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野元昭嘉調教助手

野元昭嘉調教助手・元騎手(栗東・松田博資厩舎)


引退レースはキセキノハナで有終の美

-:それが引退1週間前ですね。引退の週というのは、何か特別な思いを持って?

野:特になかったです、ハハハ(笑)。全然、普通でした。いつも通り乗ってましたけれどね。まあ、最後のレースの時にゲート裏で、「いつもと変わらねえな」みたいな心境で……。また、乗り慣れた馬に乗ってたから。初めて乗るという馬でもなかったし、まあ、いつも通り。

-:手応えはあった訳ですか?

野:う~ん、掲示板まではいけるかなと。

-:6番人気でしたね。

野:そうですね。前回が先行させて、シブとく粘って、差がなかったんですけどね。まあ、先行馬が多かったんで、今度は5、6番手でも、モマれないところで競馬をしたら良いかなと思ってたんですけど。結局、ピューと行けたんでね、2番手まで。最後は良く粘ってくれました。

-:感動的な引退レースで勝つという。

野:名前が良かったですね。キセキノハナというので。

-:引退式を口取り後の中京のウイナーズサークルでやられました、お客さんの前で。勝ったからこそ実現できたことなんですけど、思わず込み上げてくるものが?

野:というより、自分は全然、平気だったのですが、花束をもらう時に古川(吉洋)と(松田)大作が先に泣いてて、それを見たら、やっぱり……。スイッチが入ってしまって。向こうが先に「ヤバイ、ヤバイ」と言ってたから、泣かんといてなと言ってたけど、見てしまったらコッチも。



最後の騎乗となった12月16日のレース後は、親交が深い松田大作騎手(上)、古川吉洋騎手(下)から花束を贈呈された。


-:男泣きをしてしまったと?

野:そうです。ハハハ(笑)、恥ずかしいんだけれど。

-:でも、キレイなシーンだったんじゃないですか?

野:まあ、取りあえず、僕がデビューした1年後が古川で、その後が大作で、しょっちゅう一緒にいて、僕の家にもしょっちゅう泊ってたし、僕の妻も含めてね。ずっといつも遊んでたり、一緒にご飯を食べたりしていたメンバーだから。

-:幼なじみというか、ずっと相棒みたいな。

野:取りあえずデビューしてから、その2人をかわいがっていたので。兄貴分というか、一応、先輩だったので。でも、大して年も変わらず、仲良くしていたんです。



騎手引退後は持ち乗り助手に転身

-:普通はジョッキーを引退したら、攻め専になることが多いと思うんですけれど、選ばれたのは持ち乗りですね?

野:はい。攻め専枠がなかったというのが、本音なんですけれど、去年中に辞めないと色んなメリットがなくなって、デメリットしかなかったので。そういうのもあって、10月で、もう2カ月しかないという時に、まあ、色んなジョッキーも探していたんですけれど、なくて。そんな時に松田先生の所が「持ち乗りで良ければ、どうや」と言ってくれたので。乗ることに関しては自信があるんですけれど、馬を世話するということにちょっと悩みましたが、取りあえず、やるしかないと。松田先生の所で頑張ってみようと思って。

-:世話をすることに関していえば、それは競馬学校の頃まで遡らないと。

野:そうですよ。だから、18年ぐらい馬を手入れするとか、世話することがなかったし、ましてや、競走馬になると、エサとか普段のことも見とかないとね。脚元を見たりだとか、すごくそれが心配だったけど、ジョッキーを辞める前までに(松田剛調教助手、松田博資調教師の息子)剛君が……。今、助手じゃないですか。僕が松田厩舎に所属している間、2頭持ちをしてくれていたので、ジョッキーをしながら、一緒にやって、どんな感じなのかということを1カ月ぐらい勉強できましたから、やる前にね。

-:引き継ぎ期間みたいなのがあった訳ですね?

野:そうです、そうです。こうやって、こうやるとか。

-:松田剛さんが段取りをしてくれた訳ですね。

野:教えてもらって。だから、2人で。まあ、剛君がメインでやってくれてるんですけれど、僕も見ながら、触りながら覚えていったので。

-:ジョッキーから持ち乗りになるというのは、かなり戸惑いがありますか?

野:それはありましたよ。でも、仕方がないですもん。

-:それが驚いたというかね。

野:はい。みんなに言われますけどね。

-:所属している松田博資厩舎は競馬ファンからも超メジャー厩舎として知られています。改めて、どんな厩舎か教えていただいて良いですか?

野:調教は多分、トレセンで一番ハードですね。そこで耐える馬は走りますね。馬の質自体も、はっきり言って良いです。みんな仲が良いし、ワイワイガヤガヤ。僕的には楽しいですけれどね。

-:いきなり良い厩舎に入れたと。

野:入れたし、持ち乗りの子も小学校の先輩、後輩が一杯いるから、中学校にしてもね。だから、昔ながらの顔見知りで、剛君も、ちっちゃい時からの知り合いだし、ある意味、良かったですよ。色んな事はベテランの厩務員さんの山口さん(ブエナビスタ、アドマイヤドンなど担当)とかが一杯教えてくれるし、分からないことはすぐに聞きますからね。全部教えてくれるし、この何週間でそれなりに覚えましたけれど。

-:ジョッキーをやっていた経験を松田厩舎に持ち込めるという部分もありますね。

野:調教では若い子が「掛かる馬はどうしたら良いですか?」と聞いてきてくれますね。

-:どう答えるんですか。掛かる馬の攻略法というのは?

