今年の3月に晴れて厩舎を開業した斉藤崇史調教師だが、聞けば調教助手時代には松永幹夫厩舎であのレッドディザイアを担当し、ドバイ、アメリカと2度に渡る海外遠征も経験。なおかつ若干33歳ながら、調教師という第二の人生を歩み始めることになったのだから、類まれなる資質の持ち主であることは窺える。競馬に縁のなかった家庭から、如何にしてキャリアアップを果たしてきたのか、斉藤師のここまでの道のりにクローズアップした。

悩んだ末に出た答え「競馬の仕事がしたい」

-:遅ればせながら、新規開業おめでとうございます。では、競馬界に入られたキッカケから教えていただけますでしょうか。

斉藤崇史調教師:よろしくお願いします。中学の同級生で競馬の話をしている友人がいて、その影響で僕も競馬ファンになったんですよね。そして、高校生の時に、親に「どうしても競馬界に行きたい」という話をしたのです。そうしたら知り合いの伝手で、牧場を紹介してもらって、住み込みで1カ月くらい経験させてもらうことになりまして。当時は正直、動物があんまり得意じゃなかったのでね(笑)。本当に競馬界に行きたいのかどうか、確認する意味で行かせてもらったのですが、やりたいという気持ちが強くなりました。

その牧場で「馬をやりたいんだったら、何をやりたいんだ?」みたいな話になって。「じゃあ、調教師になりたいです」とは話していたんですよね。すると、「調教師になりたいんだったら、大学に行った方が良いぞ」と言われまして。東京都武蔵野市にある日本獣医畜産大(現日本獣医生命科学大)に通いました。


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▲若くして厩舎を開業!柔和で温厚な雰囲気の斉藤調教師


しかし、大学の3年生くらいの頃ですかね。本当に馬の方に進むのか、普通に会社に就職するのか、迷ったのです……。というのも、馬乗りのセンスがなかったもので、すごく悩んじゃって。そこで、小松温泉牧場さんにOBの方が場長をやっていまして、「海外に興味はないか?」と言われていて、その紹介でアイルランドの厩舎に、4年生の時に5カ月ほど研修させてもらったのです。そこで実際に競走馬に触ったり、競馬に付いていったりだとか、そういうを経験させてもらったんです。

-:とても貴重な経験ですね。

斉:はい、それで迷いが全部なくなって。馬乗りが出来る、出来ないではなくて、やっぱり馬の仕事をやりたいと思って、もうそこで就職しようと決断しました。

-:現地での生活はどうでしたか?

斉:甘えが出ても意味がないので、あえて日本人がいないカラ競馬場近郊の厩舎に行かせていただいたのですが、僕としては自覚がなかったものの、行った当初は「アイツはホームシックだな」と思われていたそうです(笑)。ただ、下宿先には日本の方もいて会話や日常のサポートはしていただいたので、ホームシックという意識はなかったんですけどね。周りからそう思われていたようで。アイルランドという国自体は本当に緑に囲まれているイメージで、羊が歩いているそばで調教をやったりしていましたね。調教も柵がないところでやりますから。


「もっと日本で競走馬の仕事を経験して海外に行っていれば、より吸収出来たこともあるのかもしれません。それは今でも思いますね」


-:となると、噂で聞くように調教の時計もわからないし、とらないですよね。

斉:ええ、外国は時計をとらないので。向こうに入ればそれが当たり前だったりしますが、今思えば、まずまず良い時計が出ていたのかもしれませんね。そして、もっと日本で競走馬の仕事を経験して海外に行っていれば、より吸収出来たこともあるのかもしれません。それは今でも思いますね。

-:若くして単身、アイルランドに向かうとはなかなか勇気のいることですね。親御さんの反対はなかったですか?

斉:どうなんでしょ?思えば大変なことをやっていたのかもしれませんが、僕は苦にしていなかったですし、一度決めたら変えないタイプなので。ハハハ(笑)。

-:ちなみに、大学に進む前に、騎手になりたいとは思わなかったですか?華のある職業でもありますし、まずはそこを志される方は多いはずです。

斉:いやあ、騎手になろうとは思ってなかったです。視力も良くなくて、運動神経も決して良いわけでなく、馬乗りがそんなに上手くなかったので、周りに迷惑をかけたりもしていましたし。

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▲3月19日 中京12R(ゴールドエッセンス)で開業初勝利!


