ロジャーバローズ 歴史的大激走のインサイドストーリー
2019/6/2(日)
ダービー馬・ロジャーバローズ陣営インタビュー(1P)はコチラ⇒
-:それは分からないですもんね。先輩方のアドバイスというのはやっぱり大きかったですか。
米:今回はすごく助けられましたね。調教に関しても、ポイント、ポイントでアドバイスをいただきました。中2週ということで、どうしても気持ちで守りに入っていこうと思ったけど、京都新聞杯が終わって、1週間後の日曜日の調教の時に、僕は62~3秒くらいの普通キャンターで行こうと思ったけど、(調教助手の)辻野さんと小滝さんが「ここは大きめで行きましょう」ということで、59~60秒で行きました。
翌週の1週前追い切りで、55くらいで乗ろうかなと思っていたのですが、先生から「来週もし軽くなったら取り返しがつかないから、シッカリやった方が良いよ」と言われましたね。僕は完全に守りモードに入っていたので、“そうか、そうだよな”と思って。そこでシッカリやって、ポイント、ポイントで僕が迷って、守りに入ろうとした時に、先生や先輩たちの経験を教えてもらって、そこで修正をして、仕上げて行きましたね。
▲レース当週、ロジャーバローズの調教に騎乗する米林調教助手
もし、あの時、日曜日に軽いキャンターをやって、水曜日に55ということで、ビビって守りに入って57とかになったら、多分、最後のあの二枚腰も使えなかったでしょうし、最後にクビ差凌ぐことも出来なかったでしょうからね。メンコの話だってそうだし、メンコだって外していたら、競馬にならなかったと思います…。
-:やっぱりあの大歓声が沸いた時には、メンコを着けていって良かったなと感じましたか。
米:そうですね。本当に良かったですね。返し馬の時に外しておいて。
-:そういう人間がした対策もすごいんですけど、それを耐えきった馬もすごいですね。
米:あのメンタルはすごいなと思いますね。メンタルがすごく強くなって、日々成長していく感じでしたね。
-:これまでもダービーと言ったら、重賞未勝利馬も何頭か勝っていますけど、フサイチコンコルド以来だそうですね。それくらい3歳世代の2冠目のレースというのは、重賞未勝利馬にとってはハードルが高いレースでしたけど、それだけのモノを秘めていたのですね。
米:そうですね。
-:晴れの舞台が終わって、厩舎に帰られた後の馬の様子はいかがだったですか。
米:意外と元気だったですね。レース直後はさすがにカイバを食べなかったですけど、馬運車に乗って、輸送中のカイバは全部食べていましたしね。それで、帰ってきてからも、“早くカイバを寄こせ”という感じでしたからね。
-:あれだけ土日も暑いというか、5月じゃなくて真夏に近い気温だったじゃないですか。それを克服したのですね。
米:そうですね。それは、やっぱり前年度の新潟の経験が活きているんじゃないですかね。酷暑の中、新馬戦を勝っていますからね。
-:浜中君も言っていたんですけど「人気薄で勝ったのに、お客さんがけっこう好意的な反応だった」ということでしたね。
米:そうですね。意外と。
-:口取りの時とか、その声は冷静に聞こえていましたか。
米:そうですね。けっこう、罵声を浴びせられるかと思いましたけど、「おめでとう」と言ってくれましたね。馬を曳っ張っていて、浜中君以外に、僕にも「おめでとう」と言ってくれたので、恐縮しちゃいましたね。
-:2人きりになって、何か馬に声は掛けましたか。
米:帰りもみんなが写真を撮るので、アイドルやなと言いましたね、ハハハ。
-:(サートゥルナーリアを担当する)滝川先輩からも一言何かありましたか。
米:おめでとうと。
-:同厩舎で負けた馬がいると、なかなか難しいですね。
米:そうですね。サートゥルナーリアの手入れをさせてもらったこともありますけど、やっぱりすごい馬ですよね。このレベルになると、ちょっとしたことの差なのでしょうね。
▲日本ダービーの表彰式にて
-:大一番でどうして出遅れるのだ、みたいな。一発勝負の大一番の怖さですね。これからも凱旋門賞挑戦や、秋のローテーションについてはまだまだ未定なところ(その後、凱旋門賞参戦が決定)もありますけど、まずはユックリ休んで、ダービーの疲れを癒してもらうということですね。