野:と言っても、多少のことは言えても、結局、乗ってて、口では言えない感覚があるから、言えないんですけれどね。やっぱり、最初からハミをガッチリ掛けるんじゃなくて、最初1回譲って、ユルしてから軽く引っ張ったら落ち着く馬もいるし、どうしても引っ掛かる馬で、最初からガッチリと持たないといけない馬もいるし、それは馬を見たり、キャンターを見た時に、臨機応変に対応しなきゃいけないとか。

-:素人目に考えると、掛かりだして1回譲って、もう1回持とうと思って、持ったら余計に噛まれて、より暴走しそうな感じがします。

野:そう感じるじゃないですか?そこは何か感覚なんですよね。この馬はテンにキャンターに下ろす時に放した方が良いとか、この馬は無理やから、テンからガッチリ抑えて、ゆっくりキャンターに下ろしてから、徐々にユルめていくとか。まあ、全てが正しくないし、ただ、僕の考えだから。

-:しかも馬だから、毎回同じじゃダメかもしれない。

野:そうです。それでもペースが速くなるのも一杯いるし。多少、ペースが速くなっても良いかなと思うんですよね。そこで馬がちょっとリラックスして、力を抜けて走れれば。何日か経てば、徐々に落ち着いていって、ペースも落ちるかなと思うから。



-:なるほど。改めて競馬って、難しいですね。競馬に行くまでのほうが難しいですか?

野:どちらかと言えば、僕の場合は。調教するのは今まで通りだけど、馬のエサの管理、脚元の不安とかも傷があって、冬とかも凍るから不凍剤が撒かれますよね。キズに強い馬は脚が腫れないけど、弱い馬はすぐに腫れているのを厩舎でも見るし。僕が持たしてもらっていた最初の2頭は全然、脚が腫れなかったから、すごく安心して。やっぱり、横の馬とか見てたら、ちょっとした傷でもすぐに脚に熱を持ち気味になったりだとかするから。

-:不凍剤で、塩まみれのコースを走っている訳ですから、皮膚にはすごい刺激ですからね。一番難しい時期に仕事を始めたという。

野:その中で僕がやっている2頭というのは強い馬だったんで、助かりました。

-:これからは今やっているサダムダイジョウブとラストインパクトという2頭を担当して。今後はパドックで、野元助手が馬を曳いてファンの前に?

野:もう、2回行ってるんですけどね。みんな、あんまり気付いてないでしょうね、ハハハ(笑)。

-:それがファンとしたら、何か特別ですよね。そういうジョッキーは少ないですからね。

野:今は菊池先輩(菊地昇吾元騎手)とか持ち乗りしている人もいるし……。

-:赤木さん(赤木高太郎元騎手)も時々。

野:そうですね。まあ、だから、はっきり言って、助手と持ち乗りさんって、そこまで変わらないと言えば変わらない。まあ、変わると言えば変わるけど、馬の世話があるから。

-:馬の世話と言うだけで責任感の度合いが全然、違いますからね。

野:まあ、責任はあるけど、乗ることに関しては変わらないから、慣れてしまえば、今のところは大丈夫ですけどね。

-:毎朝、今までより早く起きて?

野:僕は朝が強いから目覚ましですぐにパッと起きれるので、それは良いんですけれど、最初の1週間ぐらいはグッタリと疲れましたけれどね。本当に遊びに行くことが更々なくなって、もう寝ようみたいな。でも、今は全然、平気だし、慣れてきたので。昼からは作業が楽なので。朝だけですね。

-:松田厩舎は調教時間が長いですからね。

野:まあまあ、そうですね。運動時間が長いので。まあ、なんやかんやで、普通にいけば11時半前には終わるから、次は3時半ぐらいまでに来れば良いから、帰ってご飯を食べて、ゆっくりして。夕方も4時過ぎには終わるから、そこまではね。

[取材・(中京競馬場のものを除く)写真]高橋章夫


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野元昭嘉調教助手(元騎手)インタビューPart.2
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【野元 昭嘉】Akiyoshi Nomoto

競馬学校騎手課程第11期生。1995年、父である野元昭厩舎の所属騎手としてデビュー。同年は29勝を挙げ、中央競馬関西放送記者クラブ賞を受賞した。騎手時代の通算勝利数は重賞3勝を含む、5698戦238勝。引退レースで見事勝利し、2012年の12月20日に鞭を置いた後は松田博資厩舎に所属し、持ち乗り助手としてラストインパクトサダムダイジョウブを担当。調教師を目指しながら、腕利き揃いのスタッフの中で切磋琢磨している。