誰もが舌を巻いた皐月賞
2012/10/13(土)
-:ゴールドシップみたいな馬も回ってきたわけですからね。戸崎騎手は皐月賞のゴールドシップをご覧になってどう思われましたか?
戸:いやあ……、アレは、何て言えばいいんですかね。俺が言うのもアレですけど……、「流石」って言うか、「スゴイ」だけでは言えないんですけど、「内田さんじゃなかったら勝ってないだろうな」というのはありますね。
内:トップに立っているジョッキーがそう言ってくれること、ファンがそう思ってくれること、競馬関係者がそう見てくれたりすることが、自分のジョッキーとしての成績、っていうよりも、認められているってことじゃないですか。
-:皐月賞の3~4コーナーで、内の悪いところに行ったときの判断というのを教えてもらいたいんですが。
内:あの時は……、そうですねえ。「外に行こう」っていう気持ちもずっとあったんですよ。やはり外の方が伸びるので。でも内に入れたときに「内の走りも悪くない」って思ったんですよね。みんな外に行っているんで、「あんな距離をロスするんだったら、多少、4コーナーのところが悪いけど、直線で外にずっと走っていけば悪いところを走るのはほんの少しで済むんじゃないか。ということは、意外と内に行った方が馬にとっては楽だな」と思ったんですよ。あとはもう、思い切りですよね。それでダメだったら、『すいませんって言うしかない。自分の判断ですね、あそこは。「この馬だったら大丈夫だ」っていう。
-:それがドンズバリだったんですね。
内:中山でたぶんあそこで外から上がっていったら、みんな外を上がってくると思うんですよ。有力馬が前にいましたから。有力馬が前にいるってことは、ボクが動いた瞬間にみんな同じように動いちゃうんですよ。そうしたら、ボクが一番大外回っちゃうんです。馬場の3分の2くらい、相当な距離を走るんですよ。外がイイって言っても、外もやっぱりある程度ぬかるんでいますからね。だったら、みんな内ラチから、それくらい空いているんで。ゴールドシップなら行けるな、というのはあったんで。そこはもう自分の賭けですよね。
戸:あんなに内が空くってあるんですか?そんなに悪かったんですかね?
-:あの週は土曜日からすごく空いていて……。
内:ただね、頭の中で意識があったのは、「後半、少しずつ乾き始めてきたな」と。下手な馬は絶対走れないけど、「この馬だったらこれくらいこなせるなあ」と。内に入れたときに走りが一緒なんだよ。外に行こうが、内に行こうが。「これだったら外に行く必要はないな」と思って内に行ったんですよ。
戸:その判断が良かったんですね。あれだけ、みんな外に行っているのに……。ああいう展開にさせちゃうんでしょうね。たぶん、内田さんが。
-:一番後ろにいてそういう展開にさせることができるんですか(笑)?
戸:いや、そういうモノを持っているんですよ、やっぱり。
-:逆にゴールドシップのファンからしたら、府中で先行して勝ったこともあったじゃないですか。アレをファンに見せてしまうと、中山2000mって考えたら「アレだ」って思うファンがいるじゃないですか。そのファンたちは1コーナーでうなだれていたはずなんですよ。「後ろすぎるだろ」って。
内:いや、ボクが思ったのは、「枠順も外だし仕掛けて行っても、中団の大外で、たぶん馬場の真ん中くらいを1コーナーから回っていって、向正面で少しずつ内に入ったとしても、また3コーナーから外に出さなきゃならない。どれだけ外回らなきゃならないんだ。これはどう考えても無理だ」と。
戸:アレはもうマジックっていうか、“ワープ”ですもんね。
内:いや、ワープってみんな言うけど、ちゃんとした距離だし、走路だから!
戸:いやあ~、走路は走路ですけど……(笑)。
"(皐月賞は) もう自分の賭けですよね(内田)"
-:グランプリボスの安田記念も凄かったと思います。
内:安田記念?ああ、負けちゃったもんね(笑)。
-:こう、出して行ったじゃないですか。しごいて行ってグッて引っ掛かって、「うわ、ヤバイな」って思っていたら上手いこと我慢していたんで。
内:「チャンスはあるな」と思っていたんですよ。今回は内枠だったし。「このチャンスは生かさなきゃいけない」と思っているから、「引っ掛かるのをビビッていたらダメだ」と思ったんですよ。「多少、ガッと行ってもある程度大丈夫だろう」と思ってスッと行ったら、最初はグッ!と行ったんだけど、そのうちフッと折り合いついたから、「よしよしよしよし、よしよしよしよし(だんだん声が大きく)」と思って(笑)。そしたらパーンと開いてさ、「ほら、勝った!」と思ったら、外からビュ~ンって抜かれた。でもまあ、自分では、やり切ったと思いますよ。
まあ、G1は1つ復帰してすぐに勝てたし、重賞も勝てたし、それで満足したらいけないんですけどね。春のG1で2着も3つくらいあって、4回連に絡むレースができたので、次は逆に4個くらい勝てるようにしたいなと思いますけど。そんな甘くはないので。でも、そういった欲がないとね。欲があるからこそ、まだまだ続けていきたいなと。自分の中でもこれからだと思っているので。
-:戸崎騎手もやっぱり、こういうふうに人に見せようとか、認められようとか……。
戸:いやあ、今、話を聞いて、やっぱり素晴らしいなと思いましたね。
内:褒めすぎだよ。
戸:いやいや、やっぱり、自分は見せる競馬っていうのはたぶんないと思うんですよ。競馬ファンに「何かスゴかったレースはありますか?」って聞いても。勝ったレースはたくさんあると思うんですけど、じゃあ、そこで何か光るものというか、そういうレースをしたかというと、一つも浮かび上がってこないし、自分でもそういうレースをしたっていうのがないんですよね。何て言うんだろう……、魅せる競馬?