-:そうだったのですね。大学を出てからはどういう経緯で牧場に行かれましたか?

斉:大学のOBの方々が、ノーザンファームさんに就職をしている方がたくさんいたので。学生時代から研修をさせていただいて、就職しようと思った時に最初に相談させてもらって快諾をいただけたので、そのままノーザンFさんに就職させてもらいました。

-:ノーザンF時代はどのようなことを学びましたか?

斉:ノーザンFの時は早来の林厩舎で2年間お世話になりました。林さんはとても良い方で色々なことを教えてくれましたし、今でも連絡を取ったりして、こちらに出てきた時に一緒に食事をするくらいです。本当に感謝していますね。

-:それから競馬学校に入学されて。競馬学校を出てからはどうでしょう。

斉:競馬学校を出て僕が卒業した時は、待機生がいる状況だったので、出てすぐにはトレセンには来られませんでした。グリーンウッド(トレーニング)さんにまだノーザンFが入っていたので、そこでお世話になって。働き出してから10日~2週間するかしないかくらいの時だったと思いますが、(松永)幹夫先生から「1人欲しい」という話をいただいて、声を掛けられたので、「ぜひ、お願いします」ということで、幹夫厩舎に入らせてもらったのです。トレセンに入るまで、一年以上は掛かるだろうと思っていましたし、良い厩舎に入れてラッキーだったと思います。

斉藤崇史調教師を育てた“2人の恩師”

-:そして、調教助手時代ですが、レッドディザイアに会う以前はどんな馬を担当されていましたか?

斉:幹夫厩舎のシステム的にみんなで全馬をやろうという形だったので、担当制というスタンスとは異なる部分もありました。しかし、最初はなかなか勝てなくて、他のスタッフの方も気を遣って勝てそうな馬をやらせてくれましたね。入って1年経つ前くらいですかね。その年の暮れくらいにディザイアが入ってきて、先生に「大人しいし、これやってみる?」と触らせてもらったのが最初ですね。そこからゲートから全部やって、新馬を勝った時は嬉しかったですね。自分でやって勝ったので。

-:それが初勝利だったのですか?

斉:いや、自分で乗っていない馬で競馬に行って勝たせてもらったりはしていましたが、自分で全てこなした馬で勝ったのはそれが最初だったので。

-:実質的な担当馬としての初勝利がそこだったということですね。

斉:そうですかね。ですから、当時は馬の将来性がどうこうというよりも、初勝利したことが嬉しかったですね。デビュー前から、幹夫先生が追い切りに乗ってもらったりして「良いよ」という話をしていて、能力があることはわかっていましたが、2戦目でオープン特別に行って勝ってくれましたからね。それからG1に直接向かったのも先生が乗って、能力の高さを感じていたからだと思いますし、結果として全ての選択が良い方に向いた感じでしたね。

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▲秋華賞を制した際の口取り もちろん調教助手時代の斉藤師の姿も


-:牝馬3冠路線でも毎度毎度がブエナビスタとの激戦でしたよね。

斉:本当は僕がもっと経験者で、もっと技術があったら、もっともっと良い競馬が出来たかもしれないです……。馬に助けてもらって、自分がヘマをしても馬が全部カバーしてくれて。

-:斉藤先生を支えたレッドディザイアはどんなパートナーでしたか?

斉:気は強いけど、優しかったですね。そして、なんと言うんですかね……。僕もディザイアのことは信頼していましたが、向こうも僕を気にしてくれたといいますか。全部教えてくれたのは、あの馬ですからね。G1を勝たせてもらって、海外にも連れていってもらって。G1を勝つ馬はこういう馬なんだな、と教えてくれたのはあの馬ですし、「先生」ですね。師匠は幹夫先生でもありますが、馬の先生はあの馬で、他の馬に乗っても、比較としてはあのディザイアになってしまいますから。

-:馬づくりの上であの馬が指標になったということですね。そして、2人と言いますか、一頭と一人の師匠に育てて来られたわけですね。

斉:ええ。そして、経験もない馬にあんな馬を任せてくれた幹夫先生も凄いと思いますし、ありがたいと今でも思います。

斉藤崇史調教師インタビュー(後半)
「2カ国の遠征で掴んだノウハウとは」「松永幹夫師とのエピソード」はコチラ⇒


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▲ドバイWCでのレッドディザイアと斉藤師