米:癒して欲しいですね。よく頑張ったから、よく休んでもらいたいですね。
-:ダービーの2~4着まで、上位3強と言われていた馬が揃って入った訳なんですけど、3強を振り切った気持ちを、改めてファンに伝えていただけますか。馬券を獲った人もいるわけですからね。
米:本当に最後クビ差で勝てたのも、応援のおかげかなと。応援が後押ししたのかなという気がしますね。それに対して感謝をしていますし、本当にこの勝利はみんなの勝利だなと。
-:遡れば、セレクトセールで落札された馬ですね。
米:この馬はすごく人懐っこいんですよ。人懐っこいというのは、生産牧場である程度、決まるので、そこからスタートですので、生産牧場の方々が人懐っこい馬をつくってくれました。育成で捻くれたところのある性格で、走るのが大好きな馬を、ウチのチームが育てていくという。
-:セレクトセールで、猪熊オーナーにこの馬を紹介したのが角居先生だった訳ですね。
米: 2人で選んだみたいですね。過程を経て、走ることが大好きな馬になって、実際に最高のレースであの接戦。その中で応援してくれた人の声援が、最後に力となって後押しされたと思いますね。
▲セレクトセール当時のロジャーバローズ
-:オーナーにとっても初めてのG1ですからね。米林さんにとっては、重賞初勝利が日本ダービーですからね。
米:オーナーにとっても初のダービーとなって嬉しいですし、自分はあり得ないですね。
-:「おめでとうございました」じゃ済まないくらいの大快挙ですからね。
米:本当にみんなスタッフを初めとして、オーナーがこうやって預けてくれて、こちらに任せてくれて、先生が信頼して、僕を乗せてくれましたし、スタッフがポイント、ポイントでアドバイスをしてくれて。
-:本当に、米林さんの人柄をみんながかわいがってくれたというか、バックアップをすごくしてくれて、チームで勝ったという感じですかね。
米:そうですね。みんなサートゥルナーリアの方も応援していたし、滝川さんもとんでもないプレッシャーが掛かっていたでしょうし、その中でも僕は本気で勝ちに行って、みんなも助けてくれました。結果的には僕の馬が勝ちましたけど、本当に周りの助けがあって、勝てたということですね。周りの助けと、最後はみんなの応援で、最後は一完歩のクビ差凌いだということですね。ああいう応援がないと、多分勝てなかったでしょうからね。
-:素晴らしい仲間の中で仕事が出来て良いですね。
米:良い関係で、本当にありがたいですね。
-:元気に帰ってきて、また取材させていただけるように、応援しています。ありがとうございました。
米:ありがとうございました。
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プロフィール
【米林 昌彦】Masahiko Yonebayashi
16歳の頃、草野仁さんの著書『たかが競馬されど競馬』を読んだことで、競馬界に興味を持つ。高校時代に乗馬クラブに通い始め、卒業後はオーストラリアにわたり、開業したての厩舎の元で研修するも、落馬により、腰椎を骨折。一時は再起不能の状態に。それでも、諦めることなく、リハビリを続け、ホッカイドウ競馬の佐藤邦茂厩舎で見習い騎手となり、2年間ほど調教に携わる。
その後は酪農学園大学に合格し、馬術部に所属するも、アルバイトとの兼ね合いの中、睡眠時間がとれない日々が続き、過労で体調を崩してしまったという。結果、23歳にして、競馬学校厩務員課程に合格。トレセンでは2つの厩舎を経て、角居勝彦厩舎へ。
馬と接する上で意識することは「相手に敵意を持たせないこと。馬を扱う基本に、モンティ・ロバーツの考え方をすごく取り入れているので、フレンドシップというか、仲良くなりたいと思います。主従関係を先につけたいという考え方もあるでしょうが、馬によっては最初にフレンドシップを重視した方が良いと、僕は考えているんですよ」と語る。思い出の馬はトーホウチェイサー。