35歳のオールドルーキーの素顔、JRAで叶えたい夢とは。6度目の受験で、今年3月から晴れてJRA騎手の仲間入りを果たした藤井勘一郎騎手。インタビュー後編の今回は、幾多の海外経験を経て創り上げられたジョッキー像、JRA騎手としての目標を熱く語ってくれた。(取材=競馬ラボ小野田)

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ジョッキーであり、読書家でもある素顔

-:藤井さんの気質的には、オンとオフの切り替えはいかがですか。

藤:僕はなるべく平常心でいたいとは心掛けていますよね。先日、新聞を読んでいて、野球の監督の言葉で心に残ったコメントがありました。自分の心の持ちようについて「池に映る月のようになる」という表現です。水は波が浮いていると、月が綺麗に反射しないじゃないですか?「夜空の月が、水面に平和で静かで綺麗に映る心の持ちようでありなさい」ということを仰っていて、いい言葉だと感じました。自分もそんな心の持ち主になりたいとは思います。

【インタビュー】藤井勘一郎

-:新聞をよく読まれていると感じますが、スポーツ紙以外も読まれているのですか。

藤:読むことがけっこう好きですね。本を読むのも大好きですし、ビジネス系の本もよく読みます。ジョッキーとして生き残っていくためには、もちろん騎乗技術を上げることも大事なのですけど、いかに個人事業主として、資金をやり繰りするか。海外では考えさせられました。

冒険家の植村直己さんはスポンサーを集めて、次のチャレンジをしていましたよね。目標を掲げる、目標を達成するという意味では、実際に僕は北極には行かないですけど、プロセスとして似た部分がありますね。例えば、スポーツ選手がスポンサーから活動資金を集めて、オリンピックを目指すことも近いですね。

本ならドラッカーが好きです。日本に帰ってきてからは競馬ブックもすごくジックリ読んでいますし、全体的に本は読みますよね。雑誌では、『Number』は好きですよね。イチロー選手が特集されている記事は非常に面白かったです。イチロー選手に憧れていますしね。最近は税金の本は読みますね。

▲藤井騎手が自らのPRのために作成した動画クリップ

-:繰り返しになりますけど、海外旅行に行っただけでも僕は大変だと感じます。海外遠征を何年も続けられるのは大変ですよね。

藤:僕は13カ国に行ったのですけど、実際は全てで騎乗した訳ではないんですよね。13カ国の中で騎乗した国もありましたし、調教だけの国もありました。視察をして、次に免許取得のための申請書を出すかどうか、ということをやっていたんですけど、自分の心の持ちようというのは根本的には変わらないですよね。そういう意味では、外国にいる時間の長かった僕からしたら、逆にここ(JRA)の方がまだまだアウェイに感じる部分もありますよね。(日本で騎乗している期間の方が)短いですし、海外をベースとして20年くらい居た訳なので、大変ということはそんなにないんですよね。やっぱりいかにホームグラウンドにするか、溶け込むかという部分が大事ですよね。

-:もちろん心構え、意識の部分でもそうですか。

藤:そうですね。良いメンタルじゃなきゃ、良いパフォーマンスは出ないですからね。僕の場合はメンタルの強さではないと思います。メンタルを良くするためにどういう準備をするか、という部分ですよね。

【インタビュー】藤井勘一郎

-:「強さ」とは違うと。

藤:強さとは違いますよね。どうなったら強くなれるか、ということを追求する部分の方が多いかもしれないですよね。だから、メンタルの強さや自分がやりたいことを実現するということに対して、どうしたらそれが出来るのだろう、と考えることが多いですけどね。

-:客観的に見ていた印象で申し訳ないのですけど、海外に行かれている人は、割と言葉の回転が速かったりするイメージがあったので、ゆったり喋られているのが意外でもあります。

藤:意識せずに変化していると思うんですよね。僕は普段、海外で日本人と話す時は完璧に標準語に染まるんですよね。でも、地元が奈良なので、関西に来たら関西弁が出てきます。日本は“察する文化”ですけど、海外に行ったら、海外の人は“発する文化”なんですよね。国も違う人たちなので、何も言わなかったら、発しなかったら、何も伝わらない。だから「その時々で人格が違うね」ということは言われたことがありますよね。僕は意識していないんですけど、その時々によって、違う自分がいますよ。

JRAのジョッキーとしてG1で騎乗依頼を受けるように

-:今だから言えると思いますけど、もし、JRAに落ちていた場合はどこに行こうというプランはあったのですか。

藤:オーストラリアに戻って、向こうをベースにする予定でしたね。

-:万が一、2次で落ちていたら、来年も受けていましたか。

藤:正直、受けたいという気持ちはあっても、現実的に受けたいけど受けられない現実が出てくるんですよね。やっぱり父親ですから、子供への責任も出てくるわけで。受けたかどうかは分からないですよね。

