関係者の素顔に迫るインタビューを競馬ラボがオリジナルで独占掲載中!

吉澤克己社長

育成場として、ファンにお馴染みは社台系のグリーンウッドやノーザンファームになるだろうが、昨年からトレセンで話題になっていたのは「吉澤ステーブルWESTが信楽(しがらき)にできた」という情報。特に須貝尚介調教師と懇意にしている競馬ラボにとって、ゴールドシップを育て上げた牧場となれば欠かすことはできない。そこで、今回は須貝調教師に直接、総帥である吉澤克己社長を紹介いただき、業界初となる単独取材を実現してきた。

栗東トレセンで話題の育成場

-:吉澤ステーブルといえば、ゴールドシップの取材時に頻繁にお名前が出てきます。これまでにもタニノギムレット、ウメノファイバー、サンライズバッカスなど多くの活躍馬を出している有名な育成場ですが、これまでの歴史を簡単に教えてください。

吉澤克己社長:歴史は平成6年(1994年)に北海道の浦河町で、12頭から始まりました。最初はお金がなくて、北海道の浦河町のBTC(軽種馬調教育成センター)の前にある岡本昌市牧場さんに厩舎を建ててもらって、そこを間借りして始めました。当初は12馬房を建てていただいたのですが、実際には6頭しか集まりませんでした。その6頭で始めたものの、あとの空いた6頭分の馬房をどうしようかと悩みました。従業員も2人雇っていましたから僕を入れて計3人で乗っていたので採算が合わない。6頭のままでは当然、赤字です。その時に静内のグランド牧場の社長が6頭を預けてくれました。おかげさまでようやく、12頭になったんです。

そのとき預かった馬の中に、のちのスマートボーイがいました。スマートボーイの調教師である伊藤圭三先生は、グランド牧場の社長の弟で、僕の高校の同級生なんです。その伊藤圭三先生が友達の、相沢先生、萱野先生、手塚先生、伊藤伸一先生を紹介してくれました。こういうご縁が今までの僕を支えてくれたんです。平成7年からついこの間まで20年近くもの間です。彼等が馬を入れてくれなかったら、僕はやってこれなかったと思います。


-:人のつながりで徐々に吉澤ステーブルの知名度が上がっていったんですね。

吉:その頃、弊社は無名で、誰も知らないような育成牧場でした。ただ、浦河のBTCの知名度が少しずつ上がってきた時期だったのが幸運でした。弊社の実力ではなく、BTCの効果で2年目からは徐々に馬が集まりはじめましたね。少し馬が集まりだした開業2年目の馬の中にウメノファイバーがいたのもありがたい話です。ウメノファイバーがオークスを勝ってくれて、その後は順調に馬が集まるようになりました(笑)。

-:でも、その時は12頭を3人で乗ってらしたんですよね。1人あたり4頭になるじゃないですか。時間的にはかなり辛かったんじゃないですか?

吉:むしろ、“4頭乗り”なら楽でした。その頃の育成牧場ですと、“1人8頭乗り”などが当たり前の時代でしたから。馬が増えるに従って、従業員も少しずつ増やしていきました。そうすると、牧場の雰囲気も活気づくんです。ウメノファイバーがオークスを勝ってくれて、クラシックは2度と勝てないだろうと思っていましたが、その後にもタニノギムレットがまた出てくれました。なんか、“重賞って簡単に勝てるものなんだな”と思ってしまいました(笑)。というのも、実は育成馬の調教方法を変えていたんです。

吉澤ステーブルWESTの厩舎内の様子


-:どういうふうに変えたんですか?理屈は持っていても、結果はそう簡単に出るものじゃないと思うのですが、開業されて早い時期にオークス馬を出されたのには驚きます。

吉:たしかにそうですね。でも、その間も預かっている馬はほとんど勝ちました。5年ぐらいの間でしたら、タニノギムレットとウメノファイバーがクラシックを勝って目立っていますが、他にもG2、G3を勝った馬が結構いました。調教方法としては、今では新しくないですが、藤原英昭先生や大久保龍志先生、戸田博文先生、彼らがいま取り組んでいる調教を始めていたんです。今から20年近く前のことです。

-:それは馬術を取り入れた育成ですか?

吉:そうです。僕は馬術部出身なんです。その頃は藤原先生も大久保先生も調教師にはなっていない時代です。当時としては珍しい乗馬スタイルを取り入れた調教を始めました。

-:乗馬スタイルを取り入れた目的は馴致の時に“若馬と人の関わり”という部分で、ですか?

