昨年、ルーキーながら43勝を挙げて、NARグランプリ優秀新人騎手賞を受賞。地方競馬から彗星のごとく現れた大井の笹川翼騎手。長きにわたって地方競馬を牽引してきた戸崎圭太騎手と入れ替わるように、大井から頭角を現したあたり、次代のエースになりうる存在と期待せざるをえないが、激戦区の大井で、なぜ勝ち星を重ねられたのか。ジョッキー界のサラブレッドたる、その生い立ちに迫ってみた。

生まれながらの騎手候補生

-:昨年、大井競馬からデビューをされて、目覚ましい活躍を遂げられている笹川翼騎手。今回は初めてインタビューをさせていただきますので、騎手になるまでの経緯から振り返ってください。まず、新潟県のご出身ということで、小さい頃の笹川騎手はどんな子供でしたか?

笹川翼騎手:よろしくお願い致します。子供の頃はずっと新潟で育ちました。僕が長男で、弟と妹が一人ずついる家庭で、両親は競馬とは関係がない仕事に就いていました。祖父(此村与志松氏)が元ジョッキーで、千葉で牧場をやっていたことで、その牧場に遊びに行った際、馬を見たことがキッカケで騎手を目指すようになったのです。昔から外で遊んだり、体を動かすことが好きで、学校ではサッカー部に入っていました。野球もよくやりましたね。

-:牧場で馬を見たのは小さい頃ですか?

笹:物心つく前から見ていました。その頃から時には馬に乗せてもらうこともありましたね。当時から騎手になりたい、と決めていたので、特別な転機などもなく、この道一筋で来ました。

-:馬に携わっていた時からジョッキーになりたかったのですね。実際の競馬も観ていましたか?

笹:ずっと見ていました。その影響で、ひらがなよりもカタカナを先に覚えたくらいです(笑)。

-:ハハハ(笑)。その当時に好きだった、応援していたジョッキーや馬はいましたか?

笹:ジョッキーは分からなかったのですが、祖父の牧場が西山牧場(白井分場)だったので、縁があるセイウンスカイは好きでした。実際に牧場でセイウンスカイをみていた訳ではありませんが。

笹川翼騎手

-:地方教養センター(地方騎手の競馬学校)には中学校を卒業して、すぐに入学されたのですか?

笹:いや、1年間は高校に行きました。実は中央競馬の試験も受けたのですが、一度、落ちて、翌年も再受験をしたのですが、また不合格になってしまいました。そこから最終的に地方を目指すことになりました。

-:教養センターでの日々は大変だったと思いますが、基本的なスケジュールはどんな毎日でしたか?

笹:朝は競馬場ほど早くなかったですね。7時くらいに馬の手入れなどをやって、それから朝飯を摂って、昼くらいまで馬に乗りました。昼飯後はまた手入れなどを夕方まで行って、夜は各々のトレーニングの時間でした。

-:体重管理のために、食事を調節されたりはしていましたか?

笹:僕は体重であまり苦労をしなかったので、気にしませんでしたが、周りには辛そうな人もいましたね。

-:今振り返ると、騎手学校時代はどんな2年間だったのでしょうか。

笹:ひとえに楽しかったです。そんなにキツイと思ったことはなく、同期も皆、仲が良く、互いに切磋琢磨しているような間柄でした。自分の良い糧になった学校生活だった、と今でも思います。

-:その同期同士で、今でも連絡を取ったりしているのですか?

笹:時々、取っていますね。必然的に南関の同期とは話すことは多いです。それに、同期がどういう競馬をしているのか、気にはなるもので、成績もチェックしてしまうくらいです。

笹川翼騎手

自身の意思で大井競馬へ

-:所属先が大井競馬になった経緯も教えていただけますか?

笹:大井は地方競馬の中でレベルが一番高いと思いましたし、ずっと「所属は大井が希望」と言っていました。「乗鞍もなくて厳しいし、違うところでいっぱい乗った方が良い」と周囲には言われていましたが、“そこは自分の力で何とかしよう”という覚悟で行きました。最初は厩舎も決まっていなかったのですが、その時の教官の先生が、うちの先生(米田英世調教師)の大学の先輩で、紹介して頂けました。

-:余談ではありますが、自分の希望があったとしても、受け入れ先が決まらないと、また違う所属先になってしまうのですか?

