くの関係者に共に頭を下げた。復帰前と同じくらいの騎乗依頼を得られているのはこの時、師が愛弟子を思い頭を下げ続けた影響も大きいだろう。

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この前代未聞の出来事により、山田騎手は10月13日から3ヶ月の騎乗停止処分を課されることとなった。「1レース、1レースの大切さ、そして1レースの重み…乗れなかった分、その大切さを改めて感じました。以前に増して競馬を深く掘り下げて見るようになりました」と、神妙な面持ちで語る。

「この3ヶ月、時間があったので身体を作り直していたんです。フィジカルトレーナーの人にずっと見てもらっていますし、小桧山厩舎のスタッフさんにトレーニング好きな方がいるので、毎週一緒にやっています。体幹などを鍛えました。その成果が出ているのか、馬を追う時もグッ、グッとリズムに合わせてしっかり馬を鼓舞するような乗り方が出来始めているように思います。身体を作り直したことはに加えて、レースをより研究するようになり、考え方も変えました。馬に対して決めつけると考えが凝り固まってしまい柔軟な考え方ができません。もちろん前提は頭に入れて、そこからはある程度色々試して乗ろうと思いましたね」と話す彼の表情からは、この3ヶ月の騎乗停止期間は、決して停滞期間ではなかったことが伺える。

●2年目の今年、目指すは師匠との初勝利

復帰から1週間後。1月19日の中山7R・4歳上500万では、自厩舎である小桧山厩舎が管理する4番人気のジョブックコメンに騎乗。道中は中団で流れに乗り、残り600m手前から満を持して追い出され、直線では先頭に立ったが、最後の最後でO.マーフィー騎手騎乗のサトノシャークに交わされ、惜しくも2着となった。「競馬は厳しいです。サトノシャークにマークされていたのは感じていました。ジョブックコメン自身あまり切れないので、ギリギリのところで追い出したのですが…仕方ないですね。翌20日は小桧山先生の65歳の誕生日だったんです。自厩舎の馬で勝ちたかったですし、この馬で早めの誕生日プレゼントをと思って乗ったのですが……」と悔しい表情を見せた。

昨年春のデビュー以来、彼はまだ自厩舎の馬で勝利経験がない。デビューから間もなく1年。今年は「小桧山先生は色々考えられている方で、人間として尊敬しています。ジョッキーである前に、人としてどうふるまうか、人としてどうあるべきかを常日頃教えてくださる素晴らしい方だと思います。先生のような人になりたいです」と尊敬してやまない師匠の管理馬での勝利を目指す。

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今年の目標を問うと、「具体的な数字を出すと、届かない時に焦りが出てしまうので設定していませんが…」と前置きした上で、「毎レース毎レース、どんな馬でも勝つつもりで乗ります。1つでも上の着順を目指します。そしてあわよくば勝つ!という気持ちで乗ります!」と笑顔で宣言した山田騎手。「最後まで諦めない」は彼の信条だが、「改めてファンの皆さんに僕のここを見てほしいというところはブレていません。最後までしっかり追うところ、1つでも上の着順に持っていく姿勢を見てほしいです」と真剣な面持ちで話した後、ふと表情を緩ませ、「今年はファンの方と交流と言いますか、もちろん直接話す機会はそうないのですが、パドックや花道で声を掛けていただけると嬉しいですね」とはにかんだ。

「僕はポジティブ思考なので!」と、以前取材した際に彼は言った。そんな自他共に認める『スーパーポジティブ男』だが、「さすがに今回は心が折れそうになりました……。ただその後、調教師さんや馬主さん、関係者の方々に声を掛けてもらって、名前を覚えてもらって、自分がひとりではないことを感じました。そして競馬は一人ではできないことも改めて感じさせられましたね。重賞などを勝ってから言った方がいいのかもしれませんが、今回の出来事を通して、騎手として、人として大きくなれたかもしれません」と21歳の若武者は改めて前を向く。

もちろんペイシャエリートに賭けられた金額など、与えた影響は大きい。多くの批判の声が上がるのも当然のことである。ただ彼は競馬学校に3度目の受験で合格するなど、これまで多くの苦難を乗り越えてきた。これから先も今回の出来事を引き合いに出されることは少なくないだろうが、今回の出来事は彼に苦難だけではなく、大きな経験と財産を残した。

「今回のことでファンの皆様にも迷惑を掛けてしまいましたが、新たな山田と言いますか、この3ヶ月を通して山田は変わったというところを見てほしいです」そう語るジョッキー・山田敬士が持ち前のバイタリティで前に進み、将来、大輪の花を咲かせることを願わずにはいられない。

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再び『ペイシャ』の北所オーナーの勝負服に袖を通し勝利を目指す