吉:育成場といっても馴致だけではありませんよ。

-:そうなんですね。育成場というと入厩前の馬だけを専門に調教する施設だと思っていました。レースで使っている現役馬も調教されていたんですね。

吉:レースを使っている馬も1歳馬も同じように乗馬の基本を取り入れて調教しています。

3つの掟を守ればイイ馬になる

-:今では多くの先生が取り入れている乗馬スタイルの調教を競走馬に行う。吉澤社長はその先駆けみたいな存在なんですね。

吉:そのあたりは僕が先駆者かどうか定かではありません。当時でも乗馬スタイルの調教をされていた人がいたかもしれませんから。あとは飼料の研究をしました。最近、厩舎にもオリジナル飼料があるのをご存知ですか?

-:見たことがあります。厩舎のマークが入った配合飼料のことですね。

吉:そうです。あれを初めたのは僕だと思います。

-:調教法だけではなく、飼料の勉強もされたんですね。それはヨーロッパの飼料から学んだんですか?

吉:僕は自分で牧場を始める前にヨーロッパに行って飼料の知識を得ました。最初はアメリカには行きませんでしたが、今は毎年のようにアメリカに行っていろんな知識を学んでいます。

-:では、飼料のどのあたりを改良されたのか、それまであったものとの違いを教えてください。

吉:一番の違いはエネルギーの量です。パワーの付くようなものを使い始めました。

屋根付きのカーブした道は坂路コース


-:それを食べさせると、精神状態とのバランスの維持が難しくなる気がします。エネルギーが付き過ぎて、乗りにくい馬になる可能性もありそうです。その辺の兼ね合いは、馬術をやってらした技術でクリアできるということですか?

吉:馬の調教というのは時計を出すのだけが調教ではありません。僕は馬を“乗りやすくすること”が調教だと思っています。乗りやすい馬のほうが時計を出すにしても競馬場の雰囲気に入れ込んでしまっても扱いやすい。まずは1歳のときから、“乗りやすい、扱いやすい”ように調教をしていきます。そういう意味では、パワーがあり過ぎたら、良い競走馬にはなりません。ちょうど良いサジ加減で、1頭1頭、個別に管理をすることが重要だと思っています。WESTに120頭、浦河に150頭の馬がいますが、全部、メニューが違います。エサのメニューは1頭1頭違って当然なんです。

-:エサのメニューが違うということは、調教メニューも?

吉:もちろん、調教メニューも違います。馬の調教は、そんなに難しいモノではないと思っています。3つだけちゃんと守っていれば、良い馬になるんですよ。

-:3つ?それは、なんですか?

吉:1つ目は、今、言ったようにエサ。2つ目は運動、つまり調教です。3つ目は装蹄。この3つがシッカリしてれば競走馬は出来るんです。この3つのうち1つでも欠けるとダメなんです。いくら良いエサを与えて、いくら良い調教をしても、履きづらい靴を履いたら、元も子もない。人間だって食事、運動、足元のバランスが悪いと体調が悪くなりますから。いくら良い靴を履いて、いくら良いエサをやっても、調教と噛み合わなかったら、乗りやすい馬にはなりません。どれか1つでも欠けたらダメなんです。

吉澤克己社長インタビューインタビュー(後半)
「名馬はみんな印象が強烈」はコチラ→

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【吉澤 克己】Katsumi Yoshizawa

1994年、北海道の浦河町で牧場を開場。乗馬で培った技術、ヨーロッパで学んだ経験を活かし、前衛的なスタイルで頭角をあらわすと、タニノギムレット、ウメノファイバーなどの活躍馬を輩出。北海道と福島に牧場を構えていたが、2011年の東日本大震災をきっかけに新たな牧場を造ることを決意。昨年秋から栗東トレセンの近郊(車で30~40分)である滋賀県甲賀市信楽町に「吉澤ステーブルWEST」を設立。
WESTだけで約150頭弱の管理馬、40人の従業員を抱え、ゴールドシップを筆頭に栗東トレセンの有力馬の外厩として、重要な役割を帯びる。「僕が雑誌とか、テレビとかのインタビューに出るというのは、ほとんどないんですよ」と語るように、貴重な独占取材に応じてくれた。

≪関連リンク≫
吉澤ステーブル 公式HP