-:JRAに受からず、気持ちが折れそうになったことは、今まで何度もありましたか。

藤:何回もありますよね。去年は7カ月くらい競馬に乗っていなかったので、レースに乗れない環境の中で、どういう自分でいなきゃいけないか、考える日々でした。牧場で若馬の手入れをして働きながらも、常にこれで良いのかな、と自分の人生を見つめなきゃいけない。でも、一度きりの人生ですからね。

【インタビュー】藤井勘一郎

▲南関東で短期騎手免許を取得していた当時の渡部渉バレットと

【インタビュー】藤井勘一郎

【インタビュー】藤井勘一郎

▲オーストラリアを拠点に活躍、6月3日から南関東で短期騎手免許を取得した富澤希騎手(左)
藤井騎手と同様、韓国競馬でも実績を残した高知の倉兼育康騎手(中)と記念撮影

-:レースで乗れない日々というのは、体が動くのに乗れないことは、精神的にもキツくなかったですか。

藤:あまりキツさはなかったです。もちろん騎乗停止で乗れない場合はキツいですけど、7カ月間も乗れないとなると、また違いますよね。それ以外にもしなきゃいけないことが沢山出てくるので、スパッと切り替えました。自分はその時期はジョッキーじゃないので、いかに同僚のスタッフと一緒に馬をつくっていくかなどの意識に切り替えられましたよ。

-:もちろん去年が一つの例だと思いますけど、JRAに受かるまで家族も同じ境遇を味わってきた訳ですもんね。

藤:そうですね。やっぱり僕以上に嫁さんが心配していましたし、JRA受験は自分の意志もあるのですが、家族や周りが、本当にサポートしてくれました。試験を受けるにあたって、乗馬の技術面でもビッチリとレッスンを受けないといけなかったので、そこで助けてくれた人、オーストラリアに戻った時に、騎乗をくれた人、本当に色々な要素が噛み合って、今の自分がいるのだとすごく感じますよね。今でもオーストラリアの僕のホストファミリーの方はレースを観てくれて、メッセージを入れてくれたりしていますけど、今はそういう時期が懐かしく思いますよね。

-:お世話になった海外の人たちの元へ日本の馬、日本馬の遠征で戻れれば。

藤:そうですね。オーストラリアで免許を受けてきたので。この前のクルーガーのレースも、格好良いなと思いながら観ていました。いつかは自分も、オーストラリアはもちろん、香港なども向こうの関係者を知っています。そういう場所に行きたい、また結果を出したい、という思いはありますよね。

-:ちなみに、香港では乗られていないと思いますが、関係者とのつながりはあったのですね。

藤:香港では乗ってはいないですね。3~4回くらい訪ねて、実際にどうやったら申請書を出せるか、条件を確認する意味で行きましたね。自分が海外でジョッキーとしてレースをしているということは、常にビジネスチャンスを求めなきゃいけない。だから、タイに行った時も、競馬を観ることもそうだけど、どうやったら申請書を送れて、ビザを取れるかを調べていました。森(秀行)先生が今年、ユウチェンジで行かれたカタールも、申請書を出したこともあります。しかし、やっぱり申請書を出しても、都合は向こうなので、“返事が返ってくる・返ってこない”は分からないですよね。

【インタビュー】藤井勘一郎

▲2014年香港競馬を視察、国際部のアンディーさんと(写真、藤井騎手提供)

-:返事が返ってこないことも多々あると。

藤:もちろん多々あります。だから、申請書を出して、返ってくればラッキーという感覚もありましたし、時期的にも違う国と被ってしまったら、そちらを優先しなきゃいけないこともありました。2006年のオーストラリアでちょうど見習いが終わった時期にも南関東で申請を出していたんですよね。その時期から、やっぱり日本の競馬で乗ってみたい、という思いがあったのですが、ちょうど2007年の1月からシンガポールのライセンスが下りたので、ビザの手配を考えて、途中で断念と切り替えなきゃいけなかったです。自分がそこで乗りたいと思っても、主催者がジョッキーを欲しい、という状況と異なってくるので、2~3カ月競馬で乗れない時期に、その時間は何が出来るか、ということもあります。また、競馬に乗れない時にトレセンで研修させてもらったり、海外に行って、調教だけ参加したり、色々な時間の過ごし方というはありましたね。

-:様々な環境を旅しているだけでなく、非常にシビアな中でやってこられたわけで、その経験をこれからも活かしたいですね。

藤:そうですよね。僕の好きな言葉で『(人間万事)塞翁が馬』という言葉があります。人の幸不幸は変転し、定まらないもので。例えば何か悪いことが起きても、良いことが起きても、結局、逆の意味を持っているかもしれないという言葉なのですが、常に自分に起こりうることに対して、どう反応していくかが必要ですよね。

【インタビュー】藤井勘一郎

-:今日、お話を聞いても、今まで発信されている記事を読んでも、改めて色々考えてやってこられたことが伝わってきました。

藤:やっぱり考えなきゃ生きていけないですよ。僕が今、JRAの騎手として、こうやって仕事をさせてもらって、結果が出せないとすぐに必要なくなる。そんな危機感がもちろんありますしね。

-:単なるアスリートではなくて、社会人として。

藤:色々考えなきゃいけないなという思いはありますね。常に新聞を読むことや本も読んで、知識を蓄えて。

-:ここまで長々と伺いましたが、これからの目標を聞かせていただけますか。

藤:目標は、やっぱり日本でG1を勝ちたいとすごく思いますね。でも、勝ちたいというのも結局、自分がそういうG1で信頼を置ける立場でないといけない訳で、自分がいくら乗りたい、乗りたいと言っても叶わないですし、やっぱり関係者が「藤井だったらG1でチャンスを与えてもキッチリと仕事をしてくれるんだ」という存在になるように、努力しないといけないと思います。信頼を日々つくっていきたいですよね。

-:G1を勝つにも、G1に乗らないと始まらない訳ですからね。

藤:結局100人以上ジョッキーがいる中で、僕を選んでいただくとするならば、「藤井ならやってくれる」という期待をしてもらっている訳じゃないですか。依頼いただく理由は、今までのジョッキーとは違う乗り方かもしれないし、馬の能力を全て出すことかもしれません。ニーズに応えていくことを積み立てなきゃいけないのかなとすごく感じますよね。いくら僕が「海外でこれだけの競馬場で乗りました、数を勝ちました、何々しました」といっても結局は“過去”なので。僕がスタートしたのは2カ月前で、ここからどう積み重ねていくか、ですよね。この場所でどういう競馬をするか、ここの競馬で結果が出せないと、ここでは合わないなということになりますし、今は必死にしがみ付いていると言いますか。

【インタビュー】藤井勘一郎

【インタビュー】藤井勘一郎

-:必死の中ではあるでしょうが、今、ジョッキーライフは充実していますか。

藤:そうですね。たくさんの馬に乗せてもらうということは、やっぱりたくさんの情報を得るということなので、レースに乗ることが本当に楽しいです。結果を出したら、僕以上に、馬に携わっている厩務員さんのやりがいも出てきますしね。一連の流れで、僕が最後に手綱を任されて、僕が馬に携わるのは本当に1~2分かもしれないけど、馬主さんからしたら、3年間掛けてやっとそこに行く訳です。牧場からの全ての繋がりがあって、馬主さんはイヤリングの時から馬を持たれているじゃないですか。その重みをすごく感じますし、やっぱりそういう中で結果を出した時は、本当に良かったと思える瞬間でありますね。

また「次はこうしよう」と、自分が新たな発見を積み重ねていくのがすごく楽しいですよね。最近の例で言えば、カリボールが(あずさ賞)で後方からの競馬で勝ってくれたというのは、正直、自分の中でもレース前は想像出来なかった部分であります。新しい形で馬が力を出してくれたということも、自分の中で大きな発見でありましたしね。

-:最後に、日本のファンについても印象を聞かせていただけますか。

藤:ファンということでしたら、オーストラリアだったら国が盛り上げて、雰囲気をつくって、という楽しみ方もあるのだと感じました。みんなが競馬のレースに集中して観ているというよりは、向こうはパーティや社交の場として、という競馬場の在り方ですね。逆に日本はファンの方がすごく写真を撮ったり、血統を調べて、1頭の馬を追い掛けてみたり、予想の面でもデータも豊富ですし、また特殊ですよね。

僕も、もう横断幕を作っていただいて、この前、サインを書いていたらプレゼントをもらえたんですよね。何だろうと思ったら、手紙とプレゼントが入っていて、中にチロルチョコのオリジナルバージョンが入っていて。それこそカリボールのデザインのチロルチョコだったんですよ。やっぱり日本のファンはすごいなと感じましたね。

-:日本の競馬はファンの文化も進んでいますね。

藤:やっぱり日本はそのお陰で、これだけの売り上げであったりだとか、メディアであったりだとか、新聞でもこれだけ売り上げられていますしね。

-:今回は長々とありがとうございました。今後の活躍を祈ります。

藤:ありがとうございました!

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