内:(リアルインパクトの)安田記念は?
戸:いや、あれはだって、無難に3番手につけて……。レース内容として、「やっぱりココは内田だろう」っていうように、「ココ、やっぱり戸崎だな」っていうのはそんなに強くないんですよ。と思うと、「そういうのを意識して乗らないといけないのかな」って思いますけど、そういう強い気持ちもたぶん持てない、持ってもできないと思うので……。今、話を聞いていて、「やっぱりそうだよなあ」って思いましたね。
内:ボクは若い頃からそういう意識はずっとしていました。やはり、技術を決める、認めるのは第三者だから。自分が決めるものじゃないんで。馬主さんが見ていて「あの子を乗せたいな」って思うような。次のステップに行くには、いきなりいいレースに、強い馬に乗れるわけじゃない。ソコソコの馬に乗ったときに「何だ!?あの子は」って思われるような騎乗振りをして勝ち取っていきたいなというのが若いときからあったので。そういう意識でずっと乗っていましたね。調教にしてもレースにしても。「あの子だったら任せて安心だ」って思われるような調教の仕方。レースでもそう思われるように乗れればな、ってのは。その頃、本当に一杯一杯でしたけど、「そういうふうにしたい」っていう意識で、いつの間にか、ここまできちゃったって感じですけどね。まあ運が良かったのもあると思いますけど。
-:でも、落馬したときはみんな心配していたし、あとで知ったら、「よく復帰できたな」って状態でしたもんね。
内:だから、復帰するときも、「本当にこの人、何ヶ月も休んでいたの?」、「え?ずっと乗っていたんじゃないかな?」って思われるくらいの騎乗をしようと思っていたんで。そういう気持ちで一戦目から乗っていました。何て言うんですかね……。負けるのは仕方ないんですよ。勝負事なので。じゃなくて、「ホント休んでいたの?この人?」っていう騎乗をしたいっていうのが……。
戸:それは凄くありましたね。「この人、やっぱり人間じゃねえ」っていうか、怪物というか……、「只者じゃねえ」って思いましたね。あれだけ怪我して休んだあとに、あれだけの騎乗はできないですよね。
内:やはり、こうやって地方である程度の実績を残して、中央でもそれなりの成績を出せたじゃないですか。ましてやリーディングにもなったし、ダービーも勝たせてもらっているし、G1も結構勝たせてもらって……。そういったものも、こなしてきている自信と、やっぱり「復帰したら負けるはずがない」っていう自分の思い込み?それには恥ずかしくないレースをしなきゃいけない。自分に自信がないんだったら、復帰をもっと遅らせるしかないし。だから自分でそう持って行かない限り……。
-:42歳でそこまで自分を追い詰めるのはしんどくないですか?
内:いや、楽しいですよ。42ですけど、自分ではまだ「42?これからだろうな」って思っているくらいだから。変なところに貪欲なんですよね。いいんですよ、いろんなことに負けても。別に「リーディング獲る」って決めて、獲れなくても。自分で精一杯やって、「もっと勝てたけどなあ。上手く乗れば」ってのは、あるかもしれないけど、その中でも「自分が精一杯、一年やり遂げたんだ。それでも叶わなかったんだ。じゃあ来年」とかね。「自分がまだまだ」って思っていれば、体も衰えないような気もするし……。
プロフィール
内田 博幸 Hiroyuki Uchida
1970年7月26日生まれ、福岡県出身。
公営・大井競馬所属から1989年に騎手デビュー。
的場文男、石崎隆之騎手らが全盛期の時代に頭角を現すと、2004年に年間385勝(他、中央では28勝)を挙げて、初の南関東・地方競馬全国リーディングを獲得。
また、鉄人・佐々木竹見の年間505勝の記録を2006年に更新。同年には地方524勝、中央61勝という並外れた成績を残し、翌年には地方所属ながらNHKマイルCでピンクカメオに騎乗し、中央G1初勝利を挙げた。
07年には08年度のJRA騎手試験を受験を名言。当時の規定で、1次試験は免除となり、晴れて、08年3月1日付けでJRA騎手となる。
その後の活躍は周知の通りだが、2010年にはエイシンフラッシュで日本ダービーを制覇。 昨年は大井競馬で頸椎歯突起骨折の重傷を負い、長期休養を余儀なくされたが、今年もゴールドシップで皐月賞を制し、完全復活をアピールしている
戸崎 圭太 Keita tosaki
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。
公営・大井競馬所属の騎手。1998年に騎手デビュー。
08年に年間306勝を挙げて、初めて地方全国リーディングに輝くと、2009年は387勝、2010年は288勝、2011年は327勝をマーク(地方競馬のみ)。
また、2008年頃から頻繁に中央でも騎乗。2009年に21勝、2010年も22勝を挙げている。重賞では2010年の武蔵野Sをグロリアスノアとのコンビで制し、JRA重賞初勝利を挙げると、2011年の安田記念ではリアルインパクトとのコンビでG1初制覇。
地方でも、これまでに東京ダービーを4勝、フリオーソとのコンビで帝王賞を2勝するなど、数々のビッグタイトルを手にしている。現在は競馬ラボでインタビューを定期連載中。
★競馬ラボ独占コンテンツ★
週刊!戸崎圭太