日本と海外競馬の架け橋!遠征に欠かせないアメリカ人美女…こちら検量室前派出所(仮)

ケイト・ハンター

記念撮影に収まるケイト・ハンターさん(左から2人目)

●全日本2歳優駿で花束贈呈

かつて、ここまで強い勝ち方をした馬がいただろうか。12月13日(水)に行われた全日本2歳優駿(Jpn1)は怪物・ルヴァンスレーヴ(牡2、美浦・萩原厩舎)の圧勝に終わった。川崎競馬場の検量室前は、オーナーであるGⅠレーシング関係者の皆さんが歓喜に包まれた。

今年からケンタッキーダービーの出走馬選定ポイント対象レースとなったこのレース。それを記念して、当初はそのポイントボードの授与や、優勝馬へのバラのレイの贈呈を、ケンタッキーダービーが行われるチャーチルダウンズ競馬場の場長であるケビン・フラネリー氏が務める予定だった。ところが悪天候の影響で航空機の発着が乱れて来場できなくなり、急遽、代役として同競馬場の日本駐在代理人を務める女性が大役を務めることとなった。

それが、ケイト・ハンターさん。「日本人より全然日本人らしいよ!」と競馬関係者に評されるアメリカ出身のこの女性を、調教師や騎手などの間では知らない人のほうが少ない。ここからは親しみを込めて、ケイトと名前で呼ばせていただく。

ケイトの仕事は実に多岐に渡る。アメリカ・キーンランドセールのプロモーションから、日本馬が海外遠征する際のビザや保険の申請など、まさに縁の下の力持ち。明るい性格で、常にチャーミングな笑顔を絶やさずに日本語を流暢に操り、各調教師からの信頼も厚い。「日本馬は強いです。彼らが海外で勝つためにお手伝いをしています!私の心は日本人ですから!」。ケイトはそう言いながら笑う。

ケイトは1983年、アメリカ南東部に位置するテネシー州の州都ナッシュビルで生まれた。テネシー州はケンタッキー州に隣接しており、ケンタッキーダービーなどが開催されるチャーチルダウンズ競馬場まで車で3時間という場所で生まれ育った。

「高校生の時にベビーシッターをやっていて、担当していた子がドラゴンボールやセーラームーンが好きだったの!そこから日本文化に興味を持って、大学は日本研究学科に入ったわ。人気はなかったけど(笑)。そして今から13年前、早稲田大学に留学生としてやってきました」。

●海外遠征時のビザ申請など多彩な仕事

翌年まで留学し、一度アメリカに戻ったが、その3年後、英語教師として再び日本にやってくる。

「赴任していた高校の近くに中山競馬場があったから、毎週日曜に通って馬の写真を撮っていたわ。アメリカにいた頃ケンタッキーダービーを観にいったように、馬は好きだったの。写真を撮っていたら、その写真をアメリカの雑誌で使ってもらえるようになったのよ。そこから更に縁あって、教師をやめて北海道へ移住して、牧場関係の仕事に就きました。そして去年、牧場の仕事をやめて、今のキーンランドセールのマーケティングの仕事を始めました」。

そう語る彼女は今、1年の大半を日本で過ごしており、トレセンや競馬場で精力的に活動しながら、たまの休みには愛猫2匹に癒されている。

競馬業界は女性が増えているものの、割合としてはまだまだ少ない。ただ、競馬業界で働きたいという女性もいるだろう。そんな女性に対してケイトは「自分の夢を叶えるためには、自分で動かないといけません。日本の競馬界は外国人の入る場所が少なかったのですが、私は自分で道を作りました。好きなことをやり通すことが大事です」とエールを送る。

そんなケイトはいつも明るいが、競馬の話をする時はより目が輝く。彼女にとって競馬とはどういう存在なのだろうか。「レースを勝つためには、馬と人間がマッチしなければいけません。人VS人よりも難しいです。でも、簡単じゃないから面白いんです!」と言った。

競馬を愛し、馬を愛する彼女は、全日本2歳優駿直後の川崎競馬場検量室前でも笑顔を絶やさない。「ルヴァンスレーヴをケンタッキーダービーに誘おうと思ったけど、知っている陣営が勝ったから新しい名刺を渡す必要はないわね!」。笑いながらそう言うと、彼女はまた仕事に戻っていった。