笹:そうですね。希望を出しても引き受けてくれる人(調教師、厩舎)がいないとダメですね。

-:そういうご縁もあって、大井に来ることができたのですね。所属の米田厩舎はどんな厩舎ですか?

笹:素晴らしい厩舎だと思います。ゆくゆくは自厩舎で大きいところを獲りたいとも思っています。

-:昨年の4月7日にデビューした時のことは覚えていますか?

笹:さすがに緊張しましたね。パドックで待っている時はそわそわしてしまいましたよ。普段は緊張したり、しなかったり、状況によって違うものですが……。それでも、緊張している時は大概、上手くいかないものです。

-:緊張したとはいえ、デビュー戦は2着になりましたね。

笹:2着でしたが、普通に乗っていれば勝っているレースでした。結果は2着でも内容は反省の2着です。

-:その2日後の4月9日に人気薄で初勝利を挙げましたね。

笹:ビックリしました。その時は全然、緊張もしていなかったです。もちろん、嬉しい気持ちはありましたが、唐突に“勝ってしまった”という印象が大きかったです。戦前に成績を残せていなかった馬なので、大きなプレッシャーも感じずに乗っていたのが正直なところです。


「4月はなるべく目立つよう競馬に乗ろう、と心がけていました。それが良いアピールになったのかな、という意識はあります。今とデビューした時とは競馬の心構えは違いますが、良いアピールになったのかと思います」


-:そこから9ヶ月間で43勝という成績は凄い数字だと思います。自己分析として、どうしてここまでの数字を上げられたと思いますか?

笹:調教師の方々や馬主さんにいっぱいチャンスを貰えて、良い馬に乗せて頂けたからだと思います。その反面、取りこぼしも多かったですし、上手く乗れないレースもあるのですが、それでもチャンスを頂けました。新人ながら乗鞍も多く、そこに感謝するばかりです。43勝という数字には納得している部分もありますが、納得していない反省の思いが大きいですね。と言うのも、600回近く乗っての43勝なので、もう少し勝てたのではないか、と今でも思うレースもあります。

-:とはいえ、新人ジョッキーですからね。勝てるようになったキッカケのレース、出会い、その秘訣はありましたか?

笹:4月はなるべく目立つよう競馬に乗ろう、と心がけていました。それが良いアピールになったのかな、という意識はあります。減量特典で斤量が軽いので、ある程度、早く仕掛けたり、前に行っても止まらないですし、そういう競馬を心掛けたことが良かったのかと。今とデビューした時とは競馬の心構えは違いますが、良いアピールになったのかと思います。

-:ここまで親身にアドバイスしてくれる方はいましたか?

笹:沢山の方々からいただきましたし、自分からも聞いたりしました。怒られることもありましたが、それも良い経験になったのかと思います。

笹川翼騎手

-:そして、NARの優秀新人騎手賞という、一生に一度しか貰えない賞を獲りましたね。

笹:凄く嬉しかったです。賞は一年を通して意識していました。道営の同期がけっこう勝っていたのですか、何とか獲れましたね。

-:1年目でもベテランジョッキーやトップジョッキーとレースをしなくてはいけません。体もある程度出来てないといけないと思うのですが、子供の頃からの経験や生活が生きた面もありますか?

笹:学校に入ってから考え方が変わって、部活もずっとやっていたのですが、一人で黙々とやるタイプになりました。そこからちょっと変わったかもしれません。周りもみな上手かったですし、負けたくなかったし、普通にやっていても面白くないので。それが今となっては良い方にいったのかなと思います。

-:体はもちろん、精神面にも良い基礎になっているのですね。

笹:学校や部活動で鍛えられた感じはあります。

※「中央、海外でも乗りたい」と語る今後の大いなる野望。そして、戸崎圭太、真島大輔ら大井の先輩からのエールも。笹川翼騎手インタビュー後半は8/31(日)に公開です!