父・高橋成忠氏を引き継ぎ3月から開業
2011/7/1(金)
高橋義忠調教師
イギリスで競馬のいろはを学ぶ
-:3月から厩舎を開業されましたが、この世界に入られたキッカケから教えていただけますか?
高:直接的なキッカケは、父(高橋成忠元騎手・調教師)がこの世界で働いていたことが第一ですね。でも、父が騎手であって、活躍していたことが直接的な理由ではないんです。というのも、飛行機が好きで、大学まではパイロットになろうと思ってました。
パイロットを目指すにしても、普通の大学の教養課程を経てから、航空大学に受験するのが流れで、それを目指していたんですけれども、バブルが崩壊した頃だったかな?90年代初めの頃に「これから、そういう道を目指すのもどうなんだろう?」と思い始めて、海外に行ってみようと。
そこで、親にも相談したら『海外で馬を観てきたらどうか?』という話で、牧場の方の人脈もあって、イギリスに行かせてもらうことになったんです。始めは語学の勉強をしていたんですけれども、馬もやらせてもらったら、奥が深いことに気付き、「競馬の世界もいいな」と思って入ったのがキッカケですね。
-:イギリスではどの厩舎に所属されたのでしょうか?
高:マーク・プレスコットといって、ユーザーフレンドリー(※)を管理していたり、三浦皇成君が向こうに滞在していた時の受け入れ先でもありましたよね。けっこう厳しい厩舎でしたが、日本人もよく受け入れていました。
※欧州でG1を5勝。92年のカルティエ賞年度代表馬、同年にジャパンカップにも出走1番人気に推され、6着に終わった。
-:イギリスに居られる間、競馬以外で時間を費やしたことはありましたか?
高:ありませんでした。朝から晩まで馬ばかり。馬を担当させてもらって、競馬にもバンバン行かせてもらいました。
-:日本から行った人では、全て教えてくれないことも多く耳にしますが、調教や育成のスタイルも全て教えてくれたんですね?
高:そうですね。特に当時の日本は牧草を切ったものに、水をバ―ッと混ぜて、量を多くして、時間を掛けさせる飼葉だったですけれども、向こうは必要な物を与えておいて、あとは牧草を食べさせるスタイルでした。
今でこそ、日本は配合飼料などを食べさせて、あとは牧草を食べさせるような感じになってきていますけれど、今のスタイルが20年くらい前のイギリスでやっていたことだと思います。
-:向こうは土壌からミネラル質の配合量が違っていて、普通に草を食べているだけでも違うとも聞きますね。向こうで一番、勉強になったことはなんでしょうか?
高:あの当時は坂路調教というのもが始まったばかりでしたが、向こうでは普通に丘を走っていましたからね。
日本だと、トラックコースを沢山走らせておけばいいというような考えが当時はありましたが、遅いスピードで調教しても、競馬に使えるような調教はできるものだと教わりましたからね。
-:向こうは攻め時計もとらないですよね。
高:ある程度、日本のような競馬であれば、時計を計ることも止むを得ないと思うんです。でも、フランスならともかく、イギリスのように起伏の激しいところを走ってくるような競馬であれば、時計は関係ないですからね。
それよりは乗った人が、馬がどれくらい仕上がっているのかを感じる方が、結果には繋がってくるのかと思いましたね。
-:当時、印象に残った馬や騎手はいましたか?
高:ユーザーフレンドリーも実際見ましたし、「騎手の神様」と言われていたようなレスター・ピゴット騎手(※1)も実際に見ましたからね。あとはパット・エデリー騎手(※2)も大活躍していた時代でした。
(※1)通算5300勝、リーディング11回を獲得し、20世紀のイギリスで最高の騎手といわれている。ニジンスキーや、ロドリゴデトリアーノなど、日本でも馴染みの深い名馬にも騎乗していた。
(※2)現在は調教師。イギリスで4,632勝を挙げた。日本のWSJSにも出場。
-:向こうの競馬の環境で印象に残ったことはありますか?
高:フランスは馬を洗いますけれど、イギリスはほとんど馬を洗わないですね。海を越えただけで、環境が全然違います。イギリスは頑なに伝統を守ろうとするところがありますね。
その点、フランスはいいものを取りいれる貪欲なところはありますね。イギリスとフランスで、お互い、すごく対抗意識はありますよ。
15年以上の下積みと、厩舎開業までのタイトなスケジュール
-:そして、日本に戻られて、競馬学校を経て、最初は吉岡厩舎に所属されましたね。
高:丸5年ほど、吉岡先生のところでお世話になって、父親のところで10年くらいいました。吉岡厩舎では障害で活躍したケイティータイガーや、キョウワアリシバや、タイヤン、などもいましたね。
-:お父さんの厩舎では、近年、ファンに馴染みが深いといえば、メイショウサムソンもいましたが。
高:あの馬は言ってみれば、調教師の思いとしても自分が育ててきたというよりも、大切な大切なお預かり馬で、別格というか異質な存在ではあったと思います。
(※瀬戸口悟調教師の引退により、高橋成忠厩舎に転厩してきた)
-:お父さんの厩舎で印象に残った馬はいましたか?
高:色々いましたけれども、重賞を10勝以上勝ったメイショウバトラーをはじめ、100戦以上闘い続けたサンコメーテス、スペインランド等が印象に残っています。それって、今、振り返れば凄いことだなと…。
今はどうしてもビジネスライクというか、成績が残せなかったら、諦めてしまうこともありますからね。そういうことは今言っていられないのかもしれないけれど、馬の一生を考えて、長いサイクルを考えてやっていたので、すごいことだなと。
高橋義忠調教師インタビュー後半
「将来は世界を、そして、意外性のある馬造りを」などへ→
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父は関西所属の騎手として、初めて全国リーディングになるなどの活躍をみせた高橋成忠氏。イギリスでの経験を経て、1995年に栗東の吉岡八郎厩舎に配属されると、99年には父の高橋成忠厩舎に移